忙しいふりの仮面が外せなくなった日

忙しいふりの仮面が外せなくなった日

忙しいふりが日常になった司法書士の日々

気づけば、忙しそうにしている自分が板についてしまった。実際、業務の波はあるにしても、常にてんてこ舞いというわけではない。けれども「忙しい」が口癖になってからというもの、自分でもどこまでが本当に忙しいのか、わからなくなる瞬間がある。電話中に背筋を伸ばして相槌を打つとき、心のどこかで「今、忙しいって思われてるだろうな」と感じている。そんな自分を、少し滑稽に思いながらも止められずにいる。

本当に忙しいのか それとも見せかけか

一人で事務所を回していると、誰に監視されているわけでもないのに、「忙しくしてなければならない」という強迫観念のようなものが出てくる。依頼が落ち着いた日も、机に書類を広げてため息をつく。やることがある“ふり”をしている自分に、時々虚しさを覚える。たとえば、知り合いが事務所にふらりと寄った時、予定が空いていたとしても「今ちょっとバタついてて…」と、つい言ってしまう。あれは嘘だ。だが、嘘をつかないと保てない自分がいた。

予定表の空白が怖くなってきた

カレンダーに予定が何も書かれていない日があると、急に不安になる。何かを忘れているのではないか、誰かに忘れられているのではないか。そんな不安が頭をもたげてくる。何も予定がないこと自体は悪いことではない。むしろ、リフレッシュのチャンスだとわかっているはずなのに、「この空白をどうやって埋めようか」と考え始める。打ち合わせの予定を無理に入れたり、誰にも頼まれていないチェック作業を始めたり。自分の存在意義を、スケジュールの密度で測るようになってしまっていた。

誰に向けての忙しさだったのか

ふと立ち止まって考えたとき、私は誰のためにそんな“忙しさ”を演じていたのだろうと思う。事務員さんは私の様子をよく見ているし、家族もいないから見栄を張る必要もない。唯一気になるのは、同業者や依頼者たちから「暇そう」と思われたくないという見栄だ。自分で選んだ道なのに、「忙しくない=価値がない」という図式に縛られていることに、今さらながら気づかされた。

電話中の演技 書類山積みのフリ

電話がかかってくると、立ち上がって声を大きくして話す。相手には見えないのに、なぜか姿勢を正して「仕事感」を演出してしまう自分がいる。書類が少なくても、あえてバラバラに広げて「やることが山積み」風に見せてしまう。これ、誰に見せてるんだろう?事務所に訪れる人なんて月に数人。それなのに毎朝デスクを整え、必要以上に忙しそうな配置にするのが習慣になっていた。もはやクセだ。

人と接することが少ない職業の罠

司法書士という仕事は、基本的に人と深く長く関わるわけではない。電話と書類とパソコンに囲まれている時間が大半だ。だからこそ、「他人の目」がない分、自分の価値を自分で支える必要が出てくる。私は「忙しくしている自分」を作り上げることで、その支えを補っていた。現実がどうかより、「忙しいふり」が自分を守る鎧になっていたように思う。

事務所に流れる無言の圧力

事務員さんが静かに作業している中で、私だけがボーッとしているわけにもいかない。誰も責めてこないのに、勝手に「見られている感覚」に取り憑かれていた。だから、忙しく見えるように小さなタスクを細かく分けて取り組んでいたり、書類を見返すふりを何度もしていた。実際、そうしないと落ち着かない。完全に自分の問題だとわかっているのに、やめられなかった。

一人事務所の孤独を忙しさで隠す

朝から晩まで誰とも会話せずに一日が終わることもある。そんな日は、自分が本当に存在しているのかさえ疑わしくなる。忙しいふりは、そんな空虚感から目を背ける手段でもあった。「やることがあるから寂しくない」と思い込ませるための演技。でもそのうち、演技してることさえ忘れるほど、ふりが本物になっていた。

事務員一人では補いきれない現実

ありがたいことに、事務員さんはまじめでよく働いてくれる。でも、彼女の存在だけではこの職場の空気を完全には補えない。沈黙が長く続くと、私は意味もなく立ち上がってコーヒーを入れに行ったり、机を片付けたりする。「仕事してますアピール」を無意識に始める。誰も責めていないのに、自分を演出してしまうあたり、孤独は想像以上に人を演技者にする。

話し相手がいないときの心の逃げ場

打ち合わせもない、来客もない、電話も鳴らない。そんな一日は、驚くほど静かで、時計の音さえ耳障りに思える。その静けさが不安で、「忙しい」という言葉を頭の中でリフレインさせる。実際は何もしていないのに、「やることがある」と思い込むことで、存在意義を繋ぎ止めていたのかもしれない。

忙しいふりをやめてから見えた世界

ある日、ふと力が抜けてしまった。何もする気になれず、スマホをぼんやり眺めていたときに、通りがかった営業マンが「今日は珍しく暇そうですね」と笑った。言い訳もできなかった。その瞬間、「ああ、もう無理しなくていいか」と思えた。それからは、空白の時間を恐れなくなった。心に余白があると、意外と視野が広がる。忙しいふりをやめたら、初めてちゃんと休めるようになった。

スケジュールに余白を作る勇気

今は意識して予定を詰め込まないようにしている。「空いている時間」を恥ずかしがらずに人に言えるようになった。暇な日もある。それが普通だ。それを隠す必要なんてどこにもなかったんだと、ようやくわかった。毎日がギチギチじゃなくても、自分の価値は変わらない。そう思えるようになるまで、ずいぶん時間がかかった。

他人にどう思われるかより自分がどうありたいか

「忙しそうに見えるか」ばかり気にしていた頃の自分は、自分自身を見失っていた。他人にどう思われるかより、自分がどう生きたいか。その軸がないと、人生の手綱を握っているようで、実は誰かの視線に操られていたのだと思う。これからは、静かな日々も含めて、嘘のない毎日を選んでいきたい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。