心配されるほどの暇じゃないけど、誰にも心配されない日常

心配されるほどの暇じゃないけど、誰にも心配されない日常

「忙しいんでしょ?」って言われるたび、少しだけ嘘をつく

「最近どう?忙しい?」と聞かれると、反射的に「まあ、ぼちぼちですね」と答えてしまう。実際のところ、めちゃくちゃ暇というわけでもないけど、息つく暇もないというほどではない。ただ、そう答えてしまうのは、たぶん本音を話したところで相手は困るからだろう。司法書士という職業は、なんとなく「忙しそう」「堅実そう」と思われがちだけど、実際は波がある。そして、その波の谷間で人に「大丈夫?」と心配されることは、案外少ない。

電話は鳴る。でも、それは用事じゃない

事務所にいると、電話の音が鳴る。嬉しいような、少し緊張するような気持ちで取るけれど、最近は営業電話や間違い電話ばかり。前は「電話が鳴らないと不安になる」と思っていたが、今は「どうせ何かの営業だろ」と思うようになった。心がすさんできているのかもしれない。依頼が入る電話とそうでない電話の違いを、受話器を取る前から察知できるようになってしまった。

お客さんじゃなくて、間違い電話の方が多い

この前なんて、「あれ?そば屋さんじゃなかったですか?」と本気で聞かれた。いや、こちらは司法書士です。と思いながらも、「違いますよ」と丁寧に応対する。無駄に丁寧にしすぎたのか、翌日また同じ人から電話がかかってきた。そういう間違い電話の応対が続くと、「俺、本当に必要とされてるのか?」と考えてしまう。事務所の看板を出してる意味があるのか、ふと虚しくなる瞬間だ。

LINE通知の方が仕事より多い午後

スマホを見ると、LINEの通知が10件。でもそのうち8件は親のグループラインと、通販サイトからのセール情報。仕事関係の通知はゼロ。やることがまったくないわけではない。でも、なんというか、社会との接点が減っていく感覚がある。昔はメールを待っていた。でも今はLINEを見て「何もないな」とため息をつくだけの午後がある。

誰にも見られていないと、やる気もぼんやりする

事務所でひとりパソコンに向かっていても、「これ、本当にやる意味あるんだろうか?」とぼんやり思う瞬間がある。誰にも見られていない、評価されていない。それでもコツコツやらなきゃいけないのがこの仕事。でも、人に見られないと、どうしても集中力が散る。効率も落ちる。特に午後3時から5時は、いちばん虚無が襲ってくる時間帯だ。

事務員がいない時間の沈黙が一番つらい

うちの事務員は基本午前中だけ。午後からは一人で作業。彼女がいるときは、ちょっとした会話が心の支えになる。冗談を言ってもスルーされるけど、それでも人と喋れるだけでだいぶ違う。でも、午後は本当に無音。PCのファンの音とキーボードのカチャカチャ音だけが響いている。この時間の沈黙に耐えるのが、実は一番しんどいかもしれない。

黙々とする作業に「意味」はあるのか

例えば、誰にも見られない登記簿の整理とか、資料のPDF化とか。やっておけばいつか役に立つ…と自分に言い聞かせて続ける。でも、本当にこれが必要なのか?と疑問に思う瞬間が何度もある。「意味があること」って、誰かに必要とされてる感覚から生まれるんじゃないか。そう思ってしまうと、作業の手が止まる。

「暇なんでしょ?」と笑う人にはわからないこと

昔の同級生と話していると、「司法書士って暇そうでいいね」と笑われることがある。たしかに、こっちの表情もそう見えるように演じてしまっているのかもしれない。でも、その言葉は時々、棘のように刺さる。本当に暇だったら、笑ってられないのに。そこには、複雑な気持ちが交錯している。

忙しさは数字に出ないけど、精神的にはまあまあ削られる

案件数が少ないからといって、気楽なわけじゃない。ひとつの案件にかかるプレッシャーや、内容の重さは数字じゃ見えない。相談者の背景を想像してしまうから、精神的な負担は意外と重い。夜中に「あれで良かったのかな」と思い返して眠れなくなることもある。「忙しい=しんどい」ではないってことを、もう少し理解してもらえたらと思う。

スケジュール表はスカスカ、気持ちはギチギチ

Googleカレンダーを開くと、真っ白な日が並んでいる。でも、だからといって心は軽くない。書かれていないだけで、「やらなきゃいけないこと」はある。書くほどじゃない、でも放置できない。それが積み重なって、見た目以上に心が重い。だから「暇そう」と言われると、どこかで「それ、違うんだけどな」と苦笑いしてしまう。

暇だからこその悩みもある

忙しいときは「休みたい」と思う。けど、暇が続くと「俺、必要とされてるのかな」と不安になる。この矛盾に何度も揺れる。人間って、ほんと面倒な生き物だなと思う。でも、司法書士としてやっている限り、この感情とはずっと付き合っていくんだろう。暇を持て余す時間が長いと、考えなくてもいいことまで考えてしまう。

余白に押し寄せる不安と後悔の波

予定がない時間、手を止めてしまった瞬間、ふと過去のことを思い出す。「あの時、別の選択をしていたら」とか、「あの人にもう少し優しくできてたら」とか。今さらどうにもならないことばかり。でも、そういう後悔が静かに襲ってくるのが、暇な時間の厄介なところ。予定で埋まっていれば、その波を避けられるのに。

ネット検索に逃げたくなる午後の2時間

午後2時から4時。ちょうど集中力が落ちてくる時間帯。そんな時はついネットニュースを見たり、「司法書士 将来性」とか検索したりする。自分で選んだ道なのに、不安になる。それを誤魔化すように、さらに無意味な検索を重ねる。仕事中のはずなのに、心が完全にどこかへ漂っていく。

誰かに「ちょうどいい忙しさですね」と言われたい

理想は「ちょうどよく忙しい」状態。でも、それって本当に難しい。多すぎても辛い、少なすぎても不安。それでも、自分の働き方を「ちょうどいいですね」と言われたら、きっと救われる気がする。今の自分にはまだその答えはないけれど、そう言ってくれる誰かが現れることを、どこかで願っている。

頑張ってるのに、評価されないのが一番つらい

この仕事、誰かが拍手してくれるわけじゃない。成功しても「それが当たり前」で、失敗すれば「それが責任」。だから、日々淡々とやるしかない。でも、本当は「よく頑張ってるね」と一言でいいから言ってほしい。大人になると、褒められることが本当に減る。誰にも言われないけど、自分だけは自分を認めたいと思う。

年収も社会的地位も、「ちょうどよく」ない

司法書士という肩書きがあると、世間的には「しっかりしてる人」に見られる。でも実際の収入はピンキリだし、地元では「何してる人かよくわからない人」に分類されがち。知名度はあるけど、存在感は薄い。そんな微妙な立ち位置で、今日もまた「司法書士って何する人なの?」と聞かれて説明に困っている。

モテなさにも理由があると信じたい

この年齢になると、婚活や恋愛の話は避けられがち。でも正直、少しは気になる。「結婚しないんですか?」と聞かれて、「まあ、そのうち」と笑ってごまかす自分が虚しい。モテないのは忙しさのせいか、性格か、職業のせいか。答えは出ないけど、少なくとも「暇そう」と思われてるうちは、なかなか恋愛にも進めない気がしている。

仕事の話をしても、誰も食いつかない

合コンや飲み会で仕事の話になると、私の番で空気が止まる。「司法書士って、なんか難しそう」「へぇ〜」で終わり。誰も掘り下げて聞いてくれない。それでも愛想笑いして話を続けるけど、内心では「あ、今日もだめか」と思っている。面白くない仕事だと、自分で思ってるから伝わってしまうのかもしれない。

自分のことを話しても、空気が冷める

趣味の話も、人生観も、どうも人の興味を引かない。たまに自虐ネタで笑いを取っても、それ以上は続かない。モテない、話が続かない、空気が持たない。そんな自分に落ち込みながら、でもまた次の場に期待してしまう。諦めきれないのが、人間の悲しさなのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。