そもそも異性の友達がいないって普通なのか?
「異性の友達がいない」と言うと、まるで人として何か欠けているような扱いを受けることがある。けれど、そもそもそんなに当たり前のように異性の友達ってできるもんなんだろうか?私はもう45歳、司法書士として地方で事務所を営んでいるが、これまでの人生を振り返っても、いわゆる「異性の友達」と呼べる存在がいた記憶がない。学生時代も、社会人になってからも、誰かと自然に仲良くなって気軽に連絡を取るような関係は築けなかった。特に今のような仕事をしていると、周囲に女性がいないという現実も大きく、そもそもの環境的な要因もある。だからこそ、異性の友達がいない自分を責める気にもなれないけれど、たまにふとした瞬間に、どうしようもない孤独感に襲われることもあるのだ。
学生時代に芽生えなかった異性との関係性
振り返れば、学生時代から「男女の壁」は厚かった。共学ではあったが、男子は男子、女子は女子という空気が当然のようにあって、同じクラスにいながら話したこともない女子がたくさんいた。特に思春期の頃は、妙に意識してしまって、どう接していいか分からない。変に話しかけて「好きなの?」と冷やかされるのも恥ずかしくて、距離を置くことが習慣になっていた。別に嫌いなわけではなかったが、ただ単に「関わらない方が楽」だった。それが今でも尾を引いているのだろう。
共学でも交わらなかった壁
中学・高校と共学だったのに、男女の交流は部活動くらいだった。しかも私は文化系の部活だったから、そもそも女子が少なかったし、話す機会すらなかった。お互い名前だけは知っていても、それ以上は進展しないまま卒業。あの頃、もう少し勇気を出していれば、何かが変わっていたのだろうか。けれど、当時の自分には「女子と仲良くなる」という発想すらなかったのだから、どうしようもない。
部活と勉強だけで終わった青春
真面目だけが取り柄で、放課後も予備校通い。いわゆる「青春」なんてものとは無縁だった。異性と遊びに行くとか、電話で話すとか、そんな経験は一切なかった。恋愛ドラマで描かれるような関係性が、まるで別世界の出来事のように思えた。それでもどこかで「自分にもいつか自然にできるものだろう」と甘く考えていた。だが、その「いつか」は結局来なかった。
社会人になってからの出会いの狭さ
社会人になっても、環境は劇的に変わることはなかった。特に司法書士という職業は、職場に同僚がいるわけでもなければ、女性と一緒に何かを進めるような場面も少ない。お客様に女性はいても、あくまで業務上の関係に留まる。ましてや「友達になる」なんて発想は出てこない。気づけば、日々の人間関係はすべて「業務」でつながっているものばかりになっていた。
職場に女性がいないという現実
私の事務所には女性の事務員が一人いるが、正直に言ってそれ以上に女性と接点がない。同業者もほとんどが男性で、懇親会に出ても男ばかり。女性がいても「結婚されてますか?」という話題が飛び交い、独身の私はどこか場違いに感じる。そのうち参加するのも億劫になり、どんどん外との接点が減っていった。
仕事終わりに行くのはコンビニと自宅だけ
平日の夜はコンビニでご飯を買って自宅に直行。休みの日も、なんだかんだで仕事が気になって事務所に顔を出すことも多い。そんな生活では、新しい人間関係なんて生まれるわけがない。誰かと食事に行くという習慣もなくなり、孤独が当たり前になってしまった。
異性の友達がいないことで感じる孤独
異性の友達がいないことのつらさは、日常の何気ない場面でふと感じる。誰かに話したいことがあっても、同性の友人だと話しづらいこともあるし、家族にも言いにくいこともある。そんな時に「女性の友達がいたら、きっと違った視点で助けてくれただろうな」と思ってしまう。けれど、いないのだから仕方がない。
ちょっとした相談もできない寂しさ
たとえば「この服、変じゃないかな?」なんて誰かに聞きたい時もある。でも、そんなことを聞ける女性の友達がいない。LINEの履歴を見ても、事務連絡と業者の営業メッセージばかり。誰かに気軽に相談するという行為自体、もうやり方を忘れてしまった気がする。
飲み会の話題についていけない絶望
久しぶりに同窓会などに参加しても、「子どもの話」「奥さんとの会話」「家族旅行」など、まるで別世界の話が飛び交う。女性の友達がいることが前提のような話題に、自分はただ笑ってうなずくしかない。その場にいても、話に混ざれない。そうしてまた一人、距離を取ってしまうのだ。