慣れたふりが身についてしまった理由
「もう慣れました」と口にするたび、自分でも少し違和感を覚えることがある。だけどこの言葉、便利なんです。嫌なことがあっても、しんどいことが続いても、「慣れました」と言っておけば、相手も深く踏み込んでこない。僕のように地方の小さな司法書士事務所を一人で切り盛りしていると、毎日のようにトラブルも雑務も押し寄せてきます。いちいち感情を揺らしていたら、正直、持たないんですよね。そうやって気づけば「慣れたふり」を続ける日々が、もう何年も続いています。
最初は驚いていたトラブルにも無表情で対応
開業したての頃は、何かトラブルがあるたびに一喜一憂していました。登記に不備があれば焦り、クレームを受ければ落ち込み、夜眠れない日もありました。でも、今はもう違います。表情も変えずに淡々と処理する癖がついてしまった。むしろ、感情を込めるほうが疲れるようになってきたんです。先日も急ぎの書類がギリギリで届かず、お客様から「間に合わないじゃないか!」と怒鳴られましたが、心の中では「はい、またこのパターンか」と思うばかりでした。悲しいことに、これが慣れなんだと思います。
怒鳴られることもあるけれど
司法書士という仕事、思った以上に感情をぶつけられる場面が多いです。特に登記のような期限が絡む案件では、ちょっとした遅延や誤解が大ごとに発展します。中には怒鳴り声を電話越しに浴びせてくる人もいて、初めの頃は体が震えるほど緊張していました。でも今では「またか」としか思えません。怒鳴られても、怒っているのは仕事に対してであって、僕という人間に対してではない。そう思うようにしたら、心を守る壁が少しずつできてきた気がします。
理不尽は日常の一部になった
最初の頃は「これはおかしい」と感じていたことも、今では「まぁそういうものか」と受け流すようになりました。たとえば、明らかに依頼者側のミスで遅れた手続きを、なぜかこちらの責任にされる。誰かに話せば「それはひどいね」と言われるようなことでも、僕にとっては日常茶飯事です。そうなると、いちいち怒ったり悲しんだりするのがバカらしくなってくる。だから「もう慣れました」という言葉が自然と口から出てしまうんです。そうしないと、やってられないんです。
「慣れました」に潜む小さな諦め
「もう慣れました」という言葉には、どこか諦めのような響きがあります。決して前向きではない。けれど、それを否定されるのも少し違う気がするんです。毎日、山のような仕事と人間関係の板挟みに耐えていれば、「もう慣れた」と言いたくもなる。僕にとってそれは、ほんの少しでも心の負担を軽くするための、自己防衛的な言い訳かもしれません。だけど、その言葉の裏側には、まだ誰かに気づいてほしいという、淡い期待が残っているのも事実です。
心がすり減っても言葉でごまかす
本当はしんどい。疲れている。でもそれを表に出すと、仕事の信頼に関わるかもしれない。だから「大丈夫です」「慣れてます」って、無理にでも言い続ける。こうしているうちに、感情を表に出すことが難しくなってきました。最近では、ちょっと感情的な場面になると、逆にどう対応すればいいのか分からなくなるんです。感情を殺し続けた結果、自分の本音がどこにあるのかも見えにくくなってきた気がしています。
本当は誰かに聞いてほしいだけ
疲れたとか、つらいとか、誰かに言ってみたい。でも誰に言えばいいのか分からない。事務員さんに弱音を吐くのも違うし、友達はどんどん家庭を持って疎遠になっている。元野球部の同期とも、最近は連絡を取っていません。そんな中で「もう慣れました」とつぶやくのは、もしかしたら自分自身に向けた言葉なのかもしれない。「これくらい平気だろ?」って、自分に言い聞かせるための呪文。でも、それで救われる日もあるんですよね。
独り言のような返事に救いはあるのか
「もう慣れました」と言った瞬間、相手がホッとした顔をすることがあります。「ああ、この人は大丈夫なんだ」と。でも、それは本当に“安心”なのか、“放置”なのか。その境目は曖昧です。時には「慣れました」と言っておきながら、そのあと一人で事務所に残り、机に突っ伏して泣きたくなる日もある。誰にも届かない言葉を投げかけることで、少しだけ自分を支えている。そんな孤独が、この言葉には詰まっている気がします。
事務所を回すために必要な鈍感力
忙しさの中で、自分の感情をいちいち拾っていられない日々が続くと、ある種の“鈍感力”が求められるようになります。すべてを真に受けていたら心が持たない。言い返したいことも、涙が出そうな言葉も、ひとまず飲み込んで「はいはい」と受け流す。この対応力を身につけることは、生き延びるための技術なのかもしれません。ただ、その代わりに失っているものもきっとある。優しさなのか、自分らしさなのか。ふとした瞬間に、それが心に引っかかるようになりました。
全部抱えるのは当たり前じゃない
「一人で全部やってるんですか?」と驚かれることがある。確かに事務員さんはいるけれど、細かい調整や判断は僕がやらないといけない。事務所を回すためには、営業も事務も法務も全部こなさないと間に合わない。そんな毎日の中で、「もう慣れました」と口にするのは、自分の中のキャパを無理やり広げるための苦肉の策。でも時々、「当たり前じゃないんだぞ」と誰かに言ってもらいたくなる。自分を甘やかすわけじゃなく、ただ認めてほしいだけなんです。
一人雇っても増えるのは責任だけ
事務員さんを一人雇って少し楽になるかと思いきや、実際には責任の重みが増しただけだった気もします。教える側の負担、雇用する側のプレッシャー、そして失敗したときの最終責任は結局すべてこちらに返ってくる。彼女がいることで助かっている部分は大きい。でも、「ミスがあったら自分の責任」という意識が常につきまとう。そうなると、逆に気を張りっぱなしになるんですよね。「慣れました」と言って、気を抜くわけにもいかない現実がそこにあります。
休めない頭と止まらない現場
カレンダー上は休日でも、電話は鳴るしメールは飛んでくる。精神的に完全にオフになる瞬間がない。事務所を閉めたあとも、頭の中では「あの案件どうだったかな」「期限は大丈夫か」とずっと考えてしまう。気づけば、休日も平日も同じ服を着て、同じ顔で過ごしている自分がいる。休むって、どうやるんだったっけ? そんな感覚に襲われることもあります。「もう慣れました」なんて言ってる場合じゃないのに、それでも口に出してしまう。止まらない仕事と、それを受け止め続けるしかない現実があるからです。