登記完了より先に心が折れる

登記完了より先に心が折れる

なぜ「登記完了」より先に心が折れるのか

司法書士という仕事は「登記が完了すれば終わり」と言われることが多い。でも、実際にこの業務を担っている身としては、完了通知が出る前に心が折れてしまいそうになることが少なくない。書類の不備、予期せぬ補正、依頼者の気まぐれな変更。地方の小さな事務所で、ひとつひとつの案件が精神的な重圧となってのしかかってくる。最近では、登記の作業そのものよりも、それを取り巻く環境や人間関係のほうがずっと消耗する原因になっていると感じるようになった。

一件の登記に潜む見えないストレス

登記の申請書を出すまでの過程は、まるで地雷原を歩いているようなものだ。必要書類を一通一通確認し、依頼者と何度もやり取りし、やっとの思いで準備を整える。それでも法務局に出せば何かしら指摘される。完璧だと思っていたのに「印鑑証明書の日付が3ヶ月超えてます」とか「この委任状では不十分です」とか。そんな些細なことが大きな補正になって返ってくるたびに、精神的にガクンとくる。小さなミスでも、それが積もると心のエネルギーがごっそり削られていくのだ。

「書類が揃えば終わり」なんて幻想

書類さえ全部揃えば、後は出すだけ――そう思っていた時期が私にもあった。しかし現実はそんなに甘くない。揃っていたと思った書類が、実は微妙に不備だったということがよくあるし、法務局の担当者によって判断が違うこともある。昨日は通った内容が、今日はダメになる。地方にいても例外じゃない。毎回、提出後の「補正通知が来ませんように」と祈る時間が続く。書類が揃った瞬間は達成感よりも、これからが本当の地獄かもしれないという不安に襲われる。

完了までの道のりは感情との闘い

仕事は機械的に進めればいい、なんて言葉は通用しない。登記業務は、感情をどうコントロールするかの闘いでもある。完了通知を受け取ったときの安心感は格別だが、それにたどり着くまでの道のりで何度も心が折れそうになる。夜中に目が覚めて「あの書類、大丈夫だったかな」と不安になることもある。毎日が小さな不安と期待の繰り返し。感情を無にできれば楽かもしれないが、それができないからこそ、この仕事に心が削られていく。

補正通知がもたらす精神ダメージ

補正通知が届くと、まず「やってしまった…」という自己嫌悪が押し寄せる。そのあとに「またか…」という疲労感が来る。たった1枚の訂正で済むことでも、その背後には自分の判断ミスや確認不足がある。依頼者にも謝罪しないといけない。何よりも、自分の中で「また信頼を落としたんじゃないか」という気持ちが重くのしかかる。業務の中ではよくあることと頭ではわかっていても、気持ちはついていかない。

電話の着信音にビクビクする日々

法務局からの電話――それが今でもトラウマのように心に響く。スマホが鳴るたびに「また補正の連絡か?」と身構えてしまう。実際には他の用件であることも多いのだが、一度でも補正の連絡を受けると、その音が条件反射的にプレッシャーを与えるようになる。これが続くと、電話に出るのが怖くなり、気づかないフリをしたくなる時さえある。そんな自分がまた情けなくて、さらに落ち込むという負のスパイラル。

法務局とのコミュニケーション地獄

地方の法務局とは、顔見知りの関係になりやすい。その分、気を使う。たとえば「この間もミスしてたな」なんて内心思われてるかも…と疑心暗鬼になる。担当者によって言うことが違うのも日常茶飯事。「この形式でOK」と言われていたものが、別の担当者だと「それはダメです」と言われる。こちらとしてはどうしていいかわからない。確認を重ねても、最後には「自己責任でお願いします」。もう、どこに気持ちの落とし所を持っていけばいいのか、正直わからない。

地方司法書士の孤独と現実

都会の事務所のようにスタッフも複数いて、分業ができる環境とは違い、地方ではすべて一人で抱える場面が多い。事務員はいてくれる。でも、心の支えになるかというと、それはまた別の話だ。愚痴も言えず、相談しても専門的なことは伝わらない。結局、自分で抱え込むしかないのだ。誰にも頼れない日々が続くと、徐々に気力が削られていく。人とのつながりが少ない地方では、その孤独感がより一層濃くなる。

事務所に響くのは自分のため息だけ

午後3時を過ぎたころ、ふと気がつくとため息ばかりついている。誰かに聞かれるわけでもないし、気を使う相手もいない。静まり返った事務所に響くのは、自分のタイピング音とため息だけ。心が折れる音って、きっとこういう静寂の中に混じってるんだろうなとふと思う。笑い声のない職場は、やっぱりどこか冷たい。誰かと冗談を言い合える環境がちょっとだけ羨ましくなる。

事務員がいても心のよりどころにはならない

ありがたいことに、うちの事務員は真面目でよく働いてくれる。ただ、それとこれとは別。日々の精神的な疲れや不安、孤独感を埋めてくれる存在ではない。仕事上の連携は取れていても、心の内側までは共有できない。こちらも「愚痴ばかり言って嫌われたくない」という気持ちがあって、言いたいことが言えない。結局のところ、誰かがそばにいるだけでは、本当の意味で孤独は癒されないのかもしれない。

「登記が終われば楽になる」は本当か?

よく言われる言葉だ。「登記さえ終われば、ひと安心」。でも本当にそうか? 実際には、終わっても次の案件が待っているだけ。安堵の時間は一瞬で、すぐに次の波が押し寄せる。しかも、次のほうがもっと厄介なことも珍しくない。まるで終わらないマラソンをしているような感覚だ。ゴールが見えたと思ったら、それは次のスタート地点だったというオチ。

終わっても次がある無限ループ

ひとつの案件が完了しても、その安心感に浸れる時間はほとんどない。たいていは、「やっと終わった…」と思ったその日に、新たな案件の電話が鳴る。土日も関係ない。終わりなきループの中で、「いつまで走り続ければいいのか」と、ふと立ち止まりたくなる。だけど止まると収入が止まる。そう思うと、結局また走り出してしまう自分がいる。

休みたくても休めない現場の現実

身体は疲れている。心も擦り切れている。それでも「今は忙しい時期だから」「この仕事だけは片付けないと」と自分に言い聞かせて働き続ける。気がつけば、休日らしい休日が何ヶ月もない。出かける気力もなく、外食すら億劫になる。心が休まらないまま、次の月が始まる。これが司法書士という仕事の、現実だ。

折れそうな心とどう付き合っていくか

完全に折れてしまったら、もう立ち直れない気がする。だから、折れそうなタイミングで何とか心を保つ術を身につけるしかない。深呼吸する、小さなご褒美を用意する、誰かに話す。どれも気休めかもしれない。でも、それがなければ、この仕事を続けていくことはできない。司法書士という仕事は、強い人間だけが続けられるわけじゃない。弱さとどう向き合えるかが、続けられるかどうかの鍵なんだと思う。

誰にも言えないから余計にきつい

「愚痴をこぼす相手がいない」――これは本当に堪える。周りには同業者も少なく、相談できる仲間もいない。SNSでつぶやけば誤解されるし、依頼者には本音を言えない。事務員にも気を遣う。そうして心に溜まったものは、結局自分の中でくすぶり続ける。時には「なんのためにやってるんだろう」と思うことすらある。それでも、誰にも言えないまま、また次の日が始まる。

モテない人生と、折れそうな心の重なり

自虐かもしれないが、結婚もせず、恋愛とも無縁の人生を送ってきた。支えてくれる人がいないことが、仕事のストレスと絶妙に重なってくる。誰かに「大変だったね」と言ってもらえるだけで、だいぶ違うんだろうなと思う。けれど現実は、自分の機嫌は自分で取るしかない。独り身であることのつらさを噛み締めながら、今日もひとり、書類と向き合っている。

それでも辞めない理由とは

こんなにつらくて、どうして辞めないのか? 自分でもよくわからない。でも、たぶん自分にはこれしかないという気持ちがあるからだ。やりがいを感じる瞬間も、たまにはある。依頼者からの「ありがとう」や、スムーズに進んだ案件の達成感。そんな小さな光を頼りに、今日もなんとか立ち続けている。心が折れそうになっても、完全に折れないように。そんな毎日の積み重ねが、司法書士としての人生を支えているのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。