封筒の影が動く時

封筒の影が動く時

封筒の影が動く時

朝一番の封筒

月曜の朝。机の上に無造作に置かれた茶封筒を見て、胃がキリキリと痛んだ。差出人は法務局。登記完了通知書、だろう。
本来なら喜ばしい知らせだが、この仕事をしていると、完了の裏に何かが潜んでいることがある。
そして今回は、明らかにその「何か」の気配があった。

登記完了の通知と妙な違和感

封を切って、書類を広げた瞬間、僕は違和感に立ち止まった。完了年月日のフォントが、わずかに滲んでいたのだ。
誰かが印刷したあとに手を加えたような、妙なズレ。登記識別情報も、通常と異なる封印のしかたをされていた。
「サトウさん、これ……何か変じゃない?」と問いかけると、彼女は無言で書類を引き寄せ、黙って頷いた。

来所したのは誰か

黒いスーツの訪問者

その日の午後、事務所のドアが重たく開いた。現れたのは、見るからに場違いな黒ずくめの男。
「先日お願いした登記の件、確認に参りました」と、愛想もなく名刺を差し出した。名刺には会社名があるが、何かが引っかかる。
口元には笑みがない。サザエさんで言えば、ノリスケさんの皮をかぶったアナゴさん、という印象だ。

依頼人か押しかけか

彼の態度は明らかに依頼人のそれではない。こちらの情報を探っているような、間を埋める無言が続く。
「この完了通知、少しおかしな点があるんですよ」と僕が切り出すと、彼の目がわずかに鋭くなった。
その瞬間、僕の背筋に冷たいものが走った。これは単なる確認ではない。探りを入れに来たのだ。

曖昧な所有者情報

表示登記に残された謎

謄本の所有者欄には、二人の名前が記載されている。が、登記原因証明情報に添付された委任状には、片方の署名しかない。
しかもその署名、書体が不自然だった。カタカナで記載された苗字の最後の文字が、微妙に上下反転している。
「コピーした上でスキャンして、さらに貼り付けた感じですね」とサトウさんが淡々と分析した。

サトウさんの眉が動く

その瞬間、彼女の眉がぴくりと動いた。普段の無表情からすれば、これは事件の合図だ。
「これは……二重売買の可能性があるかもしれません」
彼女が放ったその一言で、眠気が吹き飛んだ。僕はすぐに過去の登記を洗い直すことにした。

登記簿の中の影

所有権の移転に潜む断絶

登記の連続性が、どこかで切れている。平成15年の移転登記以降、一度抹消されたはずの所有権が、なぜか復活していた。
これは、旧登記簿を引き出さなければ見抜けないトリックだ。怪盗キッドのように、痕跡だけを残して書き換えた誰かがいる。
そんなことができるのは……限られた者だけだ。

地番にない土地の記録

さらに調査を進めると、登記された地番が実在しないことに気づいた。地積測量図にも該当がない。
「地番が空欄のまま売買契約が交わされ、登記だけが先行した形です」とサトウさん。
つまり、売ったつもりがない人が、売ったことにされているということだ。

電話の向こうの沈黙

非通知番号からの着信

その夜、非通知で電話が鳴った。嫌な予感を抱えつつ受話器を取ると、相手は名乗らずこう言った。
「その登記、触らない方がいいですよ」
言葉は丁寧だが、そこににじむ圧力は、かつての野球部で経験した上級生の圧とは比べものにならなかった。

記録に残らない会話

会話は一方的だった。こちらの問いかけには一切答えず、「確認済みでしょう」とだけ繰り返す。
「やれやれ、、、」と心の中でつぶやいた。仕事のはずが、また事件に巻き込まれている気配が濃厚だ。
受話器を置いた瞬間、サトウさんがすでにPCを立ち上げていた。

サトウさんの裏調査

法務局職員の一言

翌日、サトウさんは単独で法務局に赴いた。僕には「ついてこなくていいです」とだけ言い残して。
戻ってきた彼女は、珍しく少し息を弾ませていた。「登記識別情報の発行が、一度キャンセルされてます」
つまり、一度登録したあと、誰かが手続きを止めたということ。だが、通知書だけは偽造されて残された。

閉庁後のファイル室

夜、僕らはこっそりと、以前依頼を受けた物件のファイルを開いた。鍵は事務所の予備。
中には「売買契約書の原本」があった。だが、そこにも違和感があった。売主の印影が、明らかに別物だったのだ。
あの黒いスーツの男が、依頼人のふりをして持ち込んだ書類だったのだろう。

過去の登記に潜む名前

二重売買の疑い

過去に同じ不動産が別の登記名義で登録された形跡が見つかった。が、そこにはもう一つ名前があった。
登記完了通知書に出てこない、第三の人物。それが、すべての鍵だった。
彼は、ある倒産企業の元代表取締役。自分の名義で資産を巻き戻そうとしたのだ。

書類に浮かぶ旧字体の署名

彼の署名は、旧字体で書かれていた。それが決定打となった。登記簿の筆跡と一致したのだ。
現場に残された唯一の「肉筆」が、すべてを語っていた。
そして、その肉筆は本人が否定しようとしても、もう覆せるものではなかった。

黒い影の正体

司法書士を狙った罠

すべては、司法書士の業務に紛れて情報をすり替えるための罠だった。僕のようなうっかりした男が、格好の餌だったのだろう。
だが、今回はサトウさんがいた。彼女の冷静な判断が、僕のうっかりを帳消しにした。
いつか、彼女に何かご馳走しよう……と思うだけで、口には出せないままだ。

登記完了通知のすり替え

登記完了通知は、正規のものではなかった。複製され、署名欄だけがすり替えられていたのだ。
それを裏付ける証拠も、すでに法務局に提出済み。黒いスーツの男は、もうこの町に姿を見せることはないだろう。
少なくとも、司法書士をなめてかかることは、二度とないはずだ。

崩れた偽装

サトウさんの逆転説明

今回の事件をまとめた報告書を、法務局職員に提出する際、すべてを説明したのはサトウさんだった。
「司法書士は見落としがちなところですが、私が気づきましたので」と淡々と話す彼女の背中は、なんだか少し頼もしかった。
いや、少しどころではない。もはや彼女が主役だ。

犯人の動機と登記の盲点

登記制度の盲点を突いた巧妙な手口だった。だが、紙の向こうには必ず人間がいる。
そして、人間がやる以上、ミスや痕跡が残る。その痕跡を、僕たちは見逃さなかった。
こうしてまた一つ、闇に埋もれるはずだった犯罪が白日の下に晒された。

やれやれという午後

書類山積の机に戻る

すべてが終わった午後。机には未処理の書類が積まれている。
背中を丸めて座り込む僕の横で、サトウさんは相変わらず無表情で「午後の依頼は、こちらです」と書類を差し出す。
やれやれ、、、休む間もないとはこのことだ。

カレーうどんはまだ遠い

事件が解決したら、カレーうどんでも食べに行こうと思っていた。けれど、その夢はまだ遠い。
結局、夕方まで事務所に缶詰となり、夕飯はコンビニのおにぎりで済ませた。
それでも今日は少し、うまくやれた気がするのだった。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓