線を越えた真実
朝の電話は境界の香り
朝一番、うるさいファックスの音に続いて、固定電話が鳴った。着信表示には「マルオカ」とだけ表示されている。嫌な予感しかしない。案の定、地元の農家から「境界がおかしいんですよ」との相談だった。
「隣のやつが、勝手に杭を動かしてると思うんですわ」と、電話の向こうでマルオカは憤っていた。境界トラブルというのは、大体が記憶と感情と古い杭との戦いだ。
田んぼの真ん中にある杭
現場に行くと、田んぼの中に赤く塗られた木杭が刺さっていた。いかにも素人仕事。しかも少し斜めになっている。サトウさんが横でぽそっとつぶやいた。
「昭和のサザエさん家じゃないんですから、家の境界を適当に動かしちゃダメです」冷たくも的を射たその一言に、俺はただうなずくしかなかった。
隣人が語るあやしい記憶
杭を打ったという隣のフジイ氏は、「昔からここだと思ってた」と言い張った。記憶は曖昧な上に、自分に都合よくねじれていることが多い。
「父が生前、ここまでがうちだって言ってましたよ」と彼は言った。でもその父親、登記上の所有者じゃなかったんだよな、、、。
図面と地積測量図のすれ違い
古い公図と新しい地積測量図を照らし合わせると、ズレが見えてきた。とはいえ、ここから先は地道な検証が必要になる。登記原因が誤りだった場合、過去にさかのぼって責任を問われる。
「地図にない道、測量にない杭、そして登記にない気持ち、、、か」俺は口に出してつぶやいた。サトウさんは無視した。
やれやれ仕事が増えるだけだ
この手の境界問題は、司法書士の仕事のようでいて、実際には半分探偵みたいなものだ。登記の裏に隠れた人間関係を探るのが難しい。
それにしても、なんで俺が地元の田んぼに長靴で入る羽目になるのか。やれやれ、、、司法書士ってやつは損な職業だ。
サトウさんは黙ってキーボードを叩く
事務所に戻ると、サトウさんがパソコンの前で淡々と登記簿を検索していた。物件の履歴をさかのぼると、二年前に分筆された形跡が出てきた。
「この分筆、何かおかしくないですか?当時の地積測量図と一致してません」サトウさんの目は鋭い。俺よりはるかに。
二年前の分筆登記の痕跡
登記内容を精査すると、分筆時の土地家屋調査士が提出した測量図と、現況図との間に微妙な差異があることが分かった。そのずれはわずか50センチ。
だが、境界では50センチが命取りだ。まさに“線を越えた”瞬間だった。
境界確認書に潜む誰かの意図
境界確認書を確認すると、そこにはマルオカとフジイの署名と印鑑があった。だが不自然なことに、確認書の日付が測量図の日付よりも1週間後になっていた。
「測量図を作ったあとで、確認書を書かせたってことですね」とサトウさんが言う。つまり、測量図の“結果”を正当化するための確認書だった可能性がある。
土地家屋調査士の曖昧な証言
該当の調査士に連絡を取ると、「依頼者の説明に従っただけです」との回答だった。測量した場所は現況に基づいたものであり、境界は当事者同士の合意によるものだと主張した。
つまり、責任は取りませんよということだ。サトウさんは「逃げ足だけは速いですね」と呟いた。
残された古い測量杭が示すもの
結局のところ、現地の古い測量杭が真実を語っていた。測量士が見逃したその杭は、30年前の国土調査で打たれたものだった。
境界は最初から動いてなどいなかったのだ。ただ、それを都合よく解釈した人間がいただけだった。
サザエさんなら家を一軒動かしてる
「結局、杭を動かすのが悪いんじゃなくて、心の境界を勝手に動かすからややこしくなるんですよ」とサトウさん。
彼女のその一言に俺は反論できなかった。たしかに、サザエさんの家なら家ごとズレてそうだしな。
真実は線のこちら側にあった
マルオカとフジイを交えての話し合いで、最終的には元の杭の位置を尊重することで決着した。境界線は動いていなかった。ただ、両者の信頼だけが揺れていた。
登記は事実を記録する。でも人の心は、登記できない。
誤解と悪意とちょっとした計算
今回の件、調査士が故意に図面を歪めたのか、あるいは依頼者の言葉に引きずられただけなのか、その真相は闇の中だ。
けれど、どちらにも少しの誤解と、少しの悪意、そして計算があったことは確かだ。
やっぱり一番うっかりしてたのは
「シンドウさん、あの確認書に押されてた印鑑、苗字が違ってましたよ」事務所でサトウさんが言った。そういえば、あの印影、どこかで見た気がした。
やっぱり、一番うっかりしてたのは、俺かもしれない。
解決後の境界はやけに静かだった
田んぼの中に戻された杭は、今日も何も語らずに立っている。ただ、地元の人々がその杭の位置を“新たに”信じるようになっただけだ。
線は動かなかった。でも、人の関係は、少しだけ元に戻った。