古びた登記簿と一通の遺言書
山あいの町にある司法書士事務所に、ひとりの若い女性が訪ねてきた。彼女は「叔父が亡くなり、遺言書が見つかりました」と言った。差し出されたのは、茶色く変色した封筒に入った手書きの遺言書。そして、その住所には、すでに空き家になっていたはずの家が記されていた。
サトウさんが受け取ると、その目がわずかに細まった。古い形式の遺言書は一見有効に見えたが、なぜかひっかかる点があった。僕はため息をつきつつ、「まあ、見てみるか……」と呟いた。
依頼人は突然現れた姪だった
依頼に来た女性は「藤井優里」と名乗り、亡くなった叔父が彼女の母の兄であると語った。しかし、登記簿に記されている名義人は別の名字だった。相続関係説明図を作るにも、情報が足りない。
「戸籍、全部そろってますか?」とサトウさんが尋ねると、彼女は「いえ、探している途中です」と曖昧な返事をした。直感で、なにか隠していると感じた。サザエさんで言えば、波平がカツオのいたずらに気づいた瞬間の顔だ。
空き家のはずの家に灯りが点る理由
調査を進めていくうちに、登記簿上の家には最近誰かが出入りしていることがわかった。近隣住民の証言では、「夜になると灯りがつく」という。
不思議に思い、現地に足を運んだ。玄関には郵便物が溜まり、鍵はかかっていたが、裏口のカーテンが揺れていた。「誰か住んでるな」と僕が呟くと、サトウさんは「不法占拠の可能性もありますね」と言った。
隠されたもう一つの権利証
公図と登記簿を突き合わせると、どうにも妙な点があった。敷地の面積が現況と一致しない。土地の一部が古い地番のまま残っていた。固定資産税の課税通知書も二通に分かれている。
「もしかして、もう一つ権利証があるんじゃないですか」とサトウさんが呟いた。その可能性を考慮し、市役所の課税台帳を確認した。すると、亡くなった人物と異なる名前の納税者が出てきた。
固定資産税の通知から読み取れた違和感
その納税者は、20年前に失踪届が出されていた人物だった。名前は「藤井浩司」。優里の母の旧姓と一致する。つまり、亡くなった名義人とは別に、もう一人の“所有者”が存在していた可能性がある。
ここでようやく、登記簿の謎と遺言書の存在が絡み始めた。相続の準備ではなく、相続を“偽装”しようとしていたのではないか――そんな疑念が浮かんだ。
過去に封印された名義変更
古い登記情報を追っていくと、ある登記申請が未了のままで止まっていることがわかった。つまり、相続登記が途中まで進められていたが、なぜか完了していなかったのだ。
「これは、誰かがわざと止めたな……」僕はボソッとつぶやいた。昔の司法書士が何らかの事情で止めたのか、それとも申請人が行方不明になったのか。
筆跡が語る真実と偽り
問題の遺言書を改めて検証した。筆跡鑑定を依頼した結果、書かれた文字が過去に登記申請書で使われたものと一致しないことが分かった。つまり、この遺言書は偽造の可能性が高い。
「なるほどね……サザエさんのエンディングでいつも走ってるカツオと同じくらい、逃げ場がなくなってきたな」と、心の中で苦笑した。
法務局の端末が告げた小さなミス
さらに法務局で過去の申請履歴を調べていると、ある申請に「却下」の文字があった。その理由は、相続関係説明図の添付忘れという初歩的なミスだった。
「やれやれ、、、こういう地味なミスが後を引くんだよ」とため息をついた。昔の僕を見ているようだった。
サトウさんの推理が冴え渡る
「この登記、わざと止められたんじゃなくて、手続きが面倒で放置された可能性がありますね」とサトウさんがぽつりと漏らした。その一言で全ての点が線になった。
相続登記は放置され、固定資産税は名義変更されぬまま納められ続けていた。つまり、誰も法的に正しい処理をしようとしなかっただけだったのだ。
登記記録から消された存在
本来の相続人であるはずの人物は、家庭内で疎まれ、追い出されていた。それを知った僕は、ほんの少し胸が痛んだ。彼の名前は、どこにも残されていなかった。
だが、その人物が支払い続けた税金と、黙っていた事実が、すべてを語っていた。登記簿は、ある意味で彼の“墓標”だったのかもしれない。
交錯する家族の嘘と想い
依頼人の藤井優里は、最終的に涙ながらに全てを白状した。遺言書は彼女の母が書いたもので、叔父が本当の父であることを隠すためだった。
家族の事情は複雑だった。だが、法律上の手続きと、心の整理は別物だ。彼女は涙を拭い、「本当のことを知らなかったことが一番つらい」とつぶやいた。
知られざる兄の存在と隠された養子縁組
さらに調べると、かつての名義人が藤井優里の母を養子に迎えようとした記録があった。だが、届け出はされていなかった。その事実も、母は知らなかったようだった。
「親って、意外と不器用なんだな……」僕は思わずつぶやいた。それは、きっとどの家庭にもある、名前に残せない感情だったのかもしれない。
司法書士が導く最後の結論
登記簿の修正は、家庭裁判所の許可を経て、無事に完了した。すべてが終わった後、優里は「これでやっと眠れると思います」と言って頭を下げた。
僕は首を軽く回しながら、「でもこれでまた別の登記が積まれてるんだよな……」と愚痴をこぼすと、サトウさんが「先に済ませてください」と冷たく返した。
登記簿が語ったのは優しさだった
この仕事をしていると、時々「名前だけが残っても意味がある」と思うことがある。今回の登記簿は、法的な記録というよりも、ひとつの“優しさ”の証明だった。
たとえ誰もその名を声に出さなくても、確かにそこに「生きた証」が刻まれていた。司法書士というのは、そんな証拠を読み解く仕事なのだと、あらためて感じた。
やれやれ、、、最後に走る羽目になるとは
全てが片付いたと思った瞬間、次の依頼者が事務所に駆け込んできた。「急ぎの相続登記です!」と叫ぶ彼に、僕はとっさに立ち上がった。
「やれやれ、、、最後に走る羽目になるとはな」と呟きながら、僕は封筒を手に取った。いつものように、事件は終わらないのである。