依頼人が現れた朝
朝イチで事務所の扉が開いた。年配の男性が、ややおどおどとした足取りで入ってくる。片手に分厚い封筒を抱えていた。 「父が亡くなって、遺産のことで相談を…」と彼は言った。机の上に封筒を置き、中からコピーを数枚引っ張り出した。 それは一見してごく普通の相続案件に見えた。しかし、僕の肩にのしかかるのは、眠気と胃もたれだけではなかった。
古びた登記簿のコピー
封筒から出された登記簿謄本は、昭和の香りがするような紙質だった。手書きの時代の名残が、所々に見え隠れしている。 「この土地、父が生前に所有していたはずなんです」と依頼人は言ったが、名義はなぜか父一人ではなかった。 一ページ目から僕の頭の中に「いやな予感」という文字がちらつき始めていた。
相続人が多すぎる問題
記載されていた共有者は、依頼人の父以外に3人。いずれも名字が違う。さらにその中の1人は、すでに30年前に亡くなっていた。 「これは…登記が更新されていませんね」と僕は言いながらも、嫌な汗が背中を伝うのを感じていた。 古いままの登記簿は、まるで過去の影が今に染み出すような、不気味な気配を放っていた。
サトウさんの冷静な分析
「つまり、名義変更が一度も行われずにそのまま放置されていたってことですね」サトウさんがそう言って腕を組んだ。 僕は頷くが、どうにも頭の中がすっきりしない。なにか、大事なことが抜け落ちているような気がする。 そんな時、サトウさんは画面を指差して言った。「この持分比率、計算が合いませんよ」。
塩対応でも冴えわたる頭脳
彼女が指摘したのは、4人の共有者のうち1人だけ、妙に比率が小さいという点だった。 「この人、名義だけ貸した可能性ありますね」その発言に僕は目を見開いた。 そう言えば、依頼人の父だけ、実際にその土地を管理していた形跡がある。表に出ない取引があった可能性は否定できない。
不自然な共有持分の分配比
サトウさんが手早くスプレッドシートを立ち上げ、持分比率の合計を電卓で再計算し始める。 「やっぱり1パーセント合いません。誰かが帳尻を合わせていない」彼女は静かにそう言った。 まるでコナンの灰原哀のように、淡々と核心に迫るその様子に、僕は軽く背筋が寒くなった。
現地調査と消えた名義人
とにかく現地を見に行こう。僕は軽自動車に飛び乗り、土地があるとされる郊外の集落へと向かった。 道中、何度もサイドミラー越しに誰かの視線を感じたのは、気のせいだと思いたい。 現地に着くと、そこには荒れ果てた空き家がポツンと佇んでいた。
空き家になったはずの家
雑草は胸の高さまで伸びていたが、郵便受けには新しいチラシが差し込まれていた。 「誰か、最近までいたな…」僕は玄関の方へ足を進めた。ガラス越しに室内を覗くと、家具がきちんと並んでいた。 空き家じゃない。誰かが住んでいる、あるいは住んでいた形跡があった。
郵便受けの中の手紙
郵便物の中に、最近の日付の封書があった。宛名は名義人のひとり、30年前に亡くなったはずの人物だった。 「死んだ人に手紙は来ない」僕の中で、何かが繋がり始めていた。名義が死んでいないということは…? その場でスマホを開き、法務局の登記オンラインにアクセス。そこには更新されていない登記が、まだ残っていた。
僕のうっかりとカフェの男
町に戻る途中、例の資料を忘れたことに気づいてコンビニに立ち寄る。 レジに並ぶと、僕の前にいた男が、依頼人と同じ苗字で荷物を受け取っていたのを偶然目にした。 その男が手にしていたのは、土地の売買契約書の写しだった。
いつも通りの凡ミス
「やっべ、あれ今すぐ事務所に送ってって言われてたんだった…」僕は自分のミスに気づき、うなだれた。 それでも、そのミスがきっかけで、謎の男の存在に気づけたのだから、人生は皮肉である。 やれやれ、、、まるでサザエさんが買い忘れに気づいて三丁目まで引き返す回みたいだ。
だが偶然が事件を引き寄せる
事務所に戻り、調べを進めると、その男は依頼人の異母兄弟であることがわかった。 しかも、亡くなったはずの共有者の息子として、自ら登記の更新を止めていた節がある。 売るために、あえて放置していたのだ。そして、名義人として父を演じ続けていたのだった。
サザエさん方式の気付き
登記簿を見直していて、ある日付に違和感を持った。 それは依頼人の父が亡くなった翌日に、ひとつだけ変更されていた附記だった。 「どうしてそのタイミングで?」と僕が呟くと、サトウさんは言った。「サザエさんでよくあるやつですよ」。
誰かが誰かを演じている
そう、実は亡くなった人物のふりをしていた者がいた。郵便物を受け取り、税金も支払っていた。 「これ、詐欺ですよ」サトウさんが言う。「でも、登記が古いままだったからこそ、誰も気づかなかった」 つまり、偽装を成立させるために、あえて“更新しない”ことが肝だったということだ。
登記に残された一つの嘘
「この附記、筆跡が違う」僕は気づいた。名義人本人の署名ではなかったのだ。 サトウさんがこっそり笑った。「司法書士のクセ字って、案外覚えやすいんですね」 やれやれ、、、またしても事務員に手柄を持っていかれたか。
すべてのピースが揃った瞬間
警察に通報し、調査が進められた。男は、父の死を隠して名義人を偽り、不正に土地を売却しようとしていた。 すべては古い登記を悪用した仕組まれた罠だった。僕たち司法書士は、登記という小さな証拠からそれを見抜いた。 地味だけど、こういう地味さが事件の本質を浮かび上がらせる。
登記簿が証人だった
事件が終わった後、僕はあらためて登記簿を見返した。そこには、すべてが記されていた。 過去の所有権、変更の履歴、そして、誰が何をしようとしたのかまで。 「記録って、やっぱり裏切らないな」そんな独り言が、いつものように誰にも届くことはなかった。
やれやれまたこんな展開か
片付いた事務所で、コーヒーを飲みながら僕はつぶやいた。 「やれやれ、、、どうせまた、事件なんてそうそう起こらないと思ってたんだけどな」 するとサトウさんが、書類の束を手に言った。「次の依頼人、10分前から待ってますよ」。