名寄帳に記された異変
午前9時、役所から戻ったばかりの俺は、名寄帳を見て首をかしげた。ある土地の所有者が、生きているはずの人物ではなく、10年前に死亡した人間になっていたのだ。しかも相続登記は未了。記載が間違っているというより、意図的にそのまま放置されているような気配があった。
「またか……」そうつぶやいて書類を置くと、背後からサトウの冷たい声が飛んできた。「先生、また同じとこ見てますね。そのページ、昨日も3回開いてましたよ」
――やれやれ、、、俺は今日も見透かされている。
古い登記と現代のズレ
不審に思い、閉鎖登記簿と名寄帳を照合してみた。すると、数筆にまたがる土地のうち、一筆だけが異常に古い登記内容で止まっていることに気づく。どうやら、他の土地とは違う系譜の登記経歴があるようだ。
しかも、住所変更登記すらされておらず、現所有者が本当に実在していたのかも疑わしい。
俺の頭に、「この地番だけ、誰かが意図的に動かさなかったのではないか」という疑念が浮かび始めた。
「相続人不明」の違和感
法務局の相談窓口で聞いてみても、「この地番、過去にも相続登記の依頼は出たけど、結局断念されたみたいですね」とあっさり言われた。理由を尋ねても、相続人の確定ができなかったという。
でも、名寄帳にはちゃんと戸籍に基づく記載がある。誰かが情報を握っていた形跡があるのだ。
相続人が“いない”のではなく、“出せない理由”があるのかもしれない。
調査に乗り出すシンドウとサトウ
「先生、どうせまた“ただの登記ミスでしょ”とか思ってるんじゃないですか?」と、サトウがPCを叩きながら呟く。図星だった。
「そうだといいけどな……でも、俺のカンが騒いでるんだよ」
「カンというより被害妄想でしょ」
塩対応とネガティブな朝
朝からサトウの塩対応にやられっぱなしだが、気にしてる暇はない。とにかくこの名寄帳の違和感を、どこかで説明できる材料を探さないとならない。
俺は過去の登記簿謄本を片っ端から調べ、複数の戸籍を請求した。調査の基本は、結局足を使うしかないのだ。
地味な仕事だが、ここが司法書士の腕の見せ所でもある。
役場からの思わぬ一言
市役所の窓口でふと漏らした「この土地って誰か来てませんでした?」の一言に、職員が「そういえば、去年“ひ孫”と名乗る若い女性が資料請求に来てましたよ」と教えてくれた。
相続人不明とされていた土地に“ひ孫”?それはまったく別の系統から来た血筋か、あるいは隠されていた分家筋の存在か――
まるで『金田一少年の事件簿』のような展開になってきた。
隠された戸籍の影
本籍地が北海道に飛び、そこからまた別の町へ。調査は迷路のようだったが、ついに一枚の戸籍にたどりつく。それは、ある女性が未婚のまま産んだ子の出生記録だった。
この女性が本家の相続人の妹であることが分かり、子どもは当然法定相続人となる。
しかしその子の存在は、どの登記簿にも、どの親族調査にも出てこなかった。
戸籍の附票が語るもの
附票を確認すると、当該子どもは成人後に名字を変え、遠方に転居していた。つまり、存在を知られずに済むように手配されていた形跡がある。
「これは意図的に隠された戸籍だな」と、サトウがぽつりと呟いた。
俺も同意する。誰かが、何かの理由でその存在を消したがっていたのだ。
昭和の転籍と失われた名前
昭和30年代の戸籍異動の記録に、ある人物の転籍が記されていた。そこにある住所は、かつて戦災で焼け野原になった地域。すでに住民は存在しない。
「この名前……どこかで見たことがあるな」とつぶやいた瞬間、俺の頭にひらめきが走った。
あの地番の土地、元々はこの人物名義だったのではないか――。
名寄帳に隠された共通点
名寄帳をもう一度精査する。すると、似たような地番の土地が複数、別名義でバラバラに所有されていた。だが、よく見るとすべて昭和25年の登記だった。
時期が同じということは、名義を分散させた意図がある。しかもすべて法定相続人が現れず、10年以上そのままにされていた。
「まるでルパンが証拠を隠すように、綿密に仕組まれてるわね」
土地と土地を結ぶ不自然な繋がり
調査を進めるうちに、複数の土地が一人の人物――旧姓のままの“戸籍に記録された存在”――につながっていたことが判明した。
しかもその人物はすでに死亡しているが、その子孫が誰かまでは分かっていなかった。
ついに、見えなかった“相続人”の正体が、うっすらと輪郭を現し始めた。
古文書に残る一筆の痕跡
古い名義変更に使われた資料の中に、筆で書かれた遺産分割協議書が見つかった。その中に、戸籍には出てこない“もう一人の兄”の名前が記されていた。
彼は戦後すぐに行方不明となり、死亡認定もされていなかったが、その子孫が実は生きていた。
全ての鍵は、この「知らされなかった兄弟」にあったのだ。
やれやれ、、、それでもやるしかない
ここまで来たら後戻りはできない。俺は資料をまとめ、家裁に相続放棄者の確認と、失踪者認定手続きを申し立てる準備に入った。
「司法書士って、探偵より地味だけど、仕事は重いっすね」
サトウの言葉に苦笑いしながら、俺は深くため息をついた。「やれやれ、、、もう少し早く気づいてれば、楽だったんだがな」
かつての野球部魂が目を覚ます
最後の一手を打つとき、俺の手は震えていた。でも逃げたくなかった。まるでノーアウト満塁の場面でマウンドに立たされるようなプレッシャー。
「この書類、提出しときますね」
サトウが言うと、どこか頼もしく見えた。
すべてを繋げた瞬間
戸籍と附票、名寄帳と閉鎖登記簿。それぞれが一本の線になったとき、俺たちは“真の相続人”を突き止めた。
手続きを終えたとき、その土地はようやく正当な後継者の手に渡った。静かな達成感が、心の奥でじんわりと広がった。
事件にはならなかったが、確かにそこには「解くべき謎」があったのだ。
相続放棄の裏に潜む真実
なぜ放棄されたのか。なぜ隠されたのか。その背景には、親族同士の確執や、時代に飲まれた弱き者の存在があった。
名寄帳は何も語らない。だが、そこに書かれていない“空白”こそが、本当の物語だった。
サトウの一手とシンドウの逆転
「先生、最後の謄本、私が持っていきます」
「おう……って、それ俺の仕事じゃ……」
言いかけた言葉を飲み込み、俺はそっとサトウの背を見送った。
明かされた戸籍の真実
司法書士の仕事は、時に家族の記憶をつなぎ、封じられた時間を解き明かす。
今日もまたひとつ、過去が今とつながった。俺の名前はシンドウ。愚痴ばかりの45歳だが、たまには役に立つこともある。