独立開業という言葉に潜む甘さと重さ
独立って、言葉だけ聞くと響きがいいですよね。自由、夢、自分の城。でも実際にやってみると、甘い夢ばかり見ていた自分に腹が立ってくる。思ってたんと違う。僕も開業当初は「時間の使い方は自分次第」と思ってましたが、結局朝から晩まで働いてるし、下手すると夜中に目が覚めて仕事のことを考え出す。自由じゃなくて、無限の責任でした。
理想と現実のギャップに気づく瞬間
理想はありました。お客さんがどんどん来て、事務所も広くなって、仕事も選べるようになる。でもそんな夢、誰が用意してくれるんですか?実際は電話は鳴らないし、最初の3ヶ月は誰も来ない。チラシ撒いても音沙汰なし。開業してから「仕事がない」という現実に打ちのめされるのは、想像以上に心にくるものがあります。
「自由」は「孤独」とセットでやってくる
僕が開業して一番驚いたのは、「誰とも話さない日」があるということ。職場の愚痴を言う相手もいないし、相談できる上司もいない。自分で決めて、自分で責任を取る。自由って聞こえはいいけど、その実態はただの「全部ひとり」。家に帰っても誰もいない。カレンダーだけが黙って次の日を指してくる。
ひとりで背負う「すべて」のプレッシャー
たとえば登記ミス。会社員時代なら先輩がチェックしてくれた。でも今は?誰も見てくれない。ミスしたら信用が地に落ちるだけじゃない。損害賠償だってありうる。お客さんとの信頼関係、仕事の継続、生活費――全部がかかってる。それをずっと、ひとりで背負い続ける。その重みを、開業前に知っておきたかった。
仕事の山と心の余白の奪い合い
「忙しい」とは言いたくないけれど、事実として常に何かに追われている。依頼が重なるとスケジュールが破綻するのは日常茶飯事。心の余裕がなくなると、人にも自分にも厳しくなってしまう。大人なんだから、と我慢していたら、心がどこか遠くに行ってしまったような感覚になる。誰も見ていないのに、ずっと見張られているような気分です。
忙しさに飲み込まれる日々
「今日は早めに帰ろう」と思った日に限って、16時過ぎに電話が鳴る。「今から相続の相談いいですか?」って。断れば別の事務所に行ってしまうかもしれない。結局その日は21時まで仕事。こんな日が何回あったか数えきれません。気づいたら夕飯がコンビニのおにぎりだけ、なんてこともしょっちゅうです。
時間は作るものと言うけれど
よく言いますよね、「忙しいは言い訳だ、時間は自分で作るものだ」って。でもその言葉を信じすぎると、休むことに罪悪感が出てくる。土日でも事務所に来て、書類の整理や下調べ。仕事が好きなんじゃなくて、そうしないと不安でたまらない。「ちゃんとやってる」と思ってないと、自分の存在価値すら怪しくなる。
趣味も人付き合いもフェードアウト
かつての僕は野球部で、草野球もたまにやってました。でも今はバットを握ることもほとんどない。誘いのLINEにすら返せないときが増えました。「また今度ね」が3年続いて、誰も誘わなくなった。仕事は生活の一部。でもいつの間にか、それが全部を飲み込んでしまってる。何のために働いてるのか、たまに本気でわからなくなります。
事務員がひとりだけという現実
ウチは事務員が一人だけ。頼れる存在ではあるけど、彼女だって人間だからミスもするし、休むこともある。結局、カバーするのは僕。シンプルに考えて、二人でやってる事務所に一人休んだら、もう一人の負担は倍になる。機械じゃないのに、処理能力には限界があります。
サポートしてくれる人が常にいるとは限らない
業務の繁忙期、年末調整の時期、登記の集中タイミング…こういう時こそサポートが必要なんだけど、たいていタイミング悪く体調不良になったり、家の都合で休んだりする。文句はないけど、「今じゃないんだよなぁ」とつい心の中で呟くことも多い。自分の感情を処理する時間さえも惜しくなる。
業務の属人化と引き継ぎの怖さ
事務員が一人で経理も書類も対応してくれてる。でも、急に辞められたら?マニュアル化しておけばいいって頭では分かってる。でも現実は、日々の業務に追われて「あとで」がずっと続く。気がつけば、彼女じゃないとわからない業務だらけ。僕自身も、「この処理どうだったっけ?」と焦ることがある。
誰かに頼ることが罪悪感になる
頼ることは悪くない。そう頭では思っていても、現実には「悪いな」「申し訳ないな」がついてくる。結局、自分で抱え込む癖がついてしまう。だからこそ、精神的にもどんどん閉じていく。頼れない環境にしているのは、もしかすると自分自身なのかもしれません。