朝の電話と依頼人の声
見知らぬ声が告げた不穏な登記相談
午前9時を回ったばかりの事務所に、やけに緊張感のある男の声が響いた。「登記のことで急ぎ相談したい」とだけ言い、詳細は口を濁した。 電話の向こうで息を呑む音が聞こえる。まるで何かを隠しているような話しぶりだった。 私の勘は、サザエさんの波平の髪の毛くらいにはまだ残っている。それがピンと立った瞬間だった。
サトウさんの塩対応と冷静な分析
受話器を置いた私に、サトウさんはノールックで言った。「声のトーンからして、何かやましいことがあるんでしょうね」 まるでカツオが宿題を忘れた言い訳をするのを見抜くサザエのような口ぶりだ。冷たいが的確。 私は、彼女のこういうところに内心助けられている。でも口には出さない。「うん、まぁ、そうかもね」とだけ返した。
訪れた男と古びた謄本
平成時代の登記簿に残された違和感
昼前、事務所に現れたのは中年の男だった。手に持った封筒から出されたのは、平成14年の登記簿謄本。 登記の所有者欄には、線で消されたような修正跡。にもかかわらず訂正履歴の記載はどこにもない。 私はその一点に違和感を覚えた。消された名前は、何かを語っているように見えた。
依頼人の態度に滲む何かの嘘
男は汗を拭きながら「登記の名義変更を早くしたい」と繰り返す。妙に急いでいた。 登記を急ぐ理由を聞いても、要領を得ない説明ばかり。家を売る予定もないという。 「家族の事情で」と繰り返すが、その目はまるで台本を読む役者のようだった。
元地権者の失踪とその背景
サザエさん的日常から消えた人物
登記上の元の所有者、岡田という名の人物。調査すると、5年前から行方不明だった。 近隣住民の話では、「急に姿を消した」とのこと。まるでタラちゃんが急に走ってどこかに行ってしまったような、唐突さだった。 それなのに、失踪届も出ていない。不自然さがますます色濃くなる。
調査の糸口は一通の固定資産税通知書
役所に確認を取ると、つい最近まで固定資産税は岡田名義で納税されていた。 それが急に、今年から依頼人の名で納税されている。登記名義は変わっていないのに、だ。 このズレは、司法書士の目にはとても引っかかる。真相を掘れば、何かが出てくる気がした。
登記簿の空白に潜む真実
所有者欄に浮かぶ不自然な訂正履歴
登記簿を再度精査してみると、確かに岡田の名は上から消され、別の名前に置き換わっていた。 だが、正式な抹消登記ではなかった。訂正された痕跡だけが残り、法務局には届け出がない。 「この訂正、手書きっぽいですね」とサトウさん。やれやれ、、、偽造の臭いがしてきた。
司法書士ならではの疑問点
正式な名義変更であれば、登記識別情報が必要になる。 しかし依頼人はそれを「紛失した」と言い張る。都合がよすぎる。 それでも手続きを進めたいという執念に、私は違和感を覚えた。
現地調査と裏手の納屋
なぜか鍵が壊されていた扉
現地調査に出向くと、裏手の納屋の鍵がこじ開けられていた。 中には家具や古い書類が雑多に置かれていたが、どこか生活の気配があった。 人が最近までいたような、それも隠れていたような雰囲気だ。
古い通帳が語るある人物の影
納屋の引き出しから出てきたのは、岡田名義の通帳だった。最終記帳は昨年。 つまり、岡田は行方不明ではなく、どこかに潜んでいた。もしくは、潜ませていた誰かがいる。 金の出入りを見る限り、誰かが彼の金を使っていたのは確かだった。
かつての持ち主の過去
失踪ではなく失踪に見せかけたもの
岡田は過去に自己破産寸前まで追い詰められていたことがわかった。 債権者から逃れるため、自ら「消えた」のかもしれない。 依頼人はその計画に加担していたのだろうか。
養子縁組と遺言書に残された謎
古い書類の中には岡田が依頼人と養子縁組をしていたことを示す証拠があった。 だが、養子縁組が行われたのは失踪の直前。あまりにも出来すぎている。 さらに遺言書の写しも出てきたが、署名が岡田の筆跡とは異なっていた。
登記情報の食い違いと犯人の意図
二重登記のように見せた偽装工作
本件の肝は、岡田を「死んだもの」として扱い、名義を偽装で変更しようとした点にある。 実際には死亡届も出されていない。登記簿だけをいじろうとした。 見せかけの書類と納税実績で、真実を上書きしようとしたのだ。
土地の価値と狙われた理由
この土地、近隣の都市開発で地価が急上昇していた。 依頼人はそれを知っていたからこそ、名義をどうしても欲しかったのだろう。 だが、手段が稚拙だった。私のような司法書士に相談してしまったのが、運の尽きだった。
追い詰められる犯人と隠された動機
家族を守るための偽証
依頼人は、岡田の遠縁にあたる者だった。借金を抱えた岡田を庇って姿を消させたのだという。 土地を守るため、そして家族に財産を残すために、偽装登記を試みた。 だが、それが犯罪であるという事実を、彼は直視していなかった。
司法書士の視点で解かれた真相
私は彼にこう言った。「司法書士は正義の味方ではないけど、違法行為の共犯にはなれない」 依頼人は観念し、調書に署名をした。事件は地味だが、根は深かった。 それでも、登記簿に隠された嘘を暴けたのは、司法書士ならではの仕事だった。
やれやれ、、、事件の後始末
結局書類仕事は山積みのまま
事務所に戻ると、机の上には未処理の案件が山積み。 「一件落着って言葉、書類には存在しないんですね」とサトウさんがぼそり。 私はため息をついて呟いた。「やれやれ、、、誰か俺の人生にも登記簿つけてくれ」
塩対応のサトウさんが見せた小さな優しさ
そのとき、サトウさんが缶コーヒーをひとつ差し出した。微糖。私の好みを覚えていたらしい。 「これ、余ったので」 ぶっきらぼうな一言だったが、その手の温もりは、たしかにやさしさだった。
再び平凡な一日へ
でもその登記簿にはまだ何かが
岡田の登記簿には、まだいくつか気になる点があった。 失踪の理由、養子縁組の真意、本当の財産の所在。 すべてが明らかになったわけではなかった。
謎がすべて解けたわけではなかった
けれども、事件は一旦幕を下ろした。登記簿の嘘は一部訂正され、真実が記された。 私は次の依頼者の資料に手を伸ばす。「さて、次はどんな嘘が待ってるかな」 平凡な一日が、また始まろうとしていた。