話す気力が湧かない朝の重さ
朝、布団の中でスマホのアラームを止めた瞬間、今日も仕事か…と思ってしまう。そんな日は、なぜか声を出すのもしんどい。毎日繰り返される業務、対応しきれない書類の山、そして人と話すことへの疲れ。仕事以前に、「人と接する」ことそのものにエネルギーが残っていないと感じる。特別な理由があるわけではない。むしろ、特別なことがない日ほどこの重さがずっしりのしかかる。自分でもどうしようもない感覚に、焦りすら感じる。
「おはようございます」が遠い言葉に感じる
事務員が事務所に入ってくる。「おはようございます」と声をかけられるが、こちらからの返事が自然に出てこない。「あれ?返したっけ?」と後になって心配になるほど、自分の反応が鈍い日がある。たった一言の挨拶が、心の準備なしにはできない。そんな自分に嫌気が差す。昔はもっと元気に、軽快に挨拶していたはずだ。今はそれすら億劫で、なんなら気配を殺していたいと思ってしまう。これはもう老化なのか、疲れの蓄積か。
声を出す前に心が沈んでいる
本当にしんどい日は、声を出す前に心の中が重く沈んでいて、「声を出す行為そのもの」が負担になる。昔、小学校の朝礼で「声が小さい」と怒られたことをふと思い出した。あのときの気持ちと似ている。「元気がない」と見られることに対するプレッシャー。それでも、内心ではただ静かに過ごしたいだけなのに。無理にテンションを上げる気力もなく、結果として無言になってしまう。
挨拶だけで体力を使い切る日もある
ある日、午前中に3人と挨拶を交わしただけで、なんだか全力疾走でもしたような疲労感に襲われた。笑顔を作り、声を出し、相手の表情を読み取って…たった数秒のやり取りでも、こちら側には莫大なエネルギーが必要だったのだと痛感する。そんな日は午後に来客があっても、どこか虚ろな対応になってしまう。それが自己嫌悪に繋がり、さらに気力を削がれていく。負のループだ。
業務連絡すら億劫な自分がいる
事務員に伝えるべき簡単な連絡すら、今日は後でいいや…と先延ばしにしてしまう日がある。必要最低限の言葉を選んで、余計な会話が発生しないように気を遣うのも疲れるからだ。「たったそれだけのことが面倒に感じるの?」と自分で自分にツッコミを入れたくなるが、それが現実。こんな日は何をしてもうまく回らない。
簡単な伝達すら後回しにしてしまう
「この書類、〇〇さんに郵送しておいてください」——この一言を伝えるだけなのに、気持ちがついていかず口に出せない。そうこうしているうちに時間が過ぎていき、仕事の段取りが狂ってしまう。伝えないといけないとわかっているのに、それを実行するための精神的ハードルが異様に高い。まるで大事な決断を迫られているかのような錯覚に陥る。
メールや電話の着信にビクビクする日
スマホやパソコンに通知が出るたびに「また何か来た」と心がざわつく。お客様からの電話、役所からの問い合わせ、あるいは営業の連絡。どれも対応しないといけないのに、どれにも向き合う気力がない。特に電話は声を出さなければならない分、出るのが億劫になる。留守電にしてしまって、後で聞いてまた憂鬱になる。負の連鎖だ。
伝えるより黙って処理したくなる衝動
何かを頼むくらいなら自分でやった方が早い、という感覚に支配される。でも本当は頼ることができない自分の弱さから来ているのかもしれない。人に説明するのが面倒、話すのが面倒、それでいて「なんで自分ばかり」と思ってしまう矛盾。ひとりで抱え込んで、結局また疲弊する。わかってはいるけど、変えられない。
雑談ができないと「人付き合い」が崩れる
仕事の合間の雑談って、意外と大事だ。事務所の空気が和らいだり、相手の体調や気分を感じ取る手がかりにもなる。でも、話す元気がないと、その雑談すらできなくなる。そして相手との距離が少しずつ開いていく。孤独と仕事のプレッシャーが重なって、ますます口を閉ざしてしまう。
事務員との沈黙が気まずい
朝から夕方まで、必要最低限の会話しかしていない日。事務員も気を遣ってくれているのか、あまり話しかけてこない。けれど、それが逆にプレッシャーになる。「ちゃんと気を配ってあげないと」と思いつつ、体が動かない。沈黙の時間が重たく感じられるほど、コミュニケーションって繊細なバランスの上にあるんだと実感する。
何を話せばいいかわからない
昔は天気の話やテレビの話で軽く笑えたのに、今はそのきっかけすら思いつかない。自分がどんどん会話下手になっていくようで怖くなる。「黙ってると感じ悪いかな」「話しかけると邪魔かな」そんなことを考えすぎて結局何も話せず、また自己嫌悪。気づいたら会話のセンスまで失っている気がする。
「機嫌悪いの?」と心配されるストレス
話さないだけなのに「先生、今日なんかあったんですか?」と聞かれる。そういう気遣いが、ありがたい反面、しんどい。説明する元気もないから、「いえ、特に…」と曖昧に答える。そうやって誤解されていくことがまたプレッシャーになる。話せない日が悪いことみたいに感じてしまう。
士業という肩書きがプレッシャーになる
士業という立場上、「しっかりしている」「対応が丁寧」「話しやすい」などの印象を求められる。けれど、そんな自分でいられない日もある。弱音を吐ける相手も少なく、愚痴を言えば「士業なのに」と思われそうで黙ってしまう。肩書きが、どこか自分の首を絞めているように感じることもある。
ちゃんとしていないといけない、という思い込み
一度でも「疲れてるんです」と言ったら、それが言い訳に聞こえるんじゃないかと不安になる。士業は常に「きちんとしてる人」であって当然、という無言の圧力を勝手に感じてしまう。特に田舎では近所の目もあるし、対応ひとつで噂になることもある。そう思えば思うほど、自分を追い込んでしまう。
「頼れる存在」でいたい自分とのギャップ
誰かの役に立ちたい、信頼されたい、そう思って今の仕事を続けてきた。でも最近は、「そんな自分でいたい」という気持ちと、「もう疲れた」という本音の間で揺れている。理想の自分と現実の自分とのズレがつらい。それでもなんとか日々をこなしているのは、責任感なのか、ただの惰性なのか、自分でもよくわからなくなってきている。
話すより黙ることで保っている日もある
「話さない=元気がない」ではなく、「話さない=これが精一杯」な日もある。ただ静かに、黙々と、業務をこなしているだけで精一杯。そんな自分を責めすぎずに、「今日はそういう日」と受け止められるようになれたら、少しは楽になれるのかもしれない。
言葉が出ないのではなく、出したくない
誰かに何かを伝えるよりも、黙っていた方が気持ちが安定することがある。特に気を遣う相手とのやりとりは、話すだけで心が消耗する。だから言葉を選ぶことに疲れて、結果として「出さない選択」をしてしまう。無理して会話をして自分のペースが崩れるよりも、黙っていた方がうまくやれる気がしてしまう。
話さないことで自分を守っている感覚
話すことで誤解されたり、余計なことを言ってしまったりするくらいなら、黙っていた方が安全だ。そんな思考が染みついてきたのかもしれない。話さないことで人と距離ができてしまうのはわかっているが、それでも今の自分を守るには必要な手段だと思っている。でも、本音では「誰かに少し話を聞いてもらいたい」とも思っている。