午前九時の来客
封筒の中の違和感
曇りがかった朝、事務所のドアがいつもより硬く鳴った。封筒を持った中年男性が、疲れきった顔で腰を折るように椅子へ沈み込む。
差し出された封筒の表には「債権者名簿」と書かれていたが、妙に厚みがある。中を確認すると、見慣れたテンプレートにしてはページが足りない気がした。
「君、これ、全部揃ってるつもりですか?」と聞くと、依頼人は曖昧に笑うだけだった。
債権者一覧に足りない一人
一覧を見てすぐに違和感が走った。債務者の元会社には少なくとも五社が取引先だったはずだが、名前は四つしかない。
抜けているのは、確か最近登記変更の相談に来ていたあの会社だ。偶然のはずがない。
「やれやれ、、、」思わず口をついて出た。こういう不自然な“空白”が、結局一番面倒を呼び込むのだ。
依頼人の素性
旧家の長男が抱える借金
依頼人は地域では名の知れた旧家の長男で、家を継いだはずが数年前に事業に失敗したという噂があった。
それでも表面上は立派な顔を保っているが、借金の取り立てが水面下で進んでいるらしい。
だが彼の話は曖昧で、どの債権者にいくらあるのか、何かを隠しているようにも見えた。
差押え前夜の不審な動き
その晩、差押え寸前の土地に謎の車が入ったという情報が入った。
土地には登記変更の動きもないはずなのに、なぜか資料の一部が新しい型式で作成されていた。
夜中に誰かが法務局に忍び込みでもしなければ、こうした改ざんは起こりえないのだが。
サトウさんの冷静な指摘
帳簿の矛盾を見抜く目
翌朝、サトウさんが机に置かれた帳簿を見て眉をひそめた。「これ、先月のと数字が微妙に違います」
たった数千円のズレだが、彼女が示したのは、他の債権者よりもひときわ多く支払いがされていた記録だった。
「この優遇、なにか意図的な匂いがしますね」と彼女は淡々とつぶやく。
後順位債権者のくせに焦りすぎ
本来、後順位にいるはずの債権者が一番に取り立てに動いていることが不可解だった。
しかも通知書の出し方が不自然で、まるで時間を稼いでいるようにも見える。
「誰か、他の債権者を隠してるんでしょうか?」サトウさんの言葉に、心当たりが浮かび上がる。
調査のはじまり
管轄法務局での奇妙な記録
古い登記簿を確認するため、法務局へ足を運んだ。
そこには先週付けで変更された登記が記載されていたが、提出者の名前が筆跡的に明らかに違っていた。
委任状には確かに依頼人の印影があったが、それが妙に“きれいすぎる”のだ。
名義人変更届の謎
名義変更届は電子申請だったが、ログイン情報が第三者のものだったことが判明する。
関与者は、以前依頼人の事業再建を手伝ったコンサルの名前。なぜ彼が?
まるで、誰かに成り代わって操作されたような跡がそこにあった。
すり替えられた通知書
債権者装う何者かの正体
封筒の宛名に使われた印刷体が、他の四通と微妙に異なっていた。プリンタの型番まで調べたサトウさんが静かに言った。
「この通知書だけ、事務所のものじゃないですね。コンビニ印刷です」
つまり、この“債権者”は、別人が仕立てた影武者というわけだ。
逆転の書類確認
原本保管とコピーの罠
依頼人の持っていた資料の中に、本来は事務所に保管されているはずの原本が含まれていた。
誰かがこっそり事務所に入り、コピーではなく原本を差し替えたのだ。
しかもその内容には、サインの下に小さく書かれたイニシャルが、まったく別人のものを示していた。
偽造の痕跡
印影の違いに気づいた瞬間
司法書士である自分にとって、印影の違いに気づくのは職業病のようなものだ。
古い書類と今回提出された登記資料を見比べると、朱肉のにじみ方が明らかに違う。
「こいつ、、、ゴム印を使ったな」そう確信したとき、全てのピースが揃った。
サトウさんの突き放す一言
「先に気づくべきでしたね」
事件の全容を説明したあと、サトウさんは資料をまとめながら、きっぱりと口にした。
「まぁ、司法書士として気づけたのがせめてもの救いですけど」
ああ、まただ。こうやって毎回、言い返せないままにされる。やれやれ、、、。
債権者の顔を暴く
嘘の住所から辿る関係図
虚偽の通知書に記載されていた住所をGoogleストリートビューで調べると、そこは更地だった。
さらに過去の登記を追うと、件のコンサルが一時所有していたビルの住所に変遷していたことがわかる。
つまり、彼は債権者になりすまし、資産の取り込みを狙ったのだ。
真犯人の動機
遺産よりも恨みが深い
元依頼人の父親が、件のコンサルを裏切って破産に追い込んだ過去があった。
今回の偽装は復讐だったのだ。債務者に優先して資産を奪い、自らの被害を“回収”するという強引な手段。
そしてそれが、登記制度の“抜け穴”を使って実行されようとしていた。
最後の書類提出
訂正登記とひとまずの平穏
訂正登記を出し直し、法務局も事情を把握。偽装は未遂に終わった。
依頼人には「この件、あんまり大ごとにしたくない」と頼まれたが、最低限の通報義務は果たした。
サトウさんはいつも通りの淡々とした態度で、机を片付けながら「さて、次の案件ですね」とつぶやいた。