たった数分のレジ待ちが、心の奥を揺さぶった
夕方、コンビニに寄った。牛乳を買うだけのつもりだったが、レジには3人ほど並んでいた。自分の番が来るまで、わずか数分。けれどその“待ち時間”に、いろんな記憶が頭の中を駆け巡った。司法書士として日々こなしている仕事。事務員さんとの静かなやりとり。たまの休日の孤独。レジに並ぶその3分間、無防備なまま立ち尽くしていた私は、不意に「俺、今まで何してきたんだっけ」と思ってしまった。たかがレジ待ち、されどレジ待ち。無音の店内で、心の奥の引き出しが開いてしまったのだった。
ただ牛乳を買いに行っただけだったのに
事務所でコーヒー用の牛乳が切れていた。それだけの理由で、事務員さんが「行ってきましょうか?」と声をかけてくれたのを断り、なんとなく自分で歩いて買いに出た。日が暮れかけた空の下、何も考えずに足を運んだコンビニ。レジに並びながら、ふと「何も考えてない時間って久しぶりだな」と気づいた。常に誰かに対応し、頭をフル回転させている日常の中で、何も生み出さない時間がこんなにも居心地悪く感じるとは。司法書士という職業柄、“空白”に慣れていないのかもしれない。
静かな時間にこそ浮かび上がるものがある
仕事中は、自分のことを考える余裕なんてない。常に誰かの依頼、誰かの不安、誰かの期限に追われている。けれどレジの前で立ち止まったとき、そんな喧騒がふっと消えて、自分の中の“静かな声”が聞こえてきた気がした。今の仕事、本当にやりたかったことだったんだろうか。もっと違う人生があったんじゃないか。そんな思いが、商品棚の上の蛍光灯の明かりとともにじわじわと心に差し込んできた。
隣の学生と、昔の自分を重ねてしまった
前に並んでいたのは、制服姿の男子高校生だった。カゴには菓子パンとエナジードリンク。なんというか、自由で、可能性に満ちていて、妙にまぶしく見えた。自分もあの頃は、もっと“未来”のことを考えてた気がする。今は“明日の業務”しか見ていない。高校生の背中を見ながら、自分の背中はどんな風に見えているのかと思った。でも、そんなこと考えるのも少し虚しくて、視線をそらしてしまった。
司法書士という仕事と、孤独な時間の多さ
人と接する仕事ではあるけれど、実際には「本当の意味で誰かと関わっている」と感じることは少ない。書類を預かり、登記を完了させ、報告をして完結。感謝されることもあるが、それが心に響く日は少ない。事務所に戻ると、またひとりの空間。事務員さんも自分の仕事で精一杯。ふとした瞬間に感じる「この仕事の先に、自分は何を得ているのか?」という疑問は、レジ前で浮かんだ悩みと地続きだった。
人と会うけど、心はあまり動かない
依頼人と打ち合わせをしていても、感情が大きく揺さぶられることは滅多にない。マニュアル通りに聞き取りをして、必要な説明をして、手続きを進める。もちろん真剣には向き合っているが、どこか「自動処理」のように仕事をしている自分がいる。それは職業病かもしれないけれど、あまりにも“慣れすぎた感覚”に少し怖くなることもある。人間らしさを保つための時間が、レジ待ちしかないって、ちょっと寂しい。
形式的なやり取りに疲れる日々
「よろしくお願いします」「お世話になっております」…司法書士の世界では、丁寧さと形式が求められる。けれどそれは時に、自分の本音や人間味を隠してしまう仮面でもある。もっとくだけた言葉でやり取りできたら楽なのに、そうはいかないのがこの業界。日々の形式的なやり取りに、自分の感情が置いてけぼりになるときがある。その蓄積が、静かな場所で一気に押し寄せてくる。
「お疲れさま」を言ってくれるのはレジの人くらい
本当に、レジの店員さんの「お疲れさまです」にどれだけ救われてきただろう。あれは、嘘でもマニュアルでも、ちゃんと届く言葉だ。自分が自分に対して「お疲れ」と言う余裕すらなかったとき、あの一言がどれだけ心にしみたか。司法書士って、なかなか誰からも労われない職業だなと、牛乳を受け取るときにしみじみ思った。
ふとよみがえる後悔と、やり直したい選択肢
レジ前の時間が止まったように感じた瞬間、過去の後悔がパラパラと頭をよぎった。思い出したくないことも、ちゃんと整理できていないこともある。それらが「お会計」までの3分間で勝手に上映されていく感覚。人生の一部始終を、音もなく振り返るような、そんな静かな時間だった。
あのとき違う道を選んでいたら
たとえば、司法書士の道に進まず、別の仕事を選んでいたら。もっと人と関われる仕事、もっとクリエイティブな仕事、もしかしたらもっと楽しい人生があったんじゃないか——そんな“たられば”がふと頭をよぎることがある。今の仕事に誇りがないわけじゃない。でも、選び直しができるなら…と、ほんの少しだけ思ってしまう日もあるのだ。
大学時代の夢、叶えたかった音楽の道
大学時代、バンドをやっていた。本気でプロを目指す仲間もいたけれど、私は安定を選んだ。周囲の目、親の期待、自分の怖さ。それらを天秤にかけて、資格という「守れる道」を選んだ。でも、今でもギターは手放せないし、ライブを見ると心が騒ぐ。音楽の道に進んでいたら、今頃どんな人生を歩んでいたんだろうか。
結婚しなかったこと、できなかったこと
周りはみんな家庭を持っている。正直、焦りを感じた時期もあった。でも「今さら誰かと暮らすのもしんどいな」と思ってしまう自分もいる。独り身が気楽なのか、寂しいのか、自分でもわからない。ただ、誰かとスーパーで買い物して、家に帰って一緒に食べる、そんな“普通”が羨ましいと思う夜がある。レジに並んでいるカップルを見て、そんなことを考えてしまった。
“忙しいふり”の毎日が、本当に自分を救っているのか?
「忙しいから」「手が回らないから」と、何かを避ける口実にしていた部分があった。けれど本当は、怖かっただけじゃないのか。自分と向き合うのが。コンビニの静けさの中で、その“ごまかし”に気づいてしまった気がする。
予定を埋めないと落ち着かない
空白の一日があると、不安になる。「今日は何をしよう」と悩むくらいなら、仕事で埋め尽くしてしまいたい。そうやってスケジュールをびっしりにして、自分をごまかしていた。でもそれは、疲労とともに心の余白も奪っていたような気がする。レジで何もせず立っていると、それがよくわかる。
「忙しそうですね」は褒め言葉じゃない
「先生、相変わらず忙しそうですね!」と言われると、なんとなく誇らしい気分になる。でも、それは本当に喜ぶべきことなんだろうか? 忙しさの裏には、疲労、孤独、そして感情の鈍化がある。「暇でも堂々としていたい」と思えるようになるには、まだ時間がかかりそうだ。
空白の時間=怖さ、という感覚
なにも予定がないと、「自分は必要とされていないのでは」と思ってしまう。それが怖くて、つい予定を詰め込む。けれど、本当はその“空白”にこそ、自分に必要なものがあるのかもしれない。レジの前で、自分の順番を待っているあいだ、誰にも必要とされていないような気がして、不安になったのはきっとそのせいだ。
レジの先にある日常、それでも買い物は続いていく
「〇〇円です」と呼ばれて我に返る。財布を取り出し、商品を受け取り、袋に詰める。その一連の動作に、また“日常”が戻ってくる。人生はこうして、日常に戻り、何事もなかったかのように流れていく。けれどその裏側には、小さな気づきと、ほんの少しの後悔が残っていた。
袋詰めしながら、次の依頼のことを考える
気持ちは過去に飛んでいたけれど、身体はまた司法書士に戻っていく。牛乳とおにぎりを袋に入れながら、「明日のあの案件、どう処理しよう」と考えている自分に気づく。そして、それでいいのかもしれないと思う。振り返ることも大事だけれど、目の前の仕事に戻ることで、少しずつ自分を立て直しているのかもしれない。
やることは山ほどある、けれど気持ちは晴れない
タスクは減らないし、メールも止まらない。それでも「やっていればなんとかなる」と思いながら今日も進んでいく。でも、気持ちのどこかは曇ったまま。誰かにそれを話すこともできず、ただ淡々と毎日を積み上げる。それが司法書士という仕事なのだと、自分に言い聞かせている。
それでも生きて、また明日も事務所を開ける
なんだかんだ言いながら、また明日も朝9時に事務所のシャッターを開ける。依頼がある限り、書類と格闘し、電話に出て、誰かの困りごとを処理していく。レジで人生を振り返った夜があったって、結局はそんな日常に戻っていく。それでもいい。それが、自分なりの“生きている証”なのだから。