ありがとうが聞きたくて働いてるわけじゃない、でも聞けたらちょっと泣きそうになる

ありがとうが聞きたくて働いてるわけじゃない、でも聞けたらちょっと泣きそうになる

「ありがとう」なんていらないと思ってた

司法書士としてやってきた中で、「ありがとうが聞きたくて働いてるわけじゃない」と何度も自分に言い聞かせてきた。別に感謝されなくても、仕事は仕事。報酬はもらっているし、それで十分だろうと。でも、ある日ふと気づいた。「あれ、最近誰かに『ありがとう』って言われたっけ?」って。自分が思っている以上に、その一言に飢えていた。感謝の言葉なんてなくてもやれる。でも、あったら、きっとちょっとだけ心が軽くなるのに。

感謝されるためにやってるわけじゃない

司法書士の仕事って、基本的に目立たない。華やかさもなければ、ドラマチックな瞬間も少ない。登記や相続、債務整理。どれも裏方的な役割で、日常の生活に直接「ありがとう」が返ってくることは少ない。だけど、ふと「この人、感謝してくれてるのかな?」と不安になる瞬間がある。仕事の結果が出たとしても、感謝の言葉がなければ、ただ淡々とやっただけに見えるのがこの仕事の難しさかもしれない。

でも無反応はけっこう堪える

一度、相続登記を終えた高齢の依頼者から、一言の感謝もなく、ただ「わかりました」とだけ言われたことがある。別に怒っているわけじゃない。でも無表情のまま帰られて、こちらも「お疲れさまでした」としか言えなかった。その帰り道、なんとなく胸がモヤモヤして、コンビニのコーヒーがやたらと苦く感じた。無反応というのは、怒られるより堪える時がある。

淡々と処理してるふりして、実は気にしてる

書類を作って、確認して、提出して、終わったら次の案件へ。そんなふうに、感情を押し殺して仕事をこなしているけれど、実はけっこう一言一言に敏感だ。あの時「助かりました」って言ってくれてたら、もう少し違う気持ちで帰れたのに。口に出さなくてもわかってる、というのは幻想で、やっぱり言葉にしてもらえたら、それだけで次の元気になる。小さな事務所で、一人の時間が多いからこそ、余計にそう思う。

手続きは無事に終わっても、感情は置き去り

法律的には完璧な処理をしたとしても、依頼者の心に何かを残せたかはわからない。手続きを終えても、こちらの人間的な努力や気遣いは、見えないまま終わることが多い。書類の正確さで評価されるのは当たり前。でも、それだけでいいのか?と感じる夜がある。特に、誰とも言葉を交わさず1日が終わった日なんて、机の上に残った書類だけが今日の成果って感じで、ちょっと虚しくなる。

報酬よりも、心に残る一言がある

もちろん報酬は大事だ。生活はそれで成り立っている。でも、ふとした瞬間にふと思い出すのは、「この前の相続、丁寧にやってくれてありがとうね」と言ってくれた一言だったりする。あの一言で、何か救われた気がした。感謝って、たった一言で何時間も働いた疲れを吹き飛ばす力がある。司法書士としての存在を肯定されたような、そんな気持ちにさせてくれることがある。

「助かりました」の破壊力

とくに印象に残っているのは、借金の整理を依頼してきた若い女性からの「本当に助かりました」という言葉。あの時、彼女は泣きながら頭を下げていた。こちらとしては当然のことをしただけ。でも「助かった」と言ってもらえたことで、「この仕事、まだやれる」と思えた。お金には換算できない種類の報酬だ。

疲れ切った夕方に響く言葉

夕方、クタクタになって最後の面談が終わったとき、「先生、今日はありがとうございました」と言われたことがある。その瞬間、張り詰めていたものがふっと抜けた気がした。忙しさで疲れてるというより、人とのつながりが薄れてる感じがしてた中で、そんな何気ない言葉が心に刺さった。ああ、やっぱり人って言葉でつながるんだな、と改めて思わされた。

自分の存在を肯定された気がした瞬間

独身で一人暮らし、家に帰っても誰かが「お疲れさま」と言ってくれるわけじゃない。だからこそ、誰かからの「ありがとう」は、何倍にも心に響く。自分の仕事に意味があるんだと確認できる、数少ない機会。どんなに頑張っても、誰にも見られてなければ、やっぱりどこか寂しい。それでも、たった一言で「見てくれてたんだな」と思えることがある。その瞬間、報われた気がする。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。