相見積もりに疲れた司法書士の現実
「もう少し安いところに頼むことにしました」。この一言を何度聞いたことか。丁寧に話を聞いて、スケジュールを調整し、事務員にも動いてもらって、それでも結局は金額で決められてしまう。地方で細々と司法書士事務所を営む僕にとって、相見積もりはもはや日常だ。けれど、日常であることと慣れることは別の話だ。今日もまた、自分の価値を測られている気がして、パソコンの前で深いため息をついた。
金額でしか見られない虚しさ
司法書士としての誇りがある。簡単な案件に見えても、その裏には細心の注意が必要なチェックがあり、経験に裏打ちされた判断が求められる。それなのに「他より高いですね」と言われてしまうと、まるでそれらすべてが無意味に感じてしまう。別に高額報酬を求めているわけじゃない。ただ、適正な報酬と扱いを望んでいるだけなのに。
たった数千円の差でキャンセルされる現場
かつて、あるお客様に見積もりを出して1日中対応した案件があった。先方は「ぜひお願いしたいです」とまで言っていた。ところが翌日、「別のところが3千円安かったので、そちらにお願いしました」との連絡が入った。その3千円の中には、僕の時間や誠意、ちょっとした気遣いが入っていたのに。たったそれだけで切られる。毎回、自分が「金額の数字」でしか見られていないような気がしてしまう。
比較サイト時代に飲み込まれる専門職
今はネットで相場も比較も一瞬。口コミがよければ値段が高くても選ばれる? そんな理想論を信じるには、現実が少し厳しすぎる。同業者の中には意図的に安く出して案件を取り、あとから追加費用を請求するところもある。でも僕はそんなやり方ができない。不器用で、正直で、ちょっと頑固な元野球部の自分が、時代に取り残されている気がしてならない。
選ばれない理由に自分の価値を疑う
何度も選ばれなかった経験が続くと、やっぱり「自分に魅力がないのかな」と思ってしまう。どんなに経験があっても、専門性が高くても、それをうまく“アピール”できないと伝わらない。けれど、無理に派手な言葉を並べて営業するのも性に合わない。そんなジレンマがずっと心のどこかに居座っていて、日に日に自信を削っていく。
手間をかけても報われない日々
丁寧な対応をして、わかりやすい説明をして、それでも「今回は他にお願いすることにしました」と言われた時、膝に力が入らなくなったことがある。報われない努力ほど虚しいものはない。しかも、その後も「また何かあったらお願いしたいです」と言われる。ならば今回は選んでくれよ、と思ってしまう。そういう未練と悔しさが、今日も心に小さく積もっていく。
値下げ競争の果てに残るのは疲弊だけ
正直に言えば、こちらも生き残るために値下げを検討したことは何度もある。でも、それをすればするほど、仕事は増えても心はすり減っていく。量をこなしても、質を落とさずやっていくのは限界があるし、事務員にも無理をさせてしまう。結果、誰も幸せにならない。値段の勝負に巻き込まれた時点で、すでに負けなのかもしれない。
事務所経営の孤独と向き合う時間
朝の静まり返った事務所。カーテン越しの光と、パソコンの起動音だけが響く。電話が鳴らない時間が続くと、何のためにここにいるのか分からなくなることもある。経営者としての責任と孤独。その間に挟まれて、椅子に深く座り込んだまま、天井を見上げてしまう日がある。
電話が鳴らない午前中の不安
午前中、何の動きもないと、心がざわざわしてくる。世の中の役に立っていないのでは? どこかで見限られているのでは? そんな不安が、コーヒーの苦味と一緒に心に広がる。忙しすぎるのも困るけど、暇すぎるのも辛い。司法書士って、黙って待つ仕事でもあるからこそ、動きのない時間に心が試される。
空気清浄機の音しか聞こえない部屋
シーンとした事務所で、唯一響くのが空気清浄機の「ウィーン」という音。その音すらも、今日はうるさく感じる。静かすぎる空間は、自分の思考を余計に掘り下げてしまうからたちが悪い。電話のコール音が恋しくなる。鳴った瞬間、「おっ」と身を乗り出すものの、営業電話だったりして、さらにがっかりする。
働いてるのか待ってるのか分からなくなる
書類を整理しながらも、内心では「誰か来てくれないかな」と思ってしまう。事務所を構えているのに、実態は待ちぼうけ。動いているふりをしても、自分に嘘はつけない。司法書士って、動きがあって初めて成り立つ仕事だなと、あらためて思い知らされる。ひとりで空回りしてるような感覚、これが一番つらい。
事務員一人と背中合わせの緊張感
気心の知れた事務員とはいえ、ふたりきりの空間は常に微妙な緊張感を孕んでいる。相手に気を遣わせていると分かっていても、それをどうすることもできない。声をかけすぎても疲れるし、沈黙が続いても気まずい。結局、今日も背中を向けたまま、時間だけが過ぎていく。
気を遣わせてるのが自分でも分かる
「先生、お昼どうされますか?」と聞かれるたびに、「あ、大丈夫」と答えてしまう。別に意地を張っているわけじゃない。たぶん、こっちが気を遣わせていることを感じているから、自然と距離を取ってしまうのだろう。お互いに「気を遣わない努力」をしてるのに、かえってギクシャクする。不器用な関係、それが地方の個人事務所のリアル。
昼休みの沈黙がやたらと長い
昼休み。テレビも音楽もなく、事務所に静寂が満ちる。スマホをいじっているフリをしながら、実は何も見ていない。誰かと笑い合う昼食なんて、最後にしたのはいつだったか。世間はランチミーティングとか言ってるけど、うちはいつも無言のサンドイッチ。寂しさに気づかないふりをして、今日も午後を迎える。
司法書士としての誇りと折り合いのつけ方
やめたいと思ったことは何度もある。けれど、続けてきたのは、やっぱりどこかに“誇り”があるからだ。相見積もりに疲れても、選ばれなくても、自分なりのやり方で信頼を積み上げていくしかない。その先に、ほんの少しだけ光が差し込むと信じて。
相見積もりされても揺るがない軸とは
自分が何のために司法書士をやっているのか。それを見失わないようにしようと決めた。安さで勝負するのではなく、信頼で選ばれる仕事をしたい。すぐには伝わらなくても、誠実に積み重ねていけば、いつかちゃんと届くと信じている。いや、信じたいのかもしれない。
価格ではなく人で選んでもらうには
僕が目指すのは、「この人にお願いしたい」と思ってもらえる司法書士。そのために、お客さんの話をしっかり聞き、どんな些細なことでもメモを取るようにしている。専門的な説明も、噛み砕いて伝える努力をしている。それが報われる保証はないけれど、やめたら終わりな気がするから、今日も続けている。
経験や誠実さが伝わる仕組み作り
最近は、事例紹介やちょっとした一言日記を事務所のブログに書いている。内容は堅苦しくなく、むしろ愚痴混じり。それでも、それを読んで来てくれるお客さんもいる。ああ、ちゃんと届いているんだなと思える瞬間が、次の一歩をくれる。僕にとっては、それが一番の報酬かもしれない。
モヤモヤする心との付き合い方
モヤモヤを完全に消すことはできない。でも、うまく共存することはできるかもしれない。誰にも言えない気持ちを、こうして文章にするだけでも少し楽になる。司法書士として、人として、弱さを隠さないというのも、ある意味では強さなのかもしれない。
時には愚痴ってもいいと思える場所
Twitterにふと愚痴を書いたら、知らない同業者から「わかります、その気持ち」と返信が来た。その一言に、どれだけ救われたか。人とつながることが、こんなにも気持ちを軽くするのかと驚いた。無理して強がらず、たまには「疲れた」と言ってもいい。それを受け止めてくれる誰かが、どこかにきっといる。
野球部時代の地味な練習が今に活きている
中学も高校もずっと補欠だった。でも、毎日の素振りや声出しは欠かさなかった。地味な努力を信じて続ける、その習慣だけが今も僕を支えている。司法書士の仕事も同じ。派手さはなくても、コツコツとやるしかない。今日も一人、静かな事務所で、次の打席を待ちながら素振りをしている気分だ。