温かいごはんを誰かと食べたい夜

温かいごはんを誰かと食べたい夜

温かいごはんを誰かと食べたい夜

寒い夜にひとりで食べるごはんの味

カップ味噌汁の蓋をめくると、湯気がもわっと立ち上がった。冬の夜、石油ストーブの音だけが部屋に響いている。テーブルには、コンビニで買ったチキン南蛮弁当と、缶チューハイ。

電子レンジの「チン」がやけに響く

誰かと一緒なら、音なんて気にもならないのに。ピーピーと鳴る電子レンジは、まるで「また一人か」とでも言ってくるようだった。

湯気は出ても、心までは温まらない

「温かい」と「温もり」は似ているけれど、まったく違うんだなと、ふと思った。

コンビニ弁当のカラが増えていく日々

事務所のゴミ箱には、昨日も一昨日も、ほぼ同じパッケージが並んでいる。弁当のカラは増えても、心の中はスカスカのままだ。

「いただきます」を言う相手がいない現実

「いただきます」と声に出して言っても、返事はない。テレビも点けず、スマホも見ず、ただもくもくと食べる。

会話のない食卓と無音のテレビ

サザエさん一家が笑っている時間帯でも、こっちは笑わない。まるで波平のカツオへの「バッカモーン!」をBGMに、ただの湯気だけが食卓に流れる。

食べ終わっても、話す相手がいない

満腹でも、満たされない。胃袋は満足しても、心は空のままだ。

寂しさは栄養では満たされない

栄養士の言う「バランスの良い食事」には、どうやら人との会話も必要なようだ。

あの頃の食卓の風景を思い出す

ふと、実家のちゃぶ台が脳裏をよぎる。ガラステーブルじゃなくて、木製の、味噌汁がよくこぼれるやつ。

母の味噌汁と父の沈黙

母は決まって、味噌汁を最後に出してきた。父はテレビばかり見てたけど、「うまい」と一言は言った気がする。

みんなが揃っていた、あたりまえの時間

兄弟も、犬もいた。文句ばかりだったけど、ちゃんと温かかった。

温かさは料理よりも人だった

味噌汁の味じゃなくて、母の声や、弟のしょうもない話。それが「温かさ」の正体だった。

「ただ誰かと食べたい」その理由を考える

なぜこんなにも「誰かと」食べたいのか。

空腹と孤独は別物だ

たとえお腹が満たされても、孤独は残る。むしろ、満腹のときの方が孤独が重くなる。

咀嚼音の向こうにある、心の飢え

カリッ、クチャッ。自分の咀嚼音がやけに耳に残る夜は、心が飢えている証拠だ。

たわいない会話がごちそうになる

「今日寒いね」とか「味濃いよね」とか、そういう一言が、いちばんのスパイスなんだ。

サトウさんの気づきとおにぎりの差し入れ

そんなある日、事務所に戻ると、机の上にコンビニのおにぎりがひとつ置かれていた。

「先生、今日お昼まだですよね?」

サトウさんのメモ付き。「梅、苦手じゃなかったですよね?」と走り書きがしてある。

一口目が、やけにしみる

まるで刑事ドラマの容疑者が白状しはじめる瞬間のように、心の奥が「泣きました」と言い出しそうだった。

ごはんの温度と、人の温度

「やれやれ、、、俺も、まだ捨てたもんじゃないか」
温かいごはんには、人の気配が一番よく合う。味噌汁より、おにぎりより。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓