飲み会で笑いが取れない僕はそのままの自分でいていいのか

飲み会で笑いが取れない僕はそのままの自分でいていいのか

笑いの取れない司法書士という現実

飲み会の席で笑いが取れない。これは昔からの悩みで、司法書士として働く今も変わらない。真面目な性格が災いしてか、どうも“ウケ”というものに縁がない。特に地方の小さなコミュニティでは、飲み会という場がある種の“社交の場”であり、笑いを取れるかどうかが評価につながる雰囲気がある。そんな中で場を盛り上げられない自分に、ずっと劣等感を抱いてきた。

気の利いた一言が出てこない

昔、野球部の打ち上げで「お前、真面目だけど面白くないよな」と言われたのを今でも覚えている。あの時からだろうか、人前で話すことに構えてしまうようになったのは。司法書士になってからも、会合や懇親会で「何か面白い話を」と振られても、頭が真っ白になる。登記や法務局の手続きなら淀みなく話せるのに、ちょっとした笑い話になるととたんに言葉が詰まる。

頭の中は登記と締切のことでいっぱい

日々の業務はスケジュールに追われ、書類作成とクライアント対応の繰り返し。朝から夕方まで、いや、時には夜までずっと、誰かの名義変更や遺産分割協議書の処理に没頭している。そんな中で、飲み会のネタや話の落とし所を考える余裕なんてない。だからといって、サボっているわけではない。むしろ、誰よりも誠実に仕事している自負はある。

おどける余裕なんてない日常

たとえば、相続人が10人もいるような案件を抱えていた日、夜の懇親会に呼ばれた。途中から内容も耳に入らず、脳内では「誰の印鑑がまだだっけ」とばかり考えていた。隣の先生が軽快な話で笑いを取っていたが、僕は乾杯のタイミングすら逃していた。「余裕がない人間は笑いを取れない」と後で言われて、何も言い返せなかった。

「つまらない人」と思われる恐怖

正直、「笑いが取れない司法書士」は、人付き合いにおいては不利だ。飲み会で話しかけられる頻度も少なくなるし、相談を持ちかけられる機会も減る気がしてしまう。仕事の質で信頼されているとは思う。でも、どこかで「この人、面白くないな」と思われている気がしてならない。場を和ませられる人に、羨望と劣等感が入り混じる。

空気を凍らせた過去の失敗談

ある会合で「最近忙しいですよね」と言われて、冗談のつもりで「依頼人も減ってるし、そろそろ廃業です」と返したことがある。完全にスベった。誰も笑わず、「あ、そうなんですね」と返されてしまった。あの沈黙の10秒間、何度思い出しても胃が痛くなる。笑いのセンスがない自覚はある。でも、だったらどう振る舞えばよかったのかもわからない。

無理に笑わせようとして滑った夜

無理に笑いを取ろうとしたある夜、酔った勢いで昔の恋バナを披露した。盛り上がるかと思いきや、「それ、ストーカーっぽく聞こえる」と言われて場が冷えた。僕には場を読むセンスがないらしい。結局、帰り道で「今日は変なこと言ってすみません」と謝った。面白くないだけでなく、迷惑までかけてしまった気がして自己嫌悪が止まらなかった。

求められる「陽気さ」への違和感

今の世の中、飲み会でも職場でも「明るく、元気に、笑顔で」という空気がある。それが悪いわけではない。ただ、無理をしてでも陽気なキャラを演じることが正しいのだとしたら、それは少し違う気がする。僕は僕のままでいたいし、笑いが苦手でも、淡々と人の依頼に応える自分を否定したくない。

笑いを取ることが正義なのか

誰かを笑わせることが素晴らしいのは間違いない。でも、それだけが評価基準になってしまうと、口下手な人間はどうしたって不利だ。僕のように、話すよりも黙って考えるタイプには、生きにくい時代だと感じることもある。飲み会で何も言えず、あとから自己嫌悪に陥る夜が何度もあった。

飲み会の文化に疲れを感じる

付き合いの飲み会が増えるたび、少しずつ疲れていく。悪気はないけれど、「もっと話して」「なんか面白いこと言ってよ」といった空気に、無言のプレッシャーを感じてしまう。無理に喋ればスベるし、黙っていれば浮く。その狭間で、ただただ疲弊している自分がいる。

求められるキャラとのズレ

「先生、意外と真面目なんですね」と笑われることがある。多分それ、褒め言葉ではない。求められているのは、もう少し柔らかくて冗談も言えるキャラなんだろう。でも僕は、元からそういうタイプじゃない。野球部時代も、ベンチで声を出すより、自分のバッティングフォームを考えている方が好きだった。

誰かと比べて落ち込む自分

笑いが取れる同業者のSNSを見て、正直落ち込む。「今日はこんな笑える相談がありました!」と軽妙に語る投稿を見ると、「なんで自分はああなれないんだろう」と思ってしまう。羨ましさと、自分へのがっかり感。その繰り返しだ。

場を盛り上げるタイプの同業者

ある司法書士の先生は、話もうまくて場の空気も読める。軽く冗談を言いながらも、しっかりとした解説で信頼も得ている。そのバランスがとても上手くて、見ていて「すごいなぁ」と思う。自分には持ち合わせていないものばかりで、つい自信をなくしてしまう。

元野球部でも陽キャじゃなかった

「元野球部なら明るいでしょ?」と言われることがある。でも僕は、ムードメーカーではなかった。練習中も黙々とノックを受け、真面目にキャッチボールしていた。試合でも声を出すのが苦手だった。だから、いまだに陽気なキャラを演じろと言われても、どうにも無理がある。

それでも仕事は真面目にやっている

笑いは取れなくても、仕事は丁寧に、誠実にやっている。これは誰にも負けないという自負がある。依頼者が安心して任せられるように、時間がかかっても、一件一件をしっかりこなしている。笑いがなくても、それで信頼が損なわれるわけではないはずだ。

笑えなくても信頼は得られる

ある高齢の依頼者から、「あなた、話は固いけど、安心できるわ」と言われたことがある。笑わせるのが得意ではないけれど、真面目に向き合うことで相手の不安を取り除くことはできる。それが僕にできる仕事だと、自信を持てるようになってきた。

依頼者が求めているのは安心感

依頼者は“面白さ”よりも、“誠実さ”を求めていることが多い。特に相続や不動産など、大切な手続きでは、冗談よりも丁寧な説明が求められる。そう考えれば、無理して笑いを取らなくてもいいのかもしれないと、少しだけ心が軽くなる。

事務所を支える静かな誠実さ

一人事務所で事務員と二人三脚の日々。派手なやり取りはないけれど、確かな信頼関係がある。ミスをしないように、お互い声かけ合いながら確認する日常。その地味さこそが、僕の仕事の根幹を支えている気がする。

事務員との無言のやりとり

事務員とは、時々目を合わせるだけで伝わることがある。必要以上に会話はしないけれど、ミスを防ぐための連携はしっかりとれている。僕が無口でも、仕事がちゃんと進んでいるのは、彼女のおかげでもある。

気を使わせてしまっているかも

でもたまに、「私、しゃべりすぎでしたか?」と気を遣わせてしまうこともある。本当はそうじゃないんだけど、こちらの無表情や短い返事が、そう見えてしまうのかもしれない。もっと気持ちよく働けるように、言葉にする努力も必要だと感じる。

笑いよりも信頼関係を大切に

笑い合うことより、信頼し合うこと。それが一番大事なんじゃないかと最近は思うようになった。たとえ面白くなくても、頼りになる存在でいられたら、それでいいのかもしれない。無理にキャラを作るより、素のままで誠実にいたい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。