登記簿に潜む影

登記簿に潜む影

朝一番の依頼人

事務所の扉がカラカラと音を立てて開いたのは、朝の9時を少し回った頃だった。まだコーヒーも飲み終えていない時間に、背広姿の男が無言で申請書類を差し出してきた。聞けば所有権移転の登記とのことだが、妙に視線を逸らし気味なのが気にかかった。

「こちらにお名前と住所をお願いします」と促しても、男の手はどこかぎこちない。印鑑の押し方も、慣れているようで慣れていない。場数を踏んでいない感じがした。

そのときの小さな違和感が、事件の端緒だった。

見慣れない男と古びた申請書

提出された申請書は、妙に手書き部分が多かった。しかも、筆跡が微妙に揺れている。最近はほとんどがパソコン作成なのに、わざわざ手で書いた理由が気になった。

不動産の所在地を見ると、郊外の空き家エリア。住んでいる人も少なく、隣人の目も薄いような場所だった。「こういう場所、怪盗キッドが隠れ家にしてそうだよな」などとぼんやり思う。

提出された本人確認書類も、どこか新しすぎて逆に怪しかった。

シンドウの違和感

司法書士としての直感が働いた。長年やっていると、不自然な案件には自然と眉が動く。「なんだかなぁ……」と思いながら、私は申請人の顔と運転免許証の写真を見比べた。

写真は似ている、けれど“似せている”ような不自然さがあった。マスクの跡、耳の位置、目の形。すべて微妙に違うようで、でも確証が持てない。

「サトウさん、ちょっとこの人、調べてみてもらえない?」と私は書類を渡した。

申請人の影

サトウさんはパソコンに向かいながら、静かに眉をひそめた。彼女の情報検索スキルは、警察の鑑識も舌を巻くレベルだ。

「この人、数ヶ月前まで東京に住んでた別人のはずです。住民票も移動されてないですね」とサトウさん。彼女の目がモニターから外れることはなかった。

「それ、本人じゃない可能性もあるってことか?」と私が言うと、「はい。書類の作り込みは中途半端です」と冷たく返された。

本人確認情報の矛盾

提出された住民票の写しには、記載事項省略の妙な点があった。附票がない。しかも取得日が異様に最近だ。

「これは急ごしらえで用意したって感じですね」とサトウさん。印刷されたフォントも、市役所発行のそれとは微妙に違う。

私はため息をついた。「やれやれ、、、朝から厄介なやつが来たな」とつぶやくしかなかった。

サトウさんの鋭い突っ込み

「シンドウさん、この印鑑証明も偽造されてる可能性があります。印影が妙に滑らかです。スキャンして加工された跡があるかも」

「偽造印鑑証明?それって下手すりゃ刑事事件じゃないか」と私が言うと、「いえ、もう刑事事件の範囲に入ってますよ」とピシャリ。

内心『サザエさんならこの段階でカツオがやらかしてマスオさんが謝りに行く展開だな』と思いつつ、私は本腰を入れることにした。

消えた本当の依頼人

提出された住所に住んでいるはずの登記義務者に連絡を取ろうとしたが、電話は使われていないとのアナウンス。手紙も宛先不明で返送された。

これはもはや偶然ではなかった。意図的に所在を隠しているか、そもそも本人が存在しないのか。

「完全になりすましだ」と私は確信を持った。

連絡の取れない所有者

登記簿上の所有者は十年前に所有権を得てから、一切の登記変更がない。死亡の記録もなし。行方不明届も出ていない。

これは“生きていることにされている”可能性すらある。私の中で、怪盗ではなく詐欺師の影が濃くなっていった。

「次に来たら引き留めましょう」とサトウさんが冷静に提案した。

登記識別情報の謎

識別情報通知書も提出されたが、紙質が明らかに違う。司法書士であれば違和感を覚える程度には精巧だが、完璧ではない。

「これ、国産の偽造紙ですね。官公庁風の透かし印刷が甘いです」とサトウさん。どこでそんな知識を身につけたのか。

「まるでルパンの変装グッズだな」と私はつぶやいた。

なりすましの痕跡

もう一度申請書を見直していると、署名の筆跡がわずかに震えていることに気づいた。これは模写だ。誰かの筆跡を真似しようとしている。

「つまり、登記簿の名義人になりすまして、勝手に移転登記をしようとしてる…」

「はい、そうです。しかも相手先は別の名義貸しでしょうね」とサトウさん。

筆跡と印鑑の食い違い

印影と署名が一致していない。印鑑は明らかにゴム印で押されたような圧が均等なもので、筆跡は真似ているが粗い。

このアンバランスさに、真実が宿っていた。

そして、決定的証拠を探す段階へと進む。

過去の登記から浮かび上がる名前

過去の登記事項証明書を取り寄せると、所有者の印鑑証明発行履歴がゼロであることが分かった。つまり、本物の本人はここ数年動いていない。

一方で、なりすまし男の身元保証人が、別件詐欺で起訴されていた男と一致した。

「ビンゴですね」とサトウさんは言った。

真相の解明

後日、警察の立ち会いのもと、男が再び来所したタイミングで身柄を確保。やはり他人になりすましての不正登記だった。

男は余罪も多数抱えており、組織的な犯行の一部であることが分かった。

「まったく、司法書士ってのは何でも屋じゃないんだぞ」と私は溜息を漏らした。

本物の依頼人の告白

数日後、本物の所有者がひょっこり現れた。老人ホームに長く入所していて、印鑑証明や識別情報の存在すら知らなかったという。

「こんなことに巻き込まれるとは…」と申し訳なさそうに頭を下げられ、こちらが恐縮する。

「やれやれ、、、こっちの胃が持ちませんよ」と私は言った。

偽装の動機とその代償

なりすまし男は、土地を第三者に売却しようとした矢先だった。詐欺グループの末端として、手数料を受け取る役割だったという。

だが、登記が通らなければ売買も成立しない。司法書士の慎重な目が、犯罪の芽を摘んだ形だ。

「野球部時代より神経使うな、これ」と私は思った。

事件のあとで

事務所に静けさが戻った午後、サトウさんは冷静に書類を整理していた。「司法書士って、警察より推理してません?」とぼそり。

「まあな。でも給料は警察より少ないぞ」と返した。

彼女は無表情で「知ってます」とだけ言って、さっさと片付けを終えた。

シンドウの反省とやれやれの溜息

私はコーヒーを淹れ直しながら、事件の一部始終を思い返していた。「やれやれ、、、」とまた溜息をつく。

でもその裏には、少しだけ誇らしい気持ちがあった。司法書士だって、誰かの役に立てる。

そして今日も、知られざる戦場で、法の影と闘っているのだ。

サトウさんの冷静な一言

「ところでシンドウさん、あの書類、まだ未処理です」

「うっ、またか……」

やれやれ、、、事務所に平穏が戻る日は、まだまだ遠い。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓