時計を見て、ただため息をつく夜がある
午後10時を過ぎたあたりで、ふと顔を上げた。蛍光灯の白い明かりに照らされた壁掛け時計が、カチカチと音を立てている。今日も一日が終わる。ただし、業務は終わっていない。気がつけば、何もしていない時間よりも、何かに追われていた時間のほうがずっと多かったように感じる。それなのに、なんでこんなに何も進んでいないんだろう。そんな気持ちが胸に広がり、自然と溜め息が出た。音もなく誰もいない部屋で、ため息だけが妙に重たく響く。
終わらない業務、片付かない書類
もう何度目だろう、「今日はこれだけやれば終わり」と朝に思ったのは。しかし、現実はそんなに甘くない。電話対応、急ぎの登記、不備の修正、そして依頼者との微妙なやりとり。ひとつ終わればふたつ増え、ふたつ終わればまたひとつ戻ってくる。司法書士の仕事は、正確でなければならないし、スピードも求められる。だけど、その両方を完璧にこなせる日はほとんどない。結果として、書類の山は崩れることなく今日も机の上に居座っている。
誰も褒めてくれない努力
この仕事を始めてから、誰かに「頑張ってますね」と言われた記憶はあまりない。ミスがないことが当然で、遅れがないことが普通。褒められない代わりに、指摘はされる。だから、自分で「今日もよくやった」と心の中で言うしかない。でも、それも空しい。人は誰かに認められたい生き物だと思う。せめて一緒に頑張っている人がいれば、と何度も思ったけれど、今のところ、僕には時計しか話し相手がいない。
「もう少しで終わる」が何時間続くのか
「あと30分だけ頑張ろう」と思ってから、3時間が経っていた。司法書士の仕事は、「あとちょっと」が延々と続く性質を持っている。登記情報のチェック、添付書類の確認、法務局への問い合わせ。どれも細かく、注意を要する作業ばかりだ。しかも、気を抜けばすぐに重大なミスにつながる。だから、終わらせることが怖くなる。慎重になりすぎて時間ばかりが過ぎていく。そしてまた時計を見て、ため息をつく。
静かな部屋に響くのは時計の音とため息だけ
事務所の夜はとても静かだ。冷蔵庫のモーター音と、壁掛け時計の秒針の音しか聞こえない。昼間は人と話すこともあるけれど、夜になると全てが止まる。そんな中で、自分の呼吸やため息がやけに耳につく。昔は静けさが好きだったのに、最近はその静けさが寂しさとして押し寄せてくる。とくに、疲れている日はそうだ。誰にも話せず、相談もできず、ただただ黙って作業を続ける自分に、心が冷えていくのがわかる。
話し相手がいないという現実
「一人で気楽ですね」と言われることもあるが、実際は違う。一人だからこそ、誰にも弱音を吐けないし、すべての責任は自分にのしかかる。事務員さんはいても、僕の内面まで話せる関係かというとそうではない。仕事の話はできても、心の話はできない。日中は忙しさに紛れてごまかせても、夜になると急に「誰かに話を聞いてほしい」と思う。それができないということが、どれだけ心をすり減らすかを、誰にも伝えられずにいる。
音がないと、逆にしんどい
静かな環境は集中できるとよく言われる。でも、心が疲れているときには逆にしんどい。テレビをつけてみたり、ラジオを流したりしてみるけれど、それも虚しく感じてしまう日がある。とくに、自分の内面と向き合う余裕がないときには、無音の中で自分の思考だけがぐるぐる回って、どんどんネガティブになっていく。「あの時、もっと違う人生を選んでいたら…」そんな考えが浮かぶ夜は、たいていこの静けさがきっかけだ。
人はなぜ「頑張ってる人」に寄り添わないのか
「大丈夫そうに見えるから」と言われたことがある。たしかに、表向きは淡々とこなしているように見えるかもしれない。でも、それは単に我慢しているだけだ。頑張っている人にこそ、誰かが「無理してないか」と声をかけてくれる社会であってほしいと思う。でも現実は、頑張る人ほど見過ごされてしまう。僕自身もまた、そうして他人を見過ごしているのかもしれない。だからこそ、あの時計を見て溜め息が出る。
「ちゃんとしてる人は大丈夫」という誤解
仕事が早い、ミスが少ない、納期を守る。そういった「ちゃんとしている人」は、大丈夫に見えるらしい。でも、その裏でどれだけのプレッシャーや孤独を抱えているかは、ほとんど知られていない。僕も「安定してますね」と言われることがあるけれど、内心はいつもギリギリでやっている。誰かのために一生懸命になるほど、自分のための時間はなくなっていく。それでも手を抜けないのが、この仕事のつらいところだ。
相談されるけど、相談はできない
司法書士という職業柄、「相談される」ことは多い。でも、「相談する」ことはなかなかできない。どこかで「自分が弱音を吐いたらいけない」と思ってしまう。特に地方では、顔の見える人間関係が多い分、余計に本音を出しづらい。結局、自分の中に溜め込んでいくしかない。そしてその感情が、ある日ふとした瞬間に溢れ出す。それが、「時計を見てため息が出る」瞬間だったりするのだ。
頼られることに疲れた夜
頼られるのはありがたい。でも、それが毎日続くと、重荷にもなる。全員の期待に応えようとして、自分の限界を見失ってしまう。しかも、誰かに助けを求めることが「逃げ」だと思われるのではないかと不安になる。だから今日も、自分を責めるようにして残業を続けてしまう。部屋の時計が深夜を回ったことに気づいても、なぜか手を止められない。そんな自分を、誰が救ってくれるんだろうか。