不動産の相談とひとつの違和感
昼過ぎ、事務所のドアが控えめにノックされた。入ってきたのは、明るい色のワンピースに身を包んだ女性。どこかで見た顔だが思い出せない。彼女は緊張気味に言った。「実家の土地の件で相談がありまして…」。
不動産登記か、と思いながら、俺は軽く頭を下げて椅子をすすめた。だが、渡された資料に目を通すうち、ある種の違和感が脳裏をよぎった。
仮登記という名の保留された感情
登記簿に記載された「仮登記」の文言。しかも、それが所有権移転ではなく、所有権保存という妙なかたちで残っている。普通はそうならない。
「これ、いつされたものですか?」と尋ねると、彼女は少しだけ目を伏せて「…五年前です。元夫の名義です」と言った。やはり、そう来たか。
持参された謎の登記識別情報通知
彼女が鞄から取り出した封筒には、登記識別情報通知書が入っていた。しかし、日付が妙だった。現在の登記内容と齟齬がある。
「何かおかしいですね」と呟くと、背後から「おかしいのはあなたの寝癖です」とサトウさんの塩対応が飛んできた。今日も平常運転らしい。
日付が示す微妙なタイムラグ
通知書の日付は、仮登記の日付より数ヶ月後だった。これは誰かが手続きの途中で止めた証拠だ。つまり、誰かが意図的に仮登記をそのまま放置していた。
意図的に仮のまま残す理由とは。感情か、保身か、それとも犯罪の予兆か。やれやれ、、、面倒なにおいがしてきた。
依頼人と元夫の奇妙な関係性
話を聞くにつれ、彼女と元夫は完全には切れていないことが分かった。未練というより、何かの「借り」が残っているようだった。
「あの人、まだあの土地にこだわってるんです…」と彼女は言う。土地に?それとも、彼女自身に?
愛と財産の境界線
こういうケースはよくある。離婚後も共有財産の精算がうやむやになり、仮登記がそれを象徴する形になっているのだ。
しかし、この仮登記は意図的すぎる。感情のこじれが表面化しすぎている。俺の中の何かが警鐘を鳴らしていた。
サトウさんの冷静な一言
「恋愛と登記は、明確に線を引くべきです」とサトウさんが言った。まるで灰原哀のように、冷たくも的を射たセリフだった。
「でも人間って、その線を引けないんですよね」と俺がぼやくと、「あなたの場合、恋愛がそもそも発生しないので線すらありません」と即答された。
恋愛より先に気づくべきこと
彼女の指摘で我に返る。恋愛沙汰ではなく、これは明らかに登記情報を使った「情報隠し」だ。仮登記は、恋の余韻ではなく、意図的な帳尻合わせだ。
つまり、元夫は「手を引くふり」をしながら、裏で手を伸ばしていたのだ。
元野球部の勘が冴えた瞬間
資料の角に残る指紋のあと。登記識別情報にだけ不自然な折れ目。これは見せかけのために偽装されたのではないか。俺の勘がピリッと走った。
昔、キャッチャーとしてピッチャーの握りを読んでいた癖が、こんな場面で役立つとはな。
筆跡から読み取る隠された真意
申請書の筆跡と、仮登記を依頼したとされる委任状の筆跡が微妙に違う。拡大してみると、書いた人物が違うと確信できる。
誰かが、彼のふりをして申請した――そう結論づけると、全てが繋がった。
仮登記に隠された本当の意図
仮登記は、実は彼女自身が申請していた。彼に渡された印鑑証明と委任状を使って、手続きをしたのだ。
「私、ずるいですよね…」と小さく笑った。ズルいというより、賢い。でも、それが逆に彼の疑念を煽り、関係が壊れた原因だったのかもしれない。
彼女が泣いた理由
「私は彼に、愛されたかっただけなんです」と彼女は言った。だが、登記簿には愛の証明は残らない。
そこにあるのは、法律と制度の記録だけ。だからこそ、彼女は「仮のまま」を選んだのだ。
不動産会社からの一本の電話
「あの土地、元夫が売却しようとしています」と不動産会社から連絡が入った。しかも、登記簿の仮登記に気づいていないらしい。
「これは止められますか?」と彼女が言った。俺はうなずく。「できます。仮ではあっても、あなたの権利ですから」
全てが裏返る証拠の提示
彼女が自分で申請したという証拠を、俺が準備した書面に添えて提出。相手方には仮登記の効力を主張し、売買の一時中止を求める通知を送った。
「元夫さん、知らなかったんですね…」と彼女が呟く。知らない方が幸せだったかもしれない。
事務所での対決と告白
その後、元夫が事務所にやってきた。俺と彼と、そして彼女。三人の間に重い空気が流れた。
「…もう売ってもいいよ。でも、ちゃんと終わらせたかったの」と彼女は言った。彼は一瞬沈黙し、そして静かに頷いた。
登記より重たい想いの行方
俺はふと思った。登記簿より重たい記録があるとすれば、それは人の心なのかもしれない。
恋の証明は法務局ではできない。だが、その恋が間違っていなかったかは、自分で知るしかない。
仮のままではいられない関係
事務所を出た二人の背中は、少しだけ近づいて見えた。仮だった関係に、ようやく現実が追いついたのかもしれない。
「ま、うまくいくかどうかは別として…」俺はぽつりと呟いた。
サトウさんの意外な本音
「仮でも、誰かに想われるっていいですね」サトウさんが、珍しく少しだけ微笑んだ。
「俺だっていつか…」と返しかけて、やめた。自分の仮の未来に、まだ確定はない。
仮登記抹消申請のその後
後日、彼女は抹消登記の手続きを行った。もう、彼を縛る必要はないと感じたのだろう。
それが彼女なりの、最期の恋の証明書だった。
法務局が見た小さな奇跡
提出された書類に、担当官がぽつりと漏らした。「最近こういうの、増えてますよ。仮の愛の抹消ですかね」
俺は笑いそうになって、こらえた。法務局の窓口にも、ドラマはあるらしい。
恋と事件の結末の午後
午後のコーヒーを飲みながら、俺は机の上を整理していた。事件は解決、恋もひと段落。
ただ、俺の恋だけは…まあ、それはそれとして、だ。
恋愛も登記もタイミング次第
手続きも恋も、一歩早いか遅いかで結果が違う。それが分かっていても、やはり難しい。
「次は、登記簿に俺の名前を入れてくれる人、いないかな…」と思ったが、口には出さなかった。
そして次の依頼者がやってくる
ドアがノックされ、新たな依頼人が現れた。俺は顔を上げ、「どうぞ」と言った。
仮のままじゃいられない毎日が、今日も続いていく。
仮ではない日々が始まる
「やれやれ、、、」と小さく呟いて、俺はペンを取った。
次の証明は、俺自身の番かもしれない。