朝の鏡に映るのは「きちんとした人」の仮面
朝、ネクタイを締めながらふと鏡を見ると、自分が「それなりにちゃんとした大人」に見える瞬間があります。シャツにアイロンがかかっていて、スーツは型崩れしていない。髪もそれなりに整っている。でも、その外見とは裏腹に、胸の中に広がるのは空虚さです。「よし、今日も頑張ろう」なんて気持ちはもう何年も持っていない。出勤前のこの数分が、いちばん心が疲れる時間かもしれません。
アイロンのかかったシャツと、くすんだ気持ち
白いワイシャツを毎晩、寝る前にアイロンがけするのが習慣になっています。シワひとつないシャツを着ると、少しだけ自信が持てる気がするから。でも、心の中はどこか濁っていて、昔のように「よし、今日は良い仕事をするぞ」と思えない日が続いています。スーツの襟に手をかけながら、ほんの少し、ため息が漏れる。それでも“ちゃんとしている風”を保つのが仕事なんです。
「見た目」で乗り切る日々の始まり
「先生はいつも清潔感あっていいですね」なんて言われると、笑顔を返しつつ心の中で「外見だけだよ」とつぶやいてしまいます。外見を整えることで、自分をなんとか保っている。見た目で信用を得る仕事だからこそ、なおさら誤魔化しがきく。でもその分、誰にも弱さを見せられなくなっていくんです。
「調子よさそうですね」と言われる違和感
「最近調子良さそうですね」と声をかけられることがあります。たぶん、スーツがピシッとしてるから。たぶん、笑顔ができてるから。でも本当は、眠りも浅くて、朝ごはんも適当で、心はザラザラしています。調子がいい“ように見える”ことと、調子がいい“こと”は違う。そのギャップに、たまに自分でも混乱するんです。
事務所に流れる、静かすぎる時間
午前中、依頼もなく電話も鳴らないとき、静かすぎる事務所の空気に押しつぶされそうになります。事務員さんがいるから完全な無音ではないけれど、話すことも特にない。テレビもないし、BGMも流れていない。カタカタとキーボードの音が響くだけ。たまに自分の心拍まで聞こえてきそうで、ぞっとすることがあります。
依頼者がいない時間が一番、孤独を感じる
忙しすぎるのもしんどいけど、依頼者のない時間は別の意味で苦しい。机の上に積まれた書類を眺めながら、「これ、本当に終わらせたところで次に繋がるんだろうか」と疑問が浮かぶ。書類は無言だし、励ましてくれるわけでもない。事務所にいる時間が長いほど、誰とも話さずに一日が終わる日もある。そういう日は、特に夜がきつくなります。
隣の机には、事務員の気配だけ
一人事務所じゃないだけ、まだマシかもしれません。でも、隣の机にいるのは業務上の会話だけで成り立ってる関係。世間話をしようにも、互いに気を使うし、「先生」と呼ばれる限り、フランクにはなれない。だから、同じ空間にいても孤独です。挨拶だけが交わされる日もあります。
「話し相手がいない」という現実
誰かと話すことって、案外大事なんですよね。特に仕事に関係ない話。趣味のこと、最近観たテレビ、些細な愚痴。そういうことを話す相手がいないのは、想像以上に心に堪える。「話したいことがない」のではなく、「話せる相手がいない」んです。これはなかなか重たいです。