台帳に沈んだ声

台帳に沈んだ声

朝の来客

台帳閲覧に訪れた男

朝一番、まだコーヒーの香りが漂ううちに、事務所の扉がガラリと開いた。男は60代半ば、スーツの肩にほこりが乗っていた。土地台帳を閲覧したいと言う。やけに目が泳いでいたのが気になった。

「台帳を見たい理由は?」と訊くと、「ちょっと昔の土地のことが気になって…」と歯切れが悪い。普通の相談者とは明らかに違った。直感が、何か面倒なことになる予感を告げていた。

やれやれ、、、また厄介なことが始まりそうだ、とため息をついた。

どこか怯えた様子

男の目は台帳の一ページに釘付けになった。ある地番に視線を落とし、手が震えている。「この土地、まだ…誰かのものなんですか?」と尋ねてくる。言い回しが変だ。自分が知らないとおかしいような言い方だった。

「これは昭和18年の台帳ですね。名義人は…」と説明しかけた時、彼は急に立ち上がり、「もういいです」と言って去っていった。話はまだ始まってすらいないのに。

妙に胸騒ぎがした。サザエさんで言えば、波平が急に髪を逆立てたような感じだ。

旧土地台帳の謎

戦前の筆跡が語るもの

サトウさんが静かに言った。「あの男、何かを隠してますね」。いつものように感情の起伏のない口調だったが、その目は鋭かった。台帳には戦前の筆跡が並んでおり、墨のにじみすら読み取れる。

そこには、他の欄には見られない「売買未登記」の朱印が残っていた。普通は買主の名が次に続くはずだが、それがない。何かが途中で止められたような印象を受けた。

司法書士の勘というより、野球部のセンスで言えば、これは試合前からのサインミスのようなものだ。

消された地番の存在

さらにおかしな点があった。隣接地の台帳にはその地番が載っていない。つまり、公図上も登記簿上も、その土地の存在が途中から宙に浮いている。あたかもその土地だけが歴史から消されたかのようだ。

「地番飛びですね。でもこれは意図的にやらないと起きません」とサトウさん。明らかに人の手が加えられている。これは、偶然じゃない。誰かがその土地の痕跡を消したがっていた。

ここからは、ちょっと怪盗キッドの出番かと思うほどの仕掛けが必要そうだった。

法務局での違和感

なぜか紛失していた原本

念のために法務局へ赴いた。原本綴りを確認させてもらうが、肝心のページだけが抜けていた。古い台帳に限っては、まれにこういうこともあるが、今回は「たまたま」と片づけられない雰囲気があった。

職員に尋ねても「最初から無かったと思いますよ」と言うばかりだ。だが、その言葉にはどこかぎこちなさが残っていた。情報の空白。それは何かを語っている。

まるで黒の組織が記録を改ざんしたような、妙な緊張感が走った。

登録ミスか意図的な改ざんか

再度戻って確認すると、やはり何かが消されている。名義の移転履歴も一部抜けていた。あるはずの記録がごっそり無い。「登記官が間違えた可能性もゼロじゃないが…」と口にしつつも、心は既に確信していた。

これは故意だ。誰かが記録を消した。問題は、それが誰なのか、そして何のためか。土地はただの不動産ではなく、人の感情と意志が刻まれる器なのだ。

僕の職業柄、そういう事例は山ほど見てきた。

相続人の影

名前だけの登記

不動産登記簿に現れる名義人は、昭和30年代に死亡していた人物だった。しかも、その後の相続登記はなされていない。戸籍を辿ると、息子がいたが、行方不明となっていた。

「名義だけ残して、あとは空白…相続人が権利を放棄したようにも見えますね」とサトウさんが言う。だがそれにしては不自然だった。残された名義の意味が見えてこない。

あまりにも雑に放置されている。誰かが意図的に“放置したように見せている”可能性を感じた。

数年前に死亡したはずの被相続人

ところが、別の資料に記載された“被相続人”が、最近の医療記録に名前があった。まさかの生存説。いや、同姓同名の別人か? 戸籍に戻って精査する必要があった。

しかし、医療記録にあった住所が、問題の地番に極めて近い。単なる偶然だとは思えなかった。誰かが、名前を使って“何か”をしている。目的は土地の保有か、それとも売買履歴の隠蔽か。

迷宮入り寸前のような臭いが立ち込めてきた。

サトウさんの推理

地目の変遷に隠れた手がかり

「先生、気づきました?」サトウさんが開いた法務局の地目変遷記録。そこには農地→宅地→雑種地と、短期間で変わった履歴が記録されていた。特に注目すべきは“農地”から“宅地”への転用の時期だった。

昭和42年、土地基本台帳の大整理が行われたタイミングだ。このとき多くの土地が実体と合わなくなっていた。つまり、帳簿の空白を逆に利用した可能性がある。

誰かが混乱を利用して、この地番を“自分のもの”にしたのではないか。

図面に浮かぶ一つの矛盾

古い公図を重ねていくと、現在の地図と1メートルほどズレていた。「なんでこんなことに?」僕が言うと、サトウさんが冷たく返す。「多分、誰かが塀をずらしたんです。実測と違うのはそれが原因」

つまり、その土地は“移動”していた。公的にはそこに存在しているが、実体は隣地に寄せられている。誰かが自分の土地を拡げたわけだ。

この発想はまさに、ルパン三世が建物ごと盗むトリックに近い。

シンドウのうっかり

申請書類の誤記が生んだ偶然の発見

登記の申請書を作成中、地番を一つ間違えた。それを見ていたサトウさんが「あ、それ違いますよ」と呆れ顔。でも、その間違った地番が、件の失われた地番と接していた。

地番間違いから表示登記の附属資料を見直した結果、そこに旧所有者の署名が残っていた。これが決定打だった。やはり、存在は消されていなかったのだ。

うっかりも、たまには役に立つ。元野球部の“見逃し三振”が、実は試合を決めたってこともある。

事務所での再検証

古い抵当権の登記簿謄本

さらに確認を進めると、昭和46年の抵当権設定登記が現れた。しかもその債権者は、あの朝来た男と同じ名字だった。親族か? それとも本人か?

当時の印鑑証明も添付されており、確かに登記は有効だった。が、返済記録がない。これは、登記が残されたまま債権だけが時効を迎えているパターンだった。

そこに残された記録が、すべての経緯を繋げる糸となった。

所有権移転登記の不自然な空白

抵当権が抹消されないまま所有権が移っているのは不自然だ。しかも、登記原因が“贈与”となっていた。税務署にも記録がない。これは完全に闇取引の匂いがする。

その後、名義が相続を経ず、いきなり第三者へ移っていた。偽造書類か、本人による筆跡模写か。少なくとも、誰かがこの土地を乗っ取るために一連の操作を行っていたのは確かだった。

地元の古老の証言

終戦直後の土地売買の噂

昔からの町内会長に話を聞いた。「あそこはな…戦後、誰が持ってるのかよくわからん土地だったよ」

どうやら当時、無番地のまま使用されていたらしい。所有の認識は曖昧で、登記だけが残された幽霊のような土地だった。戦後の混乱に紛れて、記録だけが宙に浮いてしまったのだ。

一通の遺言書の存在

町内会長の家から出てきた古い封筒の中に、「誰にも渡すな」とだけ書かれた遺言書の写しがあった。実印もあり、有効と判断できる内容だった。問題の土地は、戦友に譲ると書かれていた。

これが誰かにとって都合が悪かったのだ。だから、抹消された。全てはその一文を消すために動かされた可能性がある。

真犯人の意図

遺志を隠したかった人物

最初に来た男は、戦友の孫だった。そして、祖父が土地を譲ったという証を残した遺言書を見つけてしまった。しかし、それを表に出せば、現在土地を利用している人物が困る。

だから彼は迷っていた。そして、我々に相談した。だが、自分の手では真実を暴けないと判断したのだろう。

相続登記が語るもう一つの動機

結局、相続登記は完了せず、現在の使用者は赤の他人だった。登記を追うことで、表に出た「正当な所有者」は存在しないことが証明され、土地は法定相続人に帰属することとなった。

我々は登記名義を回復することはできたが、真犯人が誰なのか、それは結局曖昧なままだった。

静かな結末

土地が語った最後の声

誰もが忘れていた土地。だが、そこには確かに遺志があり、声があった。台帳に沈んだその声を、ようやく掘り起こすことができた。

「土地って、怖いですね」とサトウさんがぼそり。僕は答えずに、冷めたコーヒーをすするだけだった。

サトウさんの小さなため息

「次からはもうちょっと単純な案件をお願いします」と言いながら、彼女は書類をシュレッダーにかける。その姿はいつも通り淡々としていた。

やれやれ、、、僕はまた、少しだけ老けた気がした。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓