人生設計って誰とするものか分からないまま歳をとった

人生設計って誰とするものか分からないまま歳をとった

人生設計って誰とするものか分からないまま歳をとった

若い頃の未来予想図はもっと明るかった

20代の頃、将来のことなんて深く考えたことがありませんでした。司法書士を目指して勉強していた頃は、とにかく資格を取って、独立して、安定した生活を手に入れられるものだと信じていました。でも、その未来がどんなかたちをしているのか、誰と過ごすのか、そこまでの想像はしていませんでした。気がつけば、あのとき描いていた「なんとなくうまくいくだろう」という希望は、歳を重ねるごとにぼやけ、そして消えていきました。

司法書士を目指したあの頃の「つもり」

あの頃は「資格を取れば人生安泰」だと、根拠のない自信がありました。実際、周りからも「食いっぱぐれないからいいね」と言われて、それが自分を支えていたようにも思います。でもその裏では、将来について具体的に話す相手もおらず、相談できる友人も少なかった。「そのうち結婚して、子どももできて…」なんて、漠然とした人生設計を誰にも話さずに、自分の頭の中だけで完結させていたのです。

結婚もマイホームも「そのうち」の感覚だった

「そのうちね」が口癖でした。結婚も、マイホームも、車のローンも、全部「ちゃんと稼げるようになったら」で先送りしていた。気がつけば、同年代の友人たちは家族を持ち、子どもの進学で頭を悩ませている頃、僕は事務所に一人で残業し、コンビニ弁当を温めている始末。あのときの「そのうち」は、来なかったのか、来る準備をしていなかったのか。どちらにせよ、気づけば一人で老け込んでいました。

いつか時間ができたら向き合うつもりだった人生設計

事務所を軌道に乗せるまでは、とにかくがむしゃらでした。お金も、時間も、余裕もなかった。でも、ある程度落ち着いたら考えようと思っていたんです。人生について、誰とどう生きるか、どこに住むか、どう老いるか。でもね、落ち着いたときにはもう遅かった。時間はできても、話し相手がいない。肩を並べて未来を語れる人がいない。人生設計って、一人ではどうにもならないんだと、その時やっと知りました。

気づいたら一人で全部抱えてた

司法書士という仕事は、頼られることが多い職業です。だからこそ、弱音を吐くことが許されないような気がしていました。事務員さんにも気を遣ってしまい、何か相談することもできず、気づけば全部自分の中で処理しようとしていた。結果、しんどくなって、深夜に一人で泣く日もありました。誰かと話すことの大切さを思い知らされたのは、もう何年も経ってからです。

「相談できる誰か」がいないことの孤独

人生の選択肢に迷ったとき、相談できる相手がいるかいないかで、気持ちの安定は全然違います。僕にはそれがなかった。親はすでに年老い、友人たちは家庭を持ち、僕一人が取り残されたような感覚に苛まれる日々。休日に一人でスーパーに行くのが寂しいと思う瞬間、ふと「このままでいいのか」と頭をよぎる。でも、今さら誰に話せばいいのか分からない。それが一番の問題でした。

同業の友人との距離感にもモヤモヤ

司法書士同士での付き合いもありますが、仕事の話が中心で、踏み込んだ人生観や価値観を話す機会はほとんどありません。「どう?最近忙しい?」の会話の奥にある疲れや悩みに気づけるほどの関係性も築けずに、互いに“それ以上”を求めない空気があるように感じます。自分の弱さや迷いをさらけ出すことが、同業者の中ではなぜか“恥”のように思えてしまう。それが本当に息苦しいのです。

誰かと話せばよかっただけの話なのかもしれない

人生設計なんて大げさな言葉だけれど、要するに「これからどう生きたいか」ということ。その話を一人で抱え込むのは、正直無理があります。でもなぜか「自分で決めるべき」と思い込んでしまっていた。相談すること=甘えだと勘違いしていた。でも今思えば、ただ誰かに聞いてもらえばよかった。たったそれだけのことで、もう少し心が軽くなっていたかもしれないのに。

聞いてほしいだけの夜もある

アドバイスなんていらない。ただ「そうか、しんどかったんだね」と言ってくれるだけで救われる夜もある。でも、それを言える相手がいない。電話帳をスクロールしても、かける番号が見つからない。SNSでつぶやくには重すぎる。そんな夜が何度もありました。昔の野球部仲間に連絡してみようかとも思ったけれど、何を話せばいいのか分からない。こんなとき、人生設計なんて誰とすればいいのか、本当に分からなくなる。

愚痴が出るのはまだ前向きに考えてる証拠かもしれない

気づいたんです。愚痴が出るのは、「こうなりたい」「こうじゃないはず」という思いがどこかにあるからだと。ただ諦めていたら、愚痴すら出ない。まだ自分に対して期待してるからこそ、現実に文句を言いたくなる。それならば、その気持ちに蓋をせずに、誰かにぶつけてみてもいいのかもしれません。誰かに話すことで、もしかしたら、自分の中の「本当に描きたい人生設計」が見えてくるのかもしれません。

「がんばれ」じゃなくて「大変だったね」がほしかった

「がんばってください」って言葉は、時にしんどい。「もうがんばってるんだよ」と言いたくなる。でも、「大変だったね」と言われたことは、なぜかほっとする。自分を理解してくれているような、肯定してくれているような安心感がある。人生設計に正解があるなら、それはきっと“共感”という土台の上にある気がします。共感してくれる誰かがいるだけで、進む方向が見えてくることもあるんです。

相談=弱さじゃないと気づくまでにかかった年数

相談するって、勇気がいることです。司法書士という立場だと、余計に「しっかりしてなきゃ」「頼られる存在でなきゃ」と思いがち。でも、それはただの思い込み。人間なんだから、迷うことも、不安になることもある。それを認めるまでに、僕は20年かかってしまった。でも今は、誰かに話すことの大切さを、ようやく理解し始めています。

人生設計って、そもそも必要なのか?

そもそも「人生設計」って言葉に縛られすぎていたのかもしれません。計画どおりにいく人生なんて、きっとほとんどない。でも、方向を持つこと自体が大切なんじゃないかと思うようになりました。それは別に立派な目標じゃなくてもいい。誰かと支え合って生きていきたいとか、仕事を少しセーブして心を整えたいとか、小さなことでも、向かう方向があると救われることがあるんです。

行き当たりばったりでもなんとか生きてこれた

確かに、僕の人生は行き当たりばったりだったかもしれません。でも、それでも事務所は潰れず、仕事もなんとか続いている。お金も、まあ生活できるだけはある。でも、満たされてるかと言われれば、首を傾げるしかない。人生は“なんとか”じゃ、しんどい。“満足”とは違う。“なんとかなる”の先に、“これで良かった”があるのかどうか、最近はそればかり考えています。

未来が怖くなる瞬間が増えた理由

歳をとると、未来の時間が減っていく実感があります。若い頃は「いくらでもやり直せる」と思っていた。でも今は、「あと何年働けるか」と考えるようになる。老後の生活、健康、孤独。そういったものが現実味を帯びてくる。だからこそ、人生設計が怖くなる。向き合うべき現実が、目の前に立ちはだかってくるから。でも逃げてばかりではいられない。せめて、これからの時間を、自分なりに設計していく勇気が必要なんだと思います。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓