言葉にできない感情が溜まっていく

言葉にできない感情が溜まっていく

胸の奥にたまっていく重たいもの

日々の仕事の中で、「うまく言えないけど、なんかしんどいな」と感じることが増えてきた。理由を聞かれても答えられない。ただ胸のあたりにモヤモヤと重たいものが沈殿していくような感覚。忙しい時ほど、自分の感情に目を向ける余裕がなくなる。気づけば、感情は置き去りのまま、ただ業務だけが先に進んでいく。誰かに話すほどでもない。でも、誰かにわかってほしい。そんな感覚に、日々支配されている。

感情に名前がつけられないというもどかしさ

「疲れてるの?」と聞かれても、「いや、大丈夫です」と返してしまう。正直、疲れているのかどうかすら、自分でもよくわからないのだ。ただ、心が晴れない。感情を言葉にできれば少しは楽になるのかもしれないが、その言葉が見つからない。だから、他人にも説明できず、ただ黙ってやり過ごす。そうやって放置した気持ちは、じわじわと心の奥底に沈んでいって、気づけば動けなくなるほどの重さになっている。

「なんか辛い」の正体がつかめない日々

ある日、突然ふとした拍子に「もう全部投げ出したい」と思う。でも、その「全部」が何なのか、言葉にできない。事務所で仕事をしていると、電話が鳴るたびに心がざわつく。相手の言葉に気を配り、間違いのないように神経を尖らせる。終わっても安心感より先に疲労がくる。日々の小さな負担が積み重なり、「なんか辛い」という、形のない感情だけが残る。言葉にできないからこそ、余計に厄介なのだ。

整理しようとしても感情が逃げていく

頭で「今の自分はこう感じてる」と分析しようとしても、うまくいかない。心と頭がかみ合っていないような感覚になる。ノートに気持ちを書き出そうとしても、ペンが止まる。「結局、自分は何が嫌で、何に悩んでいるのか?」自問しても、答えは出ない。だからと言って、そのままにしておくと、さらに混乱するばかり。感情をつかもうとすると、するりと逃げていく。その繰り返しが、さらに疲れを増幅させていく。

仕事に追われながらも感じる孤独

司法書士という仕事は、思っている以上に孤独な職業だ。お客様とのやりとりはあっても、心を開いて話せる相手ではない。職員がひとりいても、業務的な会話がほとんどで、こちらの感情まで共有できる関係とは言い難い。毎日誰かと話しているのに、心は一人きりという感覚に陥る。孤独を感じていないふりをするのも、そろそろ疲れてきた。

事務所には人がいても、心はひとり

事務員さんがいてくれることは本当に助かる。でも、仕事の進捗や事務処理のことばかりで、こちらの内面まで立ち入るような話はしない。お互いに気を使いすぎて、距離ができてしまう。だから、孤独感は埋まらない。相談することもできず、ただ「大丈夫なふり」をし続ける。誰かがいるという事実と、心の中の孤独感が、見事にかけ離れている。

「誰かに頼りたい」と言えない自分

「もう少し誰かと話したい」「弱音を吐きたい」と思っても、どうしてもそれができない。頼ることは甘えだと思ってしまうし、「自分がしっかりしなきゃ」という思いが邪魔をする。特に一人事務所だと、すぐに弱音を吐ける環境でもない。プライドなのか、職業柄なのか、「誰かに頼ってもいい」と思えるまでに、時間がかかってしまうのだ。

責任感と無力感のはざまで揺れる

日々、依頼者の財産や人生の節目に関わる仕事をしていると、「自分がミスしてはいけない」というプレッシャーが強くなる。でも、同時に「自分には限界がある」とも感じている。この責任感と無力感の板挟みにいることで、さらに心が削られていく。仕事に誇りはあるが、余裕はない。言葉にできない感情が静かに蓄積していくのは、この矛盾のせいかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。