地元の友達に連絡できなくなった日

地元の友達に連絡できなくなった日

連絡しようと思ったけどやめたその理由

ふとした瞬間に、「あいつ、元気にしてるかな」と思うことがある。スマホを手に取って、LINEを開いて、名前を探して――でも、送信ボタンを押せないまま画面を閉じる。その繰り返しだ。別にケンカをしたわけでもないし、嫌われたわけでもない。ただ、間が空きすぎた。言い出すタイミングを失った。そんな未送信のメッセージが、スマホの中にたくさん溜まっていく。

返信が怖くなってしまった自分がいる

最初はただ「また今度でいいか」だった。それが何ヶ月、何年と積み重なると、次第に連絡すること自体が怖くなってくる。返事が返ってこなかったらどうしよう。既読スルーされたら嫌だな。そんな考えが先に立って、動けなくなる。昔はあんなに気軽に連絡してたのに、今は何を送ればいいかも分からなくなった。昔のノリを出すには年を取りすぎたし、かといって真面目な話をするような関係でもない。中途半端な距離感が、なにより辛い。

既読スルーを恐れてスマホを見ない日々

未読より既読スルーの方が辛い。そんなことを思うようになってから、誰かに連絡することを避けるようになった。既読がついた瞬間、返事がこなければ、「ああ、もう俺は要らない人間なんだな」と勝手に落ち込んでしまう。自意識過剰だとは分かっているけど、どうしても気になってしまう。だから、スマホはただの業務連絡ツールになってしまった。

「どうしたの?」が今さら聞けない関係

昔の友達からの連絡が突然来たら、きっと「何かあったの?」と勘ぐられるだろう。それが嫌で、結局連絡できないままになる。「お前、どうした?」って聞かれるのが怖いのだ。本当はただ、「元気にしてるか?」と聞きたいだけなのに、その一言を言い出すのがこんなにも難しくなるとは、若い頃は思ってもいなかった。

地元に行っても誰にも会わないまま帰る

年末年始や盆休みに地元へ帰っても、友達に連絡することはない。実家で食事をして、近所を少し歩いて、それだけで戻ってくる。あの頃、駅前の公園でよく集まったメンバーとも、もう会っていない。SNSで近況は何となく知っているが、それだけだ。会わないまま、時間だけが過ぎていく。

駅前の風景だけが昔のままだった

久しぶりに地元の駅を降りたとき、街の風景は驚くほど変わっていた。なのに、なぜか駅前のコンビニだけは昔のままで、その光景に胸が苦しくなった。思い出がある分だけ、その変わらなさが逆に切なさを呼ぶ。誰かと過ごした時間が、まるで幻だったかのように思えてしまう。

会いたい気持ちよりも気まずさが勝つ

本当は会いたい。昔話をして、バカなことを言って笑いたい。でも、久しぶりに会うとなると、何を話せばいいのか分からない。近況を語るほど、こちらに話す内容がない。結婚もしていないし、特に変わった出来事もない。ただ働いて、疲れて、寝る。それだけの毎日を、誇れるわけもない。

独りで働くという選択肢が増やした距離

独立して司法書士として働くようになって、仕事に追われる日々が続いた。気づけば、地元の誰かと連絡を取る余裕すらなくなっていた。それは言い訳に過ぎない。優先順位の中に、「友達」が入らなくなっていたというだけの話だ。事務所の中には事務員がひとりいるだけ。雑談をする時間もなく、1日が過ぎていく。

事務員ひとりでは埋まらない寂しさ

事務員さんはとてもよく働いてくれるけれど、雑談相手ではない。ましてや愚痴を聞かせるわけにもいかない。結果、誰にも話せない気持ちがどんどん心の奥に溜まっていく。仕事の話ばかりの毎日。ふとした時に、「誰かに聞いてほしい」と思うけれど、その“誰か”がもういない。

愚痴を聞いてくれる相手が減っていく

昔は愚痴だって笑いに変えてくれる友達がいた。ああでもないこうでもないと、互いの仕事をけなし合って、最終的には「俺たち頑張ってるよな」って言い合えていた。でも今は、愚痴を口にすればするほど、みじめになってしまう気がする。独り言のような愚痴は、ただの虚しさだ。

元野球部の仲間ともキャッチボールができない

高校時代、野球部で汗を流していた仲間たちとも、連絡を取らなくなって久しい。あの頃は言葉なんか要らなくて、ボールを投げ合うだけで通じ合えていた。それが今では、会っても何を話せばいいか分からない。キャッチボールするにも場所がないし、誘う理由もない。

「またやろうぜ」って言ったのは誰だったか

卒業の時、「またいつか集まろう」と誰かが言った。その「いつか」は、結局やってこなかった。誰も悪くない。ただ、みんな忙しくなった。それだけのこと。でもその中で、気軽に「やろうぜ」と言える人間でいたかった。いつの間にか、自分も声をかけない側になってしまった。

気づけば仕事以外の話題がない

日々の生活の中心が仕事だけになると、人との話題が乏しくなる。世間話も、趣味の話も、流行りの話題も分からなくなる。司法書士の話なんて、一般人にしても通じないし、ウケもしない。結果、話せる内容が限られてきて、会話を避けるようになる。沈黙が怖くて、最初から何も話さない。

共通の話題がもう存在しない恐怖

結婚、育児、マイホーム、転職、親の介護――友達が話すことのどれも、自分には経験がない。聞いているだけで取り残されたような気分になる。「まあ、お前は自由でいいよな」と言われても、素直にうなずけない。自由な分、孤独を背負っていることを、言葉にできずに飲み込む。

結婚も育児も介護も話せない部外者

友達のSNSには、子どもの写真や旅行の様子があふれている。それを見ながら、「いいな」と思う自分と、「関係ないや」と思う自分がいる。結婚していない。子どももいない。親の介護もまだ先。共通項がなくなればなるほど、自分はただの部外者になっていく気がして、距離をとってしまう。

LINEの通知がこないことに慣れてしまった

昔は誰かから連絡が来るたびにワクワクしていた。でも今は、スマホが静かでも何とも思わない。むしろ、通知が鳴ると仕事の連絡かと構えてしまう。気づけば、プライベートなやり取りはほぼゼロ。通知がないのが普通になって、寂しさすら感じなくなってしまった。

静かなスマホが心を静かに蝕んでいく

音が鳴らないスマホ。そこに映るのは、業務アプリとニュースの通知ばかり。人と人とが繋がるはずのツールが、どんどん無機質な存在になっていく。自分の心の静けさが、まるでスマホの画面そのもののようで、どこか怖くなる。誰とも繋がらないまま日々が過ぎていく。

それでもまた誰かと繋がりたいと思う瞬間

どんなに面倒になっても、人との繋がりを完全に諦めたわけじゃない。ふとしたときに、もう一度だけ誰かに連絡してみようかと思う。ほんの些細な出来事でも、それがきっかけになることがある。もしかしたら、相手も同じように感じているのかもしれない。

小さなきっかけが孤独を溶かすこともある

たとえば、誰かの誕生日。たまたま目にした昔の写真。近くまで来たから、と寄った場所。それらが心の奥の繋がりを呼び起こす。結局、繋がりは「今さら」じゃなく「今こそ」だと思うようになった。もう一度、少しだけ勇気を出してみてもいいのかもしれない。

お土産ひとつで話ができたあの頃

昔は、旅行先で適当に買ったお土産ひとつで会話が生まれた。くだらない話でも、誰かと笑い合えた。そんなやり取りを、もう一度味わいたい。お土産じゃなくてもいい。思い出ひとつで、話せる相手がまたできたら、それだけで十分だ。

たった一言の「元気か」で十分だった

結局のところ、「元気か?」の一言があれば、それだけで繋がれる気がする。難しいことは要らない。長文のメッセージも、理由の説明もいらない。ただ、「元気か?」それがすべての始まりだったことを、思い出したい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。