自分の人生にだけ手が回らない毎日
毎日誰かの登記や遺言、契約書の作成に追われながら、ふと気づくと自分のことだけが置き去りになっている。司法書士という仕事柄、人の人生の重要な節目に関わるのに、自分自身の未来については「そのうち」「まだ早い」と先延ばしにしている。この歳になって、ようやく「自分の整理も必要かもしれない」と感じ始めた。
人の書類は整えるのに自分の人生は後回し
クライアントの相続関係図や財産目録は、几帳面に、完璧にまとめる。でも、いざ自分の財産や今後の暮らしを見つめようとすると、面倒くささが先に立ってしまう。「誰かに迷惑かけなきゃいいか」なんて思っていたけど、実際はそうもいかない。独身の自分だからこそ、なおさら。
登記の準備は万端なのに自分の未来は未登録
依頼された登記は最速で処理するし、法務局の提出期限は決して遅れない。でも、自分の老後や病気、介護が必要になったときのことは何も決めていない。お客様に「将来の備えは大切ですよ」と話しながら、自分にはそれがない。なんだか、ずっと嘘をついてるような感覚がある。
休日にふと思った このままでいいんだろうか
日曜日の夕方、コーヒーを飲みながらぼーっとしていたら、突然「俺、このまま一人で年を取っていくのか?」という思いが頭をよぎった。仕事が忙しいのを理由に、プライベートは後回し。でも、時間だけは確実に流れている。何も準備しないまま老後に突入するのは怖い。
遺言書の相談に来る依頼者を見てハッとした
あるとき、70代の依頼者が「家族がいないから自分のことは自分で決めておきたくて」と言って遺言書作成に来られた。書類を整えながら、「この人、偉いな」と思った。でも同時に「俺はこの人と同じ状況なのに、何もしてない」と焦りに似た感情が湧いた。人ごとじゃない。
遺言書よりも先にやるべきことがある気がした
遺言書はもちろん大事だけど、それよりももっと前段階の「自分の生き方」の整理が必要じゃないか。自分がどう老いていくか、誰と関わっていくのか、どんな場所でどんなふうに生活していくか。そういう根っこの部分を放置したまま、死後の話だけ整えても意味がない気がした。
司法書士なのに 自分の将来に蓋をしていた
専門職のプライドかもしれない。「自分は大丈夫」と思っていた。けれど、冷静に考えてみれば、誰よりも早く老後に備えなきゃいけない立場だった。独身で身寄りも薄い。いざというとき、頼れる人がいないのに、備えもしていない。そんな状態が不安でたまらなくなった。
書面には残さないけど 心の整理が先だった
未来のことを真剣に考え始めたとき、最初に必要だったのは書類でも公正証書でもなく、ただ「どう生きたいか」を考えることだった。事務所をどうするか、家はどうするか、病気になったら誰に頼むか。それ以前に「どう生きたいか」に向き合うことが、自分に必要だった。
人生を見直すって思った以上に面倒くさい
一歩踏み出してみるとわかるけれど、人生の棚卸しはとにかく面倒。書類以上に、感情や過去や失敗や後悔が引っ張り出される。でもそこにちゃんと向き合わないと、次に進めない。そんなふうに、重たくてもやらなきゃいけない「自分の未来の整理」が今まさに自分に必要だった。
何から考えればいいか分からないから放置していた
そもそも、何から始めればいいか分からない。だから考えるのをやめてた。エンディングノート?任意後見?成年後見?どれもまだ自分には早いと思っていた。でも、思ったより「今やるべきこと」は多かった。先延ばしにしたくなるけど、だからこそ早く始めるべきだった。
おひとり様の未来設計って誰にも相談しにくい
家族がいない、結婚もしてない、兄弟とも疎遠。そんな自分の将来について、誰に相談すればいいのか分からない。相談相手がいないからこそ、より綿密な設計が必要なのに、その作業をひとりでやるのは精神的にしんどい。仕事で忙殺されてるふりをして、考えるのを避けていた。
元野球部だってホームベースくらい決めたい
学生時代は野球漬けだった。ポジションを守り、打順が回ってくるのを待っていた。でも今は違う。誰も打順なんて決めてくれないし、ホームベースも自分で探さなきゃいけない。そんな状況で、どこへ走るのかすら曖昧だった。せめてゴールくらいは見えるようにしたいと思った。
打席には立つけど 走る場所がない気がしている
毎日仕事という名の打席には立っている。書類を打ち、電話に出て、登記申請をこなす。でも、どこに走ってるのか、どこが得点なのか、まったくわからない。走り続けることだけが目的になっている今、そろそろ立ち止まって方向を決めないと、疲れ果てて倒れてしまいそうだ。
司法書士としてでなく 一人の人間として
自分を「司法書士」という看板でずっとごまかしてきた気がする。でも、仕事が終わったあと、自分には何が残るんだろう。誰かの人生に寄り添うのは得意でも、自分自身を大事にするのは苦手だ。このまま看板だけが残って、自分自身がすり減っていくのは、なんだか寂しい。
肩書きを外したときに残る自分を考えたい
司法書士じゃなくなったとき、自分には何があるだろう。友人は少ないし、趣味も薄い。肩書きに支えられていた部分が多すぎて、それを外した自分が怖い。だからこそ、今のうちに「肩書き以外の自分」を作っておきたい。そう思うようになったのは、たぶん年齢のせいだけじゃない。
未来の自分が少しでも楽になるように
今やっておくことで、未来の自分が楽になる。そんなこと、頭では分かっていた。だけど行動が追いついてなかった。気が重い作業だけど、少しずつでも整えていけば、きっと未来の自分が「ありがとう」って言ってくれる。そう信じて、今日も一枚、自分のための書類を開いてみる。