「頑張ってるね」に込められた無言のプレッシャー
「頑張ってるね」と言われると、なぜか胸がザワザワする日がある。言ってくれた相手に悪気はない。むしろ善意だろう。だけど、その言葉の裏側に「もっとやれるでしょ」とか「今のままじゃ足りないんだよ」といった空気を勝手に感じてしまうことがある。たぶん、疲れている証拠なんだと思う。司法書士という職業柄、人の人生の節目やトラブルに立ち会うことが多い。だからこそ、自分の感情に蓋をするのが当たり前になっていて、それでも何かをやり続けなきゃという焦燥感に苛まれる。そんなときに、「頑張ってるね」は、励ましというより評価のように聞こえてしまうのだ。
そもそも、誰のために頑張ってるんだっけ?
ふと立ち止まったとき、自分が何のために、誰のために頑張っているのかがわからなくなることがある。開業して十数年、事務員一人と二人三脚で回してきたこの小さな司法書士事務所。忙しさに追われる中で、依頼者のこと、事務員のこと、家族(といっても今は遠くの親くらい)のこと、地域のこと、色々気を配ってきたつもりだ。でもふと鏡を見ると、疲れ切った自分の顔が映っている。「あれ?俺、誰のためにここまでしてるんだっけ?」そんな疑問が浮かぶ日がある。頑張るのが目的になってしまったような、そんな違和感だ。
「ありがとう」より「頑張れ」の方がしんどい
「ありがとう」と言われると、報われた気がする。「頑張れ」と言われると、まだ足りないと言われている気がする。この違いって案外大きい。たとえば、遺言書の作成や相続登記で何日も準備を重ねて、無事に終えたとき、依頼者からの「助かりました」の一言には救われる。でも、友人や知り合いに「まだ忙しいの?頑張ってるね~」と言われると、「いやもうこれ以上どうしろと…」という気持ちになる。応援の言葉が、時にプレッシャーになるという皮肉な現実があるのだ。
応援の言葉が刺さる日もある
いつも「頑張ってるね」が苦痛なわけじゃない。自分でも不思議だけど、余裕があるときは「ありがとう」と返せる。でも、気持ちが擦り切れているとき、特に心が弱っているときには、その言葉が突き刺さる。「頑張ってるね」は、受け取る側の状態で意味が変わってしまう。だからこそ、表面的な言葉より、もう少し寄り添った目線がほしいと思ってしまう。そんなことを考える自分は、甘えているんだろうか。
空元気がバレないようにする毎日
「元気そうですね」って言われると、胸が苦しくなる。だって、元気そうに振る舞ってるだけだから。司法書士という仕事は、依頼者の前ではいつも冷静でいなきゃいけない。怒鳴る相手にも笑顔で、無理な依頼にも冷静に。そんな毎日を繰り返していると、自分の本当の気持ちをどこかに置き去りにしてしまう。感情を出す場所がないというのは、想像以上にしんどい。笑顔が増えるほど、内側の疲れも溜まっていく。
笑顔で乗り切るほど、疲れは深まる
笑顔には力がある、なんて言うけれど、こっちが無理して作る笑顔には代償がある。ある日、事務員の彼女に「先生、最近よく笑ってますけど、逆に心配になります」と言われてしまったことがある。図星だった。何かを誤魔化すように笑っていたのだ。笑顔で乗り切る日々が続くと、感情の起伏がなくなっていく。そうなると、ちょっとしたことでも涙が出そうになったりする。心が疲れてるときほど、人は笑ってしまうものかもしれない。
「明るいですね」って言われるほど辛い皮肉
「先生って、意外と明るいですね」って言われるたび、胸の奥がざらつく。それは、外に出す“キャラ”としての自分であって、本当の自分ではない。明るいって、どこを見て言ってるんだろう。徹夜明けの目のクマも、書類ミスに頭を抱えた夜も、誰にも見られていないからこそ、見た目の印象で勝手に決められてしまう。「元気そうですね」「明るいですね」…その言葉が、心の暗い部分を照らしてしまうから余計に辛いのだ。
そんな日々を、どうやって乗り越えているか
じゃあ、そんな日々をどうやってやり過ごしているのか?正直に言うと、「慣れ」と「諦め」だと思う。でも、それだけじゃあまりに寂しいから、自分なりに気持ちを整える工夫もしている。司法書士という仕事は、孤独になりがちだ。でも、自分を労る方法を少しずつ増やしていくことで、なんとか心のバランスを保っている。派手なことじゃなくて、ほんの些細な日課が救いになることもある。
小さなルーティンが、自分を支えてくれる
毎朝のコンビニコーヒー、決まった席に座って書類を確認する時間。そんな当たり前のルーティンが、実は自分を保つ大事なリズムになっている。ある意味、生活の「支柱」だ。何も考えずにできる行動があると、心の中に余白ができる。朝、事務所の前を掃除しながら深呼吸するだけで、ちょっと落ち着けたりする。ルーティンは、誰に見せるでもない、自分だけの「がんばらない習慣」かもしれない。
コーヒー1杯に救われるときもある
疲れ果てた日の夕方、事務員が淹れてくれたインスタントのコーヒーに思わずホッとしたことがある。高級な豆じゃない。ただのお湯と粉。でも、そのコーヒーを一緒に飲みながら、「今日きつかったですね」ってひとこと言ってもらった瞬間、肩の力が抜けた気がした。人間って、派手なサポートより、何気ないやさしさの方が沁みることがある。それを忘れずにいたい。
それでも明日も来るから、やるしかない
結局のところ、どんなにしんどくても仕事は回ってくる。書類は待ってくれないし、登記の期限も動かない。だから、やるしかない。でも、それでいいと思っている部分もある。愚痴は多いし、正直モテもしないし、楽しくない日もある。それでも、誰かが頼ってくれる限り、この仕事を続けていくんだと思う。頑張ってるね、なんて言葉じゃなくても、黙って見てくれている人がいる。それだけで、少し救われる。
「頑張ってる」と言われたくないから、続けている
不思議なことに、「頑張ってるね」と言われたくない日ほど、逆にちゃんと仕事をやっている気がする。誰にも褒められなくても、自分なりに手を抜かずやっている。それはたぶん、「ちゃんとやれてる」と自分が思いたいからだ。言葉にされなくても、自分の中で認められれば、それでいいのかもしれない。だから今日もまた、いつものように事務所に入り、書類を広げる。誰かの「ありがとう」だけを信じて。