午後三時の来訪者
事務所の壁掛け時計が「カチカチ」とリズムを刻む中、扉が静かに開いた。見るからに無表情な女性が一人、スーツ姿で現れた。色味のない顔と、無駄のない動作。まるで、アニメ『ルパン三世』に出てくる銭形警部が女になったような雰囲気だった。
「婚姻届の確認をお願いしたいんです」 そう言って彼女が差し出したのは、どこか違和感のある封筒だった。やれやれ、、、今日は登記じゃないのか。
封筒の中の違和感
広げた書類には必要な項目がすべて揃っていた。が、妙に整いすぎている。欄外には「恋愛感情は不要」という一文がさりげなく添えられていた。婚姻の動機にこんな文言、聞いたことがない。
「形式上の結婚です」と、彼女は淡々と言う。まるで役所の窓口職員のような抑揚だった。だが、形式上で済むには書類が過剰に練られすぎている。
名前だけの婚姻届
私は署名欄を凝視した。どちらの名前も、どこかで見覚えがある。ようやく思い出したのは数年前の遺産分割協議書だった。彼は当時、「財産なんていらない」と言っていた男だ。
恋愛感情を否定したこの婚姻届は、つまり感情抜きで財産を操作しようとするものなのか? 人は書類の中に本音を隠すものだ。今度も例外ではなさそうだった。
サトウさんの沈黙
サトウさんが、いつものように私の隣で無言を貫いていた。しかし、視線だけは鋭い。机の角を指先で叩いてから、ぽつりと呟いた。「これ、たぶん保険金ですね」
冷静な目で事件を見る彼女は、まるでコナンくんだ。私は目暮警部あたりか、、、いや、あれは老けすぎか。やれやれ、、、サトウさんに頭が上がらない。
恋愛感情は不要と記載あり
「恋愛感情は不要と記載あり」という文言は、婚姻の真意を遠回しに告白していた。書類は正しくとも、心が正しくないなら、それは偽りだ。私はその場で受付を断った。
「これは司法書士の範疇じゃない」と言いながら、私は封筒をそっと返した。が、何かがまだ引っかかっていた。
言葉を選ぶ女
彼女の言葉の選び方が妙に慎重だった。「不要」とは言っても、「ない」とは言っていない。つまり、感情を排除したいという強い意志がそこにあった。誰かを守るために。
「あなた、彼を助けようとしてる?」と問うと、彼女の目が一瞬だけ揺れた。だがすぐにまた氷のような視線に戻った。まるでワカメちゃんがフネに怒られた時のような顔だった。
登記に残る矛盾
私は法務局のデータベースを開き、婚姻予定の男性名を検索した。すると、1ヶ月前に不審な贈与登記がなされていた。しかも、受贈者は今日来た女性だ。
「感情はいらない」という言葉とは裏腹に、書類たちは彼女への“何か”を叫んでいた。それは、金だったのか、それとも本当に愛だったのか。
嘘と本当の境界線
贈与が事実ならば、遺言よりも先に効力があるかもしれない。彼女はそれを知っていた。愛を否定することで、証拠を消そうとしていたのか? それとも、愛を証明したくなかったのか?
どちらにしても、彼女の言葉は矛盾だらけだった。でも、私たち司法書士は矛盾の中から真実を探す仕事だ。
財産目当ての影
男にはすでに別の相続人がいた。彼女が受け取った贈与は、争いの火種になっていた。その火を消すために「恋愛感情は不要」としたのかもしれない。だがそれは、法ではなく演出だった。
「これ、偽装かもしれませんね」 サトウさんの冷ややかな声が空気を切った。やれやれ、、、また厄介な案件になりそうだ。
元夫のアリバイ
元夫――つまりその男は、1週間前に自宅で倒れたと記録されていた。ところが、入院記録には「同伴女性あり」とある。名前は伏せられていたが、彼女に違いない。
彼は死を覚悟して彼女に財産を託したのか。それとも、復縁という名の契約で偽装を仕組んだのか。どちらにしても、普通の恋愛ではなさそうだった。
戸籍に潜む穴
戸籍をたどると、彼らは一度も正式に結婚していなかった。婚姻届も提出されず、共に住んでいた証拠もない。書類に書かれた名前だけが、二人の関係をつなげていた。
これは“愛を演じる”ための帳簿の魔法だ。演劇でいうところの“立ち回り”だ。登記の現場も舞台なのかもしれない。
サザエさん的どんでん返し
事件の核心は、感情がないことではなかった。むしろ、感情が強すぎるがゆえに、それを排除した形にしたのだ。最後に出てきた本物の遺言書には、「全財産を彼女に遺す」と手書きされていた。
それを彼女は隠していた。愛を証明しないために。まるでカツオがわざと宿題を忘れるように、わざと証拠を欠いたのだ。
やれやれ、、、この結末か
封筒は破られ、婚姻届は提出されずに終わった。彼女は何も言わず、静かに席を立った。私はただ一言、「もう、二度とこんな愛し方はするなよ」と呟いた。
「やれやれ、、、」 いつもの口癖が自然と漏れた。登記簿は何も語らない。でも、人の心はいつも余白に宿る。
契約と感情の交差点
法と感情が交わるとき、そこには必ず葛藤がある。それを読み解くのが、我々の仕事だ。登記とは、ただの記録じゃない。人生の嘘と本音を映す鏡だ。
やれやれ、、、また一つ、人の複雑さを知ってしまった。今日も、机の上には未処理の登記申請書が積まれている。
サトウさんの優しさ
「お疲れさまでした、シンドウさん」 サトウさんが、いつになくやわらかい声でそう言った。私は一瞬だけ驚いたが、すぐに気づいた。彼女もまた、心を隠しているのだ。塩対応の下に。
やれやれ、、、それが一番の謎かもしれない。