その一言に詰まってる「軽視」への違和感
「先生、今回は書類だけお願いできますか?」——この一言、何度聞いただろう。依頼者にとっては軽いお願いかもしれないけど、こっちにとってはなかなか複雑な響きだ。まるで、書類作成が誰でも簡単にできるものだと誤解されているような気分になる。こちらとしてもできる限り要望には応えたい。でもその裏で、「司法書士って、ただ紙を作ってるだけの人だと思われてるんだな」と、少し寂しくなる瞬間でもある。
「書類だけでいい」という依頼の本音
たしかに、書類だけで済ませたいという気持ちはわかる。手続きが面倒だったり、費用を抑えたいという事情もあるだろう。でも、その「だけ」って一体なんなんだ?という疑問が湧く。書類を作るには情報の整理、内容の確認、法的判断が必要で、それがあってはじめて“書類”として成り立つのに。まるでコンビニでコピーを頼むような感覚で言われると、仕事の意味が軽く扱われているようで、少し心が疲れてくる。
背景を聞かずに作れると思ってる人たち
ときどき「この物件の名義変更、書類だけでできますよね」と軽く言われるけれど、登記ってそんな単純じゃない。相続なら関係者の確認から始まるし、売買や贈与なら契約の中身や状況を把握しなければならない。背景を聞かずに、正しい書類が作れるわけがない。医者に行って「とりあえず薬だけ出してください」と言うようなものだ。それがどれだけ危ういか、司法書士の仕事も同じなのに、その感覚はなかなか伝わらない。
それ、本当に“だけ”で済む話じゃないから
依頼者からすると、結果的に「書類ができた=簡単だった」という印象になるかもしれない。でも、その裏には何通もの照会、関係書類のチェック、法的整合性の確認、そして責任がある。とくに最近はオンライン申請や添付書類のルールも頻繁に変わる。正直、こっちも一発で通るかドキドキすることもある。それを「書類だけ」って……。頼まれるのはありがたいけれど、せめて“ただの作業”ではないってことだけは分かってほしい。
書類作成って、ただの作業じゃない
世間一般では「書類=事務作業」というイメージが強い。確かに見た目はただの紙。でもその中に詰まっているのは、専門知識と判断と責任。法的にミスが許されないから、慎重に、丁寧に、一つひとつ確認している。機械的にやっているわけじゃない。むしろ神経を使う部分が多く、終わった後にはどっと疲れることもある。特に相続や売買など人の感情が絡む案件は、気を遣いながら進めなきゃいけない。全然「ただの作業」じゃない。
リスクを背負うのはいつもこっち
もしも内容にミスがあったら、誰が責任を取るか?当然ながら司法書士だ。書類一枚にしても、「これで本当に大丈夫か」と何度もチェックするし、不明点があれば依頼者に確認する。時間も手間もかかる。でも、その工程は見えにくい。だからこそ、「そんなに時間かかるんですか?」なんて言われると、やり場のない悔しさがこみ上げる。こちらは自分の名前で提出してるんです。万が一がないように慎重になるのは、当然のこと。
チェックにかかる時間と責任の重み
書類が完成してからも、そこからが本番だったりする。誤字脱字、記載漏れ、添付資料との整合性……。とくに登記の世界では、ちょっとしたミスが取り返しのつかないことになる。提出後に補正通知が来れば、スケジュールも信用も狂う。だから最後のチェックは何度もやる。でも、これが「ただの確認作業」に見える人も多い。責任を感じながら、ひとつひとつ見ていくこの作業にこそ、プロとしての姿勢が詰まっている。
お客様の希望通りにするための地味な調整
依頼者の希望を叶えるためには、裏でこまごまと調整が必要になる。たとえば、登記日を揃えるために複数の役所と連絡を取ったり、共有者間の意見をまとめたり。とにかく「目立たないけど手間がかかる」仕事が山のようにある。それでも、依頼者には「お願いしてよかった」と思ってもらいたい。だから頑張る。でも「書類だけ」と言われると、その地味な努力すらなかったことにされるようで、ちょっと切ない。
「書類だけ」=「知識と判断力の軽視」
「書類をつくる」って、実は判断の連続だ。どの方式を選ぶか、誰の署名が必要か、何を添付すべきか。それを間違えると、登記は通らない。つまり「知識と判断」がなければ成立しない世界。それを「書類だけで」と軽く言われると、まるで知識なんて必要ないと言われている気分になる。職人が長年の経験で出す“感覚”を「ただの作業」と言われたら怒るのと同じ。僕ら司法書士も、誇りを持って仕事してるんです。
専門職としての価値が削られる瞬間
司法書士って、誤解されがちな職業だと思う。書類屋さん、登記マシン、黙って言われた通りに書くだけの人。そんなイメージを持っている人も正直いる。でもそれは違う。法律を理解し、現場で判断し、依頼者を守る立場にあるのが司法書士だ。専門職としての価値は、表には出ない部分に詰まっている。それを「書類だけ」と一言で片づけられた瞬間、自分の存在意義がグラつくことすらある。
何年もかけて積んだ経験がゼロ扱い
この仕事を始めてから20年近くになる。苦い経験も、恥をかいたことも山ほどある。失敗して学び、先輩に怒られ、現場で鍛えられてきた。だからこそ、今は多少のことでも落ち着いて対応できるようになった。それなのに、「書類だけお願い」と言われると、まるでその経験が何の意味もなかったかのように感じてしまう。知識も判断も経験も、それを詰め込んだうえでの“書類”なのに、それが伝わらないのが悔しい。
本音では「言いたくても言えない」モヤモヤ
正直、「書類だけ」って言われるたびに、心の中では「そんなんじゃ済まないんだけどな…」と思っている。でも、それをそのまま言ってしまえば、角が立つし、「めんどくさい先生」って思われたくない。だから、にこやかに「はい、かしこまりました」と応える。表面では丁寧に対応しているけど、内心はぐるぐるとモヤモヤしている。そんな葛藤が、日々積もっていくんだ。
角が立つから言わないけど心は叫んでる
実は何度も言いかけたことがある。「いや、それ“だけ”じゃないんですよ」と。でも、その一言で相手が引いてしまうのが怖い。仕事は欲しい。でも誤解されたまま進むのもつらい。その板挟みのなかで、今日も一人、事務所で静かに書類を整える。「わかってくれる人は、わかってくれる」と自分に言い聞かせながら。
「簡単ですよね?」の一言に飲み込む気持ち
ときどき「これ、簡単な登記ですよね?」と聞かれることがある。でも、それに「はい」と答えたら、さらに軽く見られてしまう気がして、「まあ、内容によりますね」と濁すのがいつものパターン。簡単かどうかは、こっちが決めることじゃないし、実際やってみないと分からないことのほうが多い。簡単な仕事なんて、どこにも転がってない。そんな本音も、今日もまた、机の引き出しの中にしまったままだ。
誤解と無理解の間で働くということ
司法書士という仕事は、表面的には「書類作成」かもしれない。でも実際は、法的リスクの管理、依頼者の不安のケア、複雑な背景の整理——そういう見えない仕事に満ちている。だからこそ、ちゃんと伝えたい。「書類だけ」って言うけど、その一枚にどれだけの時間と責任が込められているかを。誤解と無理解のあいだで、それでも信念をもって続ける。それが、司法書士という仕事のリアルなのかもしれない。