朝の一報で午後が消える瞬間
今日は午後に少しまとまった作業ができる、そんなふうに期待して事務所に来た朝。だいたいそういう日に限って、開口一番「すみません、急ぎで登記お願いできますか?」という連絡が入る。気持ちよく受けられればいいのだけど、内心では「またか」と毒づいている。もう何度目か数える気にもならない。でも、そんな一報で自分の午後がまるっと溶ける。この現象、名前が欲しい。人知れず崩れ落ちる気持ちに、ラベルを貼りたくなる。
予定表はあくまで願望にすぎない
一応Googleカレンダーに「書類整理」「報告書作成」などときれいに予定は入れている。でも実際は、ほとんど参考記録でしかない。例えるなら、野球部時代に「明日はノック練習だけ」と言われて喜んでいたら、いきなり50本走やらされたときのあの裏切りに近い。予定表に何かを書いた時点で、もうフラグが立っているのかもしれない。誰かがそれを見て、「この時間、空いてますよね?」って言ってくる、そんな気がしてならない。
午前中にすべてのリズムが乱れる
午前中に「ちょっと確認だけ」と言われた内容が、気づけば2時間コースの案件になることもある。特に不動産の相続とかになると、「ちょっと」じゃ済まない。関係者が5人とか6人とか登場してきて、「あれ、この人の印鑑証明あったっけ?」と自分でも混乱する。その時点で、午後に予定していた作業は霧散するわけで。集中するモードに入る前に、気力が消えていく。リズムって崩れると、立て直しがほんと難しい。
予定通り進む日が都市伝説化している
たまに、奇跡的に予定通り進む日がある。そういう日は「何か忘れてないか?」と逆に不安になる。静かすぎて、落ち着かない。電話も来ないし、急ぎの依頼もない。でも、それは本当にまれなことで、都市伝説レベル。多くの日は、予定の隙間に“飛び入り参加”の依頼が入って、全体がガタガタになる。誰かの一言で、その日全体の流れが変わってしまう。まるでドミノ倒しの最初の一枚が、午前8時に静かに倒れていたような気分になる。
崩れた予定にどう向き合うか
こんな日が続くと、「そもそも予定を立てる意味ってあるのか?」と考えてしまう。でも、予定がなければ軸すらなくなる。だから立てるけど、崩れるたびに小さなため息が出る。その繰り返しに慣れることが、司法書士としての一種の技術なのかもしれない。慣れたくはないけど。
午後の希望は回収できるのか
午前にすべて持っていかれても、午後のわずかな時間で何とかリカバリしようとする。だけど、集中力はすでに使い切ってる。頭がぼんやりして、効率も悪い。「今これやるべきじゃないんだろうな」と思いながらやってる感がすごい。思えば、野球部のときも午前練が地獄だった日は、午後はもうヘロヘロでまともにバット振れなかった。あの頃と何も変わっていない自分に、少し笑えてくる。
修正力よりもあきらめの早さが鍵
予定が崩れたとき、何とか持ち直そうとするより、「もう今日は無理」と見切りをつけるほうが精神衛生的にはよい気がしている。下手に無理をすると、どんどんズレが大きくなっていく。あきらめることは敗北ではなく、ひとつのスキルだと最近は思う。昔の自分なら「最後までやりきれ」と気合いで詰めてただろう。でも今は、ダメな日はダメと認めることにしている。それが、なんとか日々をやっていくための防衛策。
自分に期待しすぎない技術
「今日はちゃんとできるはずだ」と自分に期待して朝を迎えるのが、そもそも間違っているのかもしれない。期待があるから、崩れたときに余計に落ち込む。じゃあ期待しなければいい。自分に対して「まあ、今日も何かあるんだろうな」と思っていれば、少しのズレも「やっぱりね」で済ませられる。これは諦めではなく、自分を守る方法だ。自分を追い詰めないための、小さな知恵なのかもしれない。
事務員さんの一言に救われる
毎日一人で抱えていたら、もっと荒んでたかもしれない。今は一人、事務員さんがいてくれるだけで、ずいぶん救われている。気持ちを共有できる相手がいるって、こんなに大きいのかと日々感じる。もちろん気を使う場面もあるけど、それ以上に助けられてる。
イラつきを共有できるありがたさ
「今の電話、めちゃくちゃでしたね…」と一言言ってくれるだけで、こちらのイラつきが半分になる。不思議なもので、誰かと共有できるだけで感情のボリュームが下がる気がする。ひとりでグツグツ煮詰めるより、誰かにこぼせる方がずっと楽になる。これはきっと、同業者の誰でも感じていることだろう。
二人で回してるからこそ味わう連帯感
大人数の事務所なら違うのかもしれないけど、うちは二人だから、うまくいくもいかないも、二人の呼吸次第。その分、失敗も喜びも共有しやすい。うまく進んだ日には、ちょっとだけ「今日は勝ったな」と思える。そんな些細な瞬間に、働く意味を感じたりもする。
「今日はもう終わりでいいか」問題
午後が完全に崩れた日は、16時くらいから気持ちが折れる。「もう今日はここまででいいか…」という声が心の中で響く。何とも言えない敗北感。でも、そんな自分を責めても仕方がない。そう思えるようになったのも、歳のせいか、経験のおかげか。
頑張るべきか休むべきかの狭間
無理して頑張ったからといって、明日楽になるわけでもない。それどころか、翌日もっと疲れてミスをすることもある。だから最近は、あえて手を止めるようにしている。「このへんで切り上げよう」という判断ができるようになった自分を、ちょっとだけ褒めたい。いや、ほんとにちょっとだけだけど。
元野球部なのにメンタル弱い説
「野球部出身ってメンタル強そう」とよく言われる。でも、あれはチームスポーツだから持っていただけで、個人戦ではボロが出る。仕事って基本ひとりだから、プレッシャーに弱いのが露呈する。自分の弱さに向き合う毎日。それでもなんとか続けている。
「午後から本気出す」の使い方を誤った人生
午後から本気出す、なんて言ってた学生時代。いま、それが完全に裏目に出ている。午前で全てが崩れて、本気出す余地がない。でも、だからこそ思う。「最初から本気出しておけよ」と。もう遅いんだけど、それでも明日もまた、午前に賭けてしまう気がする。
それでもまた予定を立ててしまう
何度崩れても、なぜかまた予定を立ててしまう。それはきっと、自分がどこかで「今日こそは」と信じているからだ。壊れると分かっていても、やっぱり少しは期待してしまう。人間って、案外しぶとい生き物なんだなと思う。
期待しないという希望の持ち方
「期待しない」と決めてしまえば、毎日が少し楽になる。逆説的だけど、期待しないことが希望になる。予定が崩れても、「まあ、そんなもんか」と受け入れる余白があれば、少しずつ前に進める。完璧を目指さない日々。それでも十分やっていける。
予定通り進んだ日はなぜか寂しい
不思議と、すべて予定通り進んだ日はどこか物足りない。嵐のような一日が終わると、無性に静かさが身に染みる。「今日は順調だったな」と思いながら、どこかで「なにか忘れてないか?」と不安になる。波があるからこそ、凪も感じる。そんな毎日が続いていく。