思うように進まない日がある
司法書士として日々働いていると、どうしても気持ちが沈む日がある。朝起きて、今日はもう机に向かいたくないなと思う日。そんな日は別に珍しくない。特にひとり事務所だと、誰に気を遣うでもなくサボれてしまうから、なおさら立ち止まりやすい。だけど、そういう日があるからこそ、自分の中に何か変化が必要だというサインなのかもしれない。
朝からやる気が出ない理由
やる気というのは、実に不安定なもので、寝不足や天気、前日の嫌な出来事ひとつであっさりと失われる。僕の場合、依頼人との会話で少しでもトゲがあると、それがずっと尾を引いてしまう。何を言われたわけでもないのに「信用されてないのかな」とか、勝手に落ち込んでしまう。そして朝、パソコンを開く気力が湧かない。「今日はやめとくか」とつぶやく自分に、少しだけ自己嫌悪する。
目覚めた瞬間に感じる重さ
目が覚めたときに「ああ、また今日も仕事か」と思ってしまうことがある。これは本当に心が疲れている証拠だと思う。前夜に仕事のことを考えすぎたせいか、夢の中でも書類を探していたりする。たったひとりで事務所を回していると、全部の責任が自分にのしかかってくる。朝のこの重さをどう乗り越えるかは、毎日のちょっとした勝負だ。
仕事が山積みだと心が拒否する
書類の山、電話の対応、法務局への提出物…。どれも緊急ではないけど、放っておくと後々厄介になるものばかり。だからこそ、量が多いとそれだけで「もう無理」と思ってしまう。特に週明けの月曜はきつい。週末にゆっくり休めなかった日は、月曜の朝から脳が固まってしまう。無意識に「見なかったこと」にしようとしている自分がいる。
自分だけが取り残されているような感覚
SNSで流れてくる他の司法書士の投稿。「今日もご依頼ありがとうございます!」「〇〇件完了!」そんな投稿を見れば見るほど、自分は何をやってるんだろう…と落ち込んでしまう。実際には自分も頑張ってるはずなのに、比較する癖が抜けない。特に地方にいると、都会の司法書士が輝いて見えてしまう。そんなときは、自分のペースを見失いそうになる。
周りの司法書士が眩しく見える瞬間
ときどき、同業者のサイトやSNSを覗いてしまう癖がある。「この人、同年代なのにこんなに活躍してるんだ」「独立してからたった数年でここまでか」そんなことを思ってしまうと、胸がザワザワする。自分だって努力しているつもりだけど、ああいう成功をしている人を見ると、何か決定的に足りてないんじゃないかと不安になる。負けたくないけど、勝てる気もしない。
比べる癖が止められない
どうしても人と比べてしまう。それが数字でも、実績でも、見た目でも。司法書士って、黙々とやっていればそれでいいはずなのに、なぜか周囲の評価が気になって仕方ない。若いころからずっとそうだった。野球部でも、他のポジションのやつのほうが目立ってるとモヤモヤしていた。あの感覚は、大人になっても抜けないのかもしれない。
立ち止まった日の過ごし方
何もしたくない、頭が動かない、そんな日は無理に前に進もうとしないことにしている。ひとりで運営していると、誰かに怒られることもないぶん、自分が許さないと前に進めない。だから、立ち止まる日には、立ち止まること自体を選ぶ。散歩してみたり、喫茶店でぼーっとしたり。そうやって心のペースを戻すことも、僕にとっては大切な仕事の一部だ。
無理に元気を出そうとしない
「頑張れない日もあるよな」と自分に言ってあげるようにしている。元気が出ないのに「ちゃんとしなきゃ」と自分を追い込むと、かえって疲れが溜まるだけ。そんなときは、あえて家で好きな音楽を流して掃除だけして終わらせる日もある。意外と、そういう「何もしない日」が、翌日の原動力になっていたりする。何もしないことが悪ではないと、自分に許可を出す練習だ。
気持ちを落ち着けるルーティン
気持ちが不安定なときは、決まったルーティンをこなすだけでも少し安心する。僕の場合、朝にお気に入りの豆でコーヒーを淹れて、ラジオをつける。それだけで少しリズムが整う気がする。仕事は手をつけなくても、「生活している感覚」が戻ってくる。大きなことはできなくても、小さなことを丁寧にこなすと、気持ちがふっと楽になる瞬間がある。
一人事務所ならではの「休む勇気」
一人で事務所を運営していると、サボることに対する罪悪感がつきまとう。でも、だからこそ「今日は休もう」と決めるのは、自分にしかできない大事な選択でもある。スタッフがたくさんいる事務所では難しいことかもしれないけど、うちは違う。自分が潰れたら終わりなのだから、むしろ積極的に休むべきなのだ。そう思えるようになるまで、時間はかかったけれど。
昔の自分を思い出す時間にする
どうしようもない日は、少し昔の自分に会いに行くような気持ちで過ごす。高校時代、雨の日のグラウンドで泥だらけになっていた頃や、司法書士試験に落ち続けた頃。あのころは前が見えなくても、とにかく進んでいた気がする。今は立ち止まってしまったけれど、あのときの情熱は確かにあった。忘れたくないものを思い出すために、静かに過ごす時間が必要だ。
野球部時代の悔しさが支えになる
三年の夏、あと一歩で県大会出場を逃した試合。あのとき、ベンチで流した涙はいまでも忘れない。あの悔しさが、自分の中で「負けたくない」という気持ちを育ててくれた。司法書士の仕事は、野球と違って誰かと勝敗を争うわけではないけれど、あのときの気持ちはいまの踏ん張りどころで効いている気がする。負けを知っているからこそ、強くなれる。
負けたあとに這い上がった経験
司法書士試験に三回落ちたとき、「もう無理かもしれない」と思った。でも、最後の年、午前の部を終えて出たとき「いけるかも」と思ったあの感触が忘れられない。そして合格。あのとき味わった自信は、今でも自分の芯にある。だから、立ち止まっているように感じるときも、あのときの自分に「まだやれるよ」と言われている気がする。自分の中の記憶が支えになっている。