そもそも「仕事が片付く」ってどういう状態?
「今日はやるべきことが全部終わった」そんな達成感を最後に感じたのはいつだっただろうか。司法書士という仕事は、次から次へと“未処理案件”が発生し、終わったと思ったらまた何かが舞い込んでくる。ゴールテープを切る前に次のレースが始まってるような感覚。片付けても片付けても、書類は増えるし、電話もメールも止まらない。何をもって「終わった」と言っていいのかが、もう分からなくなってきている。
「終わりが見える仕事」と「終わらない仕事」
昔、知り合いの工場勤務の人が「部品を100個作ったら終わりって分かる仕事は楽」と言っていた。あれが羨ましかった。司法書士の仕事は、完了が見えにくい。登記が完了しても、依頼者への報告書を作成し、請求書を出し、領収書を送って、それが終わったら次は何かの修正依頼や追加案件。ゴールは、走っている途中に後ろへ逃げていくようだ。
司法書士業務は「終わらない系」が多すぎる
成年後見、相続、抵当権抹消…ひとつの案件の中に複数の工程があって、そのどれもが別の人の手続き待ちになる。しかも、役所が絡んでくると、予測不能な待ち時間が発生する。そんな時、「仕事を片付けよう」としても、結局“待ち”の状態に突入してしまって、先に進めなくなる。それが積もり積もって、机の上には“途中の書類”ばかりが残る羽目になる。
終わったと思ったら補正通知、なんて日常茶飯事
正直に言うと、補正通知が来た時の「またかよ感」は異常。頑張って法務局に提出した書類に、不備があった時の絶望感たるや。自分のミスであれ、先方の不備であれ、結局はこっちの手間になる。せっかく一区切りついたと思った矢先に、それが帳消しになるのだから、心が折れそうになる。これで“片付いた感”なんて持てるわけがない。
時間があるはずなのに、なぜか常に忙しい
一日のスケジュールは一応立てている。でも、その通りに進んだ試しがない。予定していた仕事に集中できず、気づいたら電話対応や急ぎの書類で時間が溶けている。そして夜になると「今日もあれもこれも終わらなかった…」とため息。時間の使い方が下手なのか、それともそもそも量が多すぎるのか、答えはたぶん“両方”だ。
予定を詰めすぎる自分の性格に問題あり?
「このくらい今日中に終わるだろう」という甘い見積もりで予定を組んでしまう。でも、いざ始めると想定外の問い合わせが入ったり、他の案件が割り込んできたりして、結局当初の予定はぐちゃぐちゃに。何度反省しても、スケジュール帳の「×印」は増える一方だ。自分で自分を追い込んでいる気がしてならない。
「できるだけ早く対応してください」に弱い
お客様に「早めにお願いします」と言われると断れない。断ったら他の事務所に流れるんじゃないかという不安もあるし、何より目の前の人の困っている顔を見ると、つい「今日中にやります」と言ってしまう。でも、それが他の仕事を圧迫して、結局全体が回らなくなる。優しさというより、断れない性格が一番のネックかもしれない。
断れない優しさが自分の首を締めている
以前、「一人でやってるんだから無理しないで」と言ってくれた依頼者がいた。でも、そういう人に限って、実は内心めっちゃ急いでる。で、結果的にこっちが勝手に空気を読んで、限界スケジュールに挑んでしまう。優しさから来る断れなさが、仕事の質と自分の健康を確実に削っている。たぶん、自分の優しさは害になるレベル。
完璧主義が足を引っ張る
自分の中の「ちゃんとやりたい」という気持ちが、仕事のスピードを確実に遅くしている。「この説明文、もっと分かりやすくしたい」とか、「もう一度だけ見直しておこう」とか、そんなことをしているうちに一日が終わる。依頼者には気づかれないレベルの微調整に何時間もかけてしまうこともある。
「もうちょっと丁寧に」を繰り返して終わらない
「この書式、本当にこのままでいいのか」「句読点の位置、もっと見やすくできないか」そんなことばかり気になってしまう。司法書士の仕事は“正確性”が求められるからこそ、ミスを恐れて慎重になりすぎる。けれど、度を越えた慎重さは“片付かない原因”のひとつでもあると、最近やっと認めるようになった。
99%の精度で良いのに100%を求めて自滅
「もうそれで出しちゃえば?」と事務員さんが言う時、内心では「いや、まだ甘い」と思っている。でも実際、95%くらいの完成度でも何の問題も起きないことの方が多い。それでも100%を目指して、時間と労力をかけてしまう。自分で自分を疲れさせて、しかも終わらない。これはもう性格の問題だと思う。