やっぱり独身って気楽だけど、それだけじゃ済まない夜もある

やっぱり独身って気楽だけど、それだけじゃ済まない夜もある

やっぱり独身って気楽だけど、それだけじゃ済まない夜もある

独身の自由さは確かにある

独身でいることの最大の利点は、なんといっても「自由」です。誰にも予定を合わせる必要がなく、自分のペースで生活できることは、忙しい司法書士という職業にはありがたい限りです。朝はギリギリまで寝ていられるし、夜は自分の好きなタイミングで仕事を切り上げられる。お盆も正月も、自分が決めた分だけ働き、休める。これは結婚していたらきっと難しいんだろうなと、既婚の同業者を見ていて思います。

誰にも気を遣わず、予定は全部自分次第

飲み会の誘いを断るも良し、急に仕事を入れるも良し。誰かに相談しなくても、全部自分の一存で動けるのは気楽です。たとえば、金曜の夜に突然「明日温泉にでも行こう」と思い立ったら、そのまま車を走らせて山奥の一人旅館へ行ける。誰かに許可を取る必要もなければ、気を使う必要もない。自由というのは本当に贅沢なことです。そしてその贅沢を、独身は存分に享受できるのです。

仕事終わりにスーパーで買う半額弁当のありがたみ

仕事で遅くなった日、21時過ぎに地元のスーパーへ立ち寄るのがちょっとした楽しみになっています。唐揚げ弁当が30%オフ、刺身の盛り合わせが半額――その瞬間、なんとも言えない得した気分になるんです。誰かと食べる食事ではないけれど、冷たい弁当を部屋でひとり頬張りながら「まあ、これも悪くない」と思う夜もある。気楽というより“気まま”な時間かもしれません。

テレビをつけたまま寝ても怒られない幸せ

テレビの音がうるさい、寝るときは消して、と言われることがない。これは地味ですが、なかなか快適です。仕事で頭を使いすぎた日は、ニュースでもバラエティでもいい、とにかく何かの音を流したまま布団に潜り込み、そのまま眠りに落ちる。この「誰にも文句を言われない空間」は、独身の特権だと感じます。ただ、その快適さの裏に、うっすらとした孤独が忍び込んでくることもありますが。

でもふとした瞬間に、虚しさが顔を出す

自由気ままな独身生活。でも、それが“誰にも必要とされていない”状態だと感じることがあるのも事実です。仕事の電話は鳴っても、プライベートの通知はほとんどない。誰かと共有することのない一日が、何日も続くと、なんともいえない空虚感に襲われる夜があります。「俺って何のために生きてるんだろう」と考えてしまう日も、ないとは言えません。

書類の山の中で、誰に頼るでもなく過ぎる一日

忙しい時期になると、登記申請や相続関係の書類が机に積み上がっていきます。事務員さんがいるとはいえ、細かい判断はすべて自分でやる必要がある。ミスは許されない。そんな緊張感の中、黙々とパソコンに向かい続ける日々。ふと顔を上げても誰もいない事務所。頼る人がいないという現実に、心がスーッと冷える瞬間があります。

電話もLINEも鳴らないまま終わる休日

世の中が連休に浮かれている中、こちらは特に予定もなく、ひたすら掃除をしたり洗濯をしたり。スマホを何度見ても通知はゼロ。自分から連絡すればいいんでしょうけど、なんだかそれも虚しい。独身の気楽さは、裏を返せば「誰にも必要とされない静けさ」に繋がってしまうこともあるんです。心にぽっかり穴が空いたような、そんな日もあります。

冷蔵庫の中にあるのは、納豆と卵だけ

特に予定のない週末。ふと冷蔵庫を開けてみると、入っているのは納豆、卵、チューブのわさび…。これで何が作れるんだ?と自分にツッコミを入れたくなるような光景。買い物リストを考える気力もなく、気づいたらまたカップ麺に手を伸ばしている。独身生活って、別にオシャレでも優雅でもなく、ただただ無造作に過ぎていくものなんですよね。

誰かと暮らすことへの憧れとためらい

たまに、「結婚してたら、また違った人生だったのかな」と思うこともあります。一緒に晩ごはんを食べて、一緒にテレビを見て、些細な会話を交わす。そんな時間があれば、きっと心も柔らかくなるんじゃないかと。でも同時に、誰かと暮らすということは、自由を手放すことでもある。どちらが正解なのか、今でも答えは出ません。

他人と生活する面倒くささは、もう想像がつく

たまに旅行先で家族連れを見ると、「ああいうの、羨ましいな」と思う反面、「毎日あれをやってるのか…」と考えると、自分には無理だなと感じます。朝から子どもが騒ぎ、奥さんと意見が合わず、小さなことで揉める生活。独りでいる今の自分には、もうそういう摩擦に耐える余力がないのかもしれません。気楽さの代償として、人間関係の摩耗を避けてきた気もします。

一緒にテレビを見る人がいたら、と思う時もある

たとえばドラマのラストで泣きそうになったとき。横に誰かいたら、この感情を分け合えたのかなと思います。ちょっとしたことを「見た?あれ!」と話せる相手がいるだけで、人生の厚みは変わるんじゃないか。そう思いつつも、独身歴が長くなればなるほど、「そういう時間」が現実味を帯びなくなってきて、自分から遠のいていくのが分かります。

「結婚しないの?」の問いにはもう慣れたけど…

親戚の集まりや仕事関係の飲み会で、ほぼ決まって聞かれるこの質問。昔はうまく笑ってごまかしていたけど、今では「たぶん、しないと思います」と素直に答えるようになりました。誰かに気を遣って自分の選択を説明するのも、もう疲れたんです。とはいえ、そう言いながらも心のどこかで「本当にこのままでいいのか」と思ってる自分もいるのです。

それでも、この道を選んで生きている

ここまでネガティブなことばかり書いてきましたが、結局のところ、自分で選んだ道を歩いているという事実に救われている部分もあります。気楽だけど寂しい、自由だけど孤独――その両方を引き受けながら、それでも一歩一歩仕事を続けていく日々。誰に褒められることもなくても、自分の仕事を誠実にこなすこと。それが、自分にとっての「生きている証」なのかもしれません。

自分で決めた人生だと割り切る強さ

選ばなかった道を後悔するのではなく、選んだ道を正解にしていくしかない――そんな気持ちで、今日も事務所の鍵を開けます。風の強い日も、誰も来ない雨の日も、看板を掲げている限り、自分の仕事に責任を持つ。それが司法書士という仕事であり、独身という生き方でもあるんだと思っています。

「気楽」という言葉の裏にある覚悟

「独身なんて気楽でいいよね」って言われることもありますが、その気楽さを保つために、どれだけの孤独と向き合っているか、あまり知られていない気がします。寂しさを打ち明けることなく、笑顔で仕事を続ける裏側には、意地や覚悟が詰まっています。気楽って言葉、実は一番しんどいことを内包してるのかもしれません。

どこかで誰かも、同じように頑張っていると信じたい

この文章を読んでくれている人の中にも、同じような孤独を抱えて頑張っている人がいるかもしれません。司法書士じゃなくても、士業でも、全然違う仕事でも。気楽だけど、気楽なだけじゃ済まない毎日。でも、その中で懸命に生きている自分を、たまには肯定してもいいのではないでしょうか。そう思いながら、今日も事務所にひとり、コーヒーを淹れています。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。