履歴を消した夜に残るのは、誰にも言えない「気配」
ある夜、パソコンの履歴を全部消した。自分でも意味がわからなかった。ただ、何かを終わらせたくて。検索窓に何を打ち込んだかなんて、もう覚えていない。ただ一つ、「あの人の名前」だけが妙に指に残っていた気がする。削除ボタンを押しても、心の中のその気配は消えない。司法書士という仕事は記録を扱うけれど、心の中の記録は誰にも見せられない。
仕事の記録は消せても、心の中のざわつきは残る
書類の誤記、登記の履歴、電話の履歴。すべて残る。だからこそ、消せるものに惹かれるのかもしれない。けれど、心の中に溜まった言葉にならない思いや、ふとした時に湧き出る寂しさは、どんなに消そうとしても残る。消去ボタンのように、感情にもそんな機能があれば、どれだけ楽になれるだろうか。履歴よりも、心の整理の方がずっと難しい。
「あの人」とのLINEも、今はもう開けない
ある時期、頻繁に連絡を取っていた人がいた。特別な関係というわけではなかったけど、少なくとも、誰かとつながっていたという感覚があった。ある日を境に、返信がこなくなった。そのトーク画面を未だに消せずにいる自分がいる。未読のまま、そこに置いてある言葉の数々。見るたびに胸が詰まるのに、どうしても削除できない。
たった一行のメッセージに、しばらく動けなくなる夜
「元気?」とだけ送ったままのLINEがある。返事は来なかったけれど、送った直後はそれだけで満足したような気がしていた。でも、既読にならないその一行を見るたびに、「自分は必要とされていないんだな」と感じる。司法書士の仕事では結果が数字や書類で見えるけど、人間関係は違う。評価もフィードバックもない。ただ、沈黙があるだけだ。
未読のままの自分を、どうやって整理すればいいのか
整理整頓は得意な方だ。机の上も、書類のファイルも、登記簿の整理もできる。でも、未読の気持ちはどう扱えばいいのかがわからない。「終わったもの」として処理できないから、ずっと頭の隅に引っかかっている。仕事では「未完」は致命的。でも感情の世界では「未完」はむしろ普通。未読の気持ちに名前をつけられるなら、それは「孤独」なのかもしれない。
机の上は片付くけれど、心の中はぐちゃぐちゃだ
事務所のデスクは、毎朝整えてから仕事を始める。ペンの位置、書類の重ね方、すべてルールがある。誰にも見られていなくても、それが習慣になっている。でも、自分の心の中はどうだろう。誰かに覗かれたら、きっと驚かれるくらいに乱雑だ。司法書士という肩書の中で、自分の感情はどんどん押し込められていく。
登記情報は整っていても、自分の人生の情報はバラバラ
仕事ではミスは許されない。だからこそ、完璧を目指して日々慎重になる。でも、自分の人生はどうだ。記録も計画もあいまいで、誰とどんな関係だったのかすら曖昧になっていく。履歴が残らないって、こんなにも心細いものなんだなと気づく。データは消せても、感情は残る。残ってしまう。だから余計に苦しい。
仕事は順調。でも誰にも話しかけられない日がある
依頼も来るし、トラブルも少ない。業務としては順調と言っていい。でも、そんな日ほど、誰とも会話せずに終わることがある。昼休みに弁当を一人で食べて、夕方に静かに帰る。それだけ。たまに事務員さんと話すけど、それ以外の「雑談」が極端に少ない。司法書士という職業は、人と関わっているようで、実はひどく孤立しやすい。
相談者には丁寧に対応するけど、誰も自分には相談しない
「先生、これってどうなるんですか?」と聞かれれば、笑顔で答える。でも、自分の悩みを誰かに聞いてもらったことはいつ以来だろう。仕事としての「相談」には慣れていても、「本音で話す」という経験は少ない。自分自身の孤独を誰かに話すことに、躊躇があるのは事実だ。強くあらねばという思いが、ますます殻を厚くする。
「先生」って呼ばれるたび、心は少しだけ離れていく
「先生」という言葉には敬意がある。だけどその一方で、「自分とは違う人」と線を引かれるような感覚もある。ふとした瞬間、「人として見られていないのかも」と感じることがある。対等な会話ができる相手が欲しい。だけど、「先生」という肩書があることで、それが難しくなる。便利なようで、不自由な肩書きだ。