識別情報が残した影

識別情報が残した影

古びた封筒の中にあったもの

事務所の引き出しの奥から出てきた、茶色い封筒。くたびれた紙の質感に、なぜか胸騒ぎがした。差出人の名はなく、ただ「山田家 相続」とだけ手書きされている。封を切ると、中には登記識別情報の通知書が一枚。

だが、それはどう見ても偽物だった。正規の様式と異なり、文字の間隔が妙に歪んでいる。プリンターの劣化か、それとも何者かの悪意か。事務所の蛍光灯が、封筒の影をよりいっそう濃く映し出していた。

依頼者が語った不可解な相続

「父の遺産を登記したいんです」と訪ねてきたのは、青年だった。身なりは悪くないが、どこか演技がかった言い回しが鼻につく。「登記識別情報は、父の家から見つかりました」そう言って例の封筒を差し出してきたのだ。

だが、死後に偶然見つかるには、あまりにも都合が良すぎる。しかも、その家は10年以上空き家で、相続登記もされていなかった。司法書士の勘というやつか、胸の奥がざわついた。

登記識別情報が消えた日

法務局で記録を照会すると、件の不動産はまだ故人名義のままだった。しかし、何者かが数日前に仮登記の申請をしていた形跡がある。申請書には、見覚えのない司法書士の職印が押されていた。

「あれ、、、?これって、誰だ?」自分と同じ資格者であるにもかかわらず、まったく記憶にない名前。それに、申請された内容も妙に雑だった。まるで、誰かが形だけ真似て作ったような違和感。

サトウさんの冷静な分析

「この印影、スキャンして切り貼りしてますね」サトウさんが指摘した。パソコンの画面に映る画像を拡大しながら、彼女は冷ややかに言い放つ。「見てください、この角のボケ具合と、印影のかすれ方」

言われてみれば、確かに均一なボケ方だ。まるで、スタンプを押した瞬間の不規則性がない。やれやれ、、、また面倒な案件に首を突っ込んでしまった。ため息まじりに、封筒をもう一度見つめる。

封筒に残された謎のメモ

封筒の裏には、鉛筆で何かが書かれていた。「ツギノヒカクシンサクサヨ」──意味不明なひらがなの羅列。一見すると暗号のようだが、ひとつずつ並べ替えると「次の日 確信 削除よ」と読めなくもない。

意図的に誰かがメッセージを残したのだとしたら、相当な策士だ。まるで怪盗キッドが残すトランプのように、こちらを試すような痕跡。司法書士の頭脳が試される時がきたようだ。

不自然な印影と委任状

さらに調査を進めると、偽造された職印の持ち主は、すでに死亡していた別の司法書士だと判明した。委任状に書かれた名前も、実在の人物とは微妙に違う。まるで、名探偵コナンで出てくる「黒の組織」のような細工だ。

依頼者の青年にもう一度事情を聞こうとしたが、彼はすでに連絡が取れなくなっていた。携帯番号は解約済み、住所はウソ。一筋縄ではいかない相手だと悟るしかなかった。

元同僚司法書士との再会

「お前、昔からうっかりしてたけど、よくここまで辿り着いたな」そう言って笑ったのは、研修時代の同期だった藤村だった。彼はすでに廃業していたが、当時、山田家の登記を担当していたという。

「実はな、あの家には妙な噂があってな……」と藤村は語り始めた。どうやら、故人の山田氏には隠し子がおり、その存在を示す登記書類が偽造されていたという。いよいよ事件は核心に近づいていた。

三年前の不動産取引の記憶

「あの時、売買をやめさせておけばよかったんだよな」藤村は自嘲気味に笑った。三年前、山田家の不動産は一度他人に売られそうになったが、何者かの告発で取引は破談になっていた。

その時の書類の中にも、今回と同じような偽の識別情報があったという。偶然ではない、誰かが意図的に繰り返している。そして、いまだに終わっていない。

酒と愚痴と、思い出の中の疑念

居酒屋で飲む焼酎が、喉にしみる。シンドウはグラスを置きながらつぶやいた。「俺って、ほんと運がないな……」だがサトウさんの顔がちらりと浮かぶ。「まあ、少なくとも一人ではないか」

その時、ふと思い出したのだ。あの青年が口にしていた言葉。「父の戸籍も揃えてあります」──でも、それを言うには早すぎた。彼には言っていないはずなのだ、登記に戸籍が必要だなんて。

やれやれ、、、騙されたかもしれない

気づいた瞬間、胃がきゅっと縮んだ。あれは“知っていた”人間のセリフだ。まるでルパン三世が変装を解く瞬間のように、パズルの最後のピースがはまる感覚。やれやれ、、、本当に騙されたのは、俺の方だった。

青年の正体、それは隠し子などではなく、かつて山田家の不正登記に関与した者の息子だった。過去の罪を隠すために、彼は登記情報そのものを「なかったこと」にしようとしていたのだ。

眠らない登記簿

しかし、登記簿は眠らない。すべての痕跡が法務局に刻まれている。申請記録も、補正の履歴も、職権での却下も。そこに真実がある限り、司法書士は戦える。そう信じて、明日もまた事務所のドアを開ける。

「サトウさん、今日もコーヒー頼んでいいか?」
「ブラックでいいですよね」
彼女の塩対応が、少しだけ心地よく感じた。

すり替えられた識別情報の正体

結局、偽造された識別情報は過去に別件で使われた紙のスキャンだった。ファイルのデータ元を突き止めたサトウさんの執念には頭が下がる。証拠を法務局に提出し、無事、虚偽の登記は却下された。

すべてが終わったわけではない。だが、ひとつの嘘を見抜いたことには変わりない。小さな正義が、今日もどこかで誰かを守っている。そんな気がした。

封印された家に向かう

最後にもう一度、山田家に足を運んだ。薄曇りの空の下、古びた木の扉は静かに軋んだ。中には、何もなかった。だが、確かにここから何かが始まり、そして終わったのだ。

「また何かあれば、ご連絡ください」
そうメモを残し、シンドウは踵を返した。風が吹いた。何かを連れていくように。

空き家と一枚の遺言書

玄関の棚に、ぽつんと遺言書が置かれていた。それは新しい日付で記された、正式な遺言だった。内容には、あの青年の名前はなかった。すべての財産は、地元の福祉団体へと寄付されるとあった。

不思議と心が晴れた。登記簿が語る真実と、紙一枚が示す想い。どちらも、司法書士にとっては重い意味を持つ。人生とは、記録と記憶が交差する場所なのかもしれない。

司法書士が暴いた真実

結局、偽の識別情報は一件の未登記事件を隠すための道具だった。そして、それを暴いたのは、司法書士としての職務に忠実だっただけだ。ヒーローではない。ただの、しつこいおっさん。

だが、それでいい。誰かが気づかない嘘に、気づけるだけで。今日もまた、どこかで誰かが「識別情報を失くした」と言い出すだろう。やれやれ、、、終わりは、きっとない。

最後に活躍したのは

そういえば、最初に偽造に気づいたのは、やっぱりサトウさんだったな。結局、最後に一番活躍したのはあの人だ。オレはいつものようにうっかりして、そして愚痴って、それでもなんとかやってるだけ。

それでも、「シンドウさん、今日もなんとか一日終わりましたね」と彼女が言ってくれると、少しだけ救われる。明日もきっと、同じように。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓