台風の日にどうしても来たいという依頼人にうんざりした日

台風の日にどうしても来たいという依頼人にうんざりした日

台風警報が鳴る中での着信音が嫌な予感しかしない

朝からニュースでは「外出は控えてください」と繰り返し報じられていた。事務所の窓も、風でビリビリと揺れていた。そんな中で鳴ったスマホの着信音。それだけで嫌な予感がしたのは、きっと長年の勘だろう。案の定、電話の相手はあの依頼人だった。「今日、やっぱり伺いたいんですけど」――。思わず聞き返した。「今日?」。暴風警報が出てる日だよ?とツッコミたかったが、言葉は喉で止まった。断ったら逆にややこしくなるタイプの人間だと、経験的に知っていたからだ。

無理だと思っていたら無理じゃなかった依頼人の執念

「電車も止まってるはずですよ」と伝えると、「歩いて行きます」と返された。いや、そういうことじゃない。そうじゃないんだ。こちらが「大丈夫ですか?」と聞きたいのに、向こうは「行きます!」の一点張り。その圧に負けたのか、自然と「じゃあ気をつけて来てください」と口から出てしまった。電話を切ったあと、ひとりツッコミ。「気をつけてって、無理だろ」。あれだけ吹き荒れてるのに、彼の執念はまさに“傘を捨てた男”だった。

どこから来るのかその強行突破の精神

彼の住所は隣町。通常でも30分はかかる距離だ。それを徒歩で?想像すると笑える。でも笑っていられない。実際に来たのだ、ずぶ濡れで。事務所のドアを開けたとき、風が一緒に入ってきた。レインコートから水がポタポタ。タオルを渡したが、拭いたところで乾くわけじゃない。そこまでして来る用件ってなんだったのか。結局、ただの相談内容の確認だった。電話でもできた。それなのに、なぜわざわざ来たのか。その強行突破の精神に、思わず感心すらしてしまった。

電話の時点で既に押し切られている自分に気づく

思い返せば、最初の「今日は無理ですね」と言いながら、心のどこかで「来るだろうな」と諦めていた自分がいる。断るのが苦手な性格だ。元野球部の頃、監督に怒鳴られても「はい」としか言えなかった。そういうところは司法書士になっても変わらない。電話の時点で、既に主導権を握られていた。依頼人が強く出ると、どうしてもこちらが引いてしまう。理屈よりも、その場の空気に流される。それが“現場”というものなのだ。

来所した依頼人の靴から溢れ出す水と気まずさ

事務所の玄関マットがぐっしょり濡れていく様子は、なんとも言えない光景だった。こっちは心配していたはずなのに、実際に現れると気まずい。こちらも事務員も、笑顔を貼りつけながら「よく来られましたね」と声をかけるしかない。内心では「そこまでせんでいいのに」と思っていた。だが本人は、来たことに満足そうな顔をしていた。こちらが無理に止めるのも違う、でも受け入れるのもモヤモヤする。その板挟みに、言葉が出なかった。

なぜそこまでして来たのかという核心に触れられない

「これだけは今日中に決めたくて」と言われた内容は、別に明日でも問題ないことだった。たぶん本人の気持ちの問題。安心したかったのだろう。でもそれは、こちらの都合を無視した強引さでもある。「雨すごかったでしょ?」と聞いても、「まあ、風が強かったですね」と軽く流される。こっちのストレスが、どこにも届かない。依頼人との温度差は、予想以上に大きかった。

依頼人の事情とこちらの疲労の温度差

彼には彼の事情があった。家族との問題、金銭的な悩み、それらが全部絡んで「どうしても今話しておきたかった」という思いになったのだろう。でも、それはこちらには伝わりにくい。こちらはこちらで、今日という一日をどう乗り切るかで精一杯だった。お互いに悪気はない。でも、かみ合わない。そういうことが司法書士の現場ではよくあるのだ。温度差を理解するには、相当な体力がいる。

書類は無事だが心が濡れている

結局、濡れたのは依頼人の服だけじゃなかった。こちらの心も、どこかずぶ濡れだった。業務としては何も問題なかった。書類は揃い、話もまとまり、形式上は成功だった。でも残るのは疲労と、ほんの少しの虚しさ。「これって必要だったのかな」と思ってしまうと、気持ちが落ち込んでしまう。感情の整理がつかないまま、次の依頼の準備に取りかかるのが、この仕事のつらさだ。

働くとは何なのかと自問する午後三時

午後三時、事務所に静けさが戻ったころ、ふと考え込んでしまった。「働くって何なんだろう」と。こんな天候でも人に会い、話を聞き、書類をまとめる。そこには人間ドラマがある。でもドラマは疲れる。セリフを間違えれば、感情のすれ違いも生まれる。誰も悪くないのに、なんだか重い空気が残るのだ。そんな午後、カップ麺を食べながら、外の雨音を聞いていた。

自分もあの日台風の中グラウンドに立っていた記憶

高校時代、台風の中で強行された部活があった。監督の「根性だ!」のひと言で、全員泥だらけになりながらノックを受けていた。あのときは「なんでこんなことを」と思っていたが、いま自分が逆の立場で、誰かにそれを強いているような気もした。依頼人を止められなかったのは、あの頃の「やらなきゃ損」という精神がどこかに残っていたからかもしれない。

昔の根性論が脳裏をよぎる瞬間

「気合いでなんとかなる」というのは、時に誰かを傷つける。今回の件も、依頼人の根性は立派だったが、無理を通した結果としてこちらの負担は大きかった。根性は美徳かもしれない。でも、押しつけるものではない。そう気づいたのは、社会に出てからだった。あの頃のノックの音が、いまは書類の印刷音に重なる。

司法書士に求められる出てきて当たり前感

「先生がいてくれて助かりました」。それはうれしい言葉だ。でも裏を返せば、「先生はいつでも対応してくれる人」という無意識の期待でもある。天候も体調も関係ない、そう思われてしまうと、こちらはますます逃げ場がなくなる。真面目で責任感の強い人ほど、いつか折れてしまう。司法書士という仕事に必要なのは、優しさだけではなく、線を引く勇気かもしれない。

終わった後の虚無と後悔とほんの少しの達成感

夜になって風が弱まり、事務所を閉めるころには、依頼人の足跡も消えていた。今日一日の出来事を思い返しながら、ため息が出る。愚痴りたくなる。でも、心の奥には「やっぱり応えてしまったな」という不思議な達成感もあった。誰にも言えないけど、少しだけ誇らしくもある。矛盾しているけど、それが仕事というものだ。

結局こなしてしまう自分が嫌いじゃない

正直、疲れた。腹も減った。でも「俺、今日よくやったよな」と思っている自分もいた。誰かに頼られ、期待されて、それに応えるのはしんどい。でも、応えてしまう自分もまた、自分なのだ。こうしてまた、明日も誰かのために動いてしまうのだろう。

優しさなのかただの断れなさなのか

優しい人だとよく言われる。でも、それって本当に優しさなのか?ただ「断るのが怖い」「嫌われたくない」だけかもしれない。依頼人の「お願いします」という言葉に、つい「わかりました」と返してしまう。それがいつしか自分の首を締めている。でも、それをやめるのは難しい。だって、性格なんだ。

また何かあったらお願いしますの破壊力

「また何かあったらお願いします」――その言葉は、感謝と同時に次の予告でもある。ありがたいけど、怖い。次もまた、台風かもしれない。雷雨かもしれない。それでも来るんだろうなと思う。そして、また自分も受け入れてしまうんだろうなと。そんな未来が見える夜だった。

明日も台風らしいと聞いたときの無の表情

テレビの天気予報士が言った。「明日も引き続き、警戒が必要です」。その瞬間、顔が無になった。思考が停止するとはこのこと。雨雲レーダーよりも早く、心に警報が鳴り響く。もう誰も来ないでくれ、と願う自分がいる。でも、きっと来るのだ。だから今夜は早く寝よう。せめて、夢の中では晴れていてほしい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。