ふとした瞬間に「辞めたい」がよぎる日々
司法書士という職業は、外から見ると「安定している」「資格職で食いっぱぐれない」などと評価されることが多い。しかし、実際にその中にいると、そんな簡単なものではないと痛感する。業務は煩雑で、一つのミスも許されない。日々のプレッシャーと依頼の多さに、正直「もう辞めてしまいたい」と思うことがある。ふとトイレに立った瞬間や、夜に事務所の電気を落としたときなど、その「辞めたい」は不意にやってくる。
忙しさに飲まれて、自分が何者なのかわからなくなる
たとえば登記の締切が迫っている週などは、書類の確認、法務局とのやり取り、顧客からの急な質問攻め…まるで自分の時間がどこにも存在しない。気づけば昼食も取らずに過ぎ去り、夜にはコンビニ弁当片手に事務所で一人。そんな毎日を繰り返していると、次第に「俺、何のためにこの仕事してるんだろう」と、存在そのものがぼやけてくる。名刺に書かれた名前だけが自分を証明しているような、妙なむなしさが広がる。
朝、デスクに向かっても気持ちが動かない
朝起きて、着替えて、車を走らせて事務所に着く。ルーティンは変わらないのに、デスクに座った瞬間にふっと気持ちが止まる。PCを開いても指が動かず、メールボックスを眺めるだけで30分が経っている。これが「燃え尽き」なのか、「鬱」なのかはわからない。ただ、心が動かない。働くことに意味が見いだせない。ただただ日々が流れていく感覚。それでも、締切は待ってくれない。
「誰のためにやってるんだろう」と考えてしまう
司法書士という仕事は、結局は人のためにやるものだと信じてきた。でも現実は、クレーム対応や料金交渉、細かすぎるチェックリストとの闘い。時には理不尽な要求も受け入れざるを得ない。「誰のためにやってるんだろう」と自問自答すると、なんだか空しくなってくる。こんなに頑張っても、感謝されるどころか責められる。独身で帰る家も静かすぎて、なおさらその虚無が大きくなる。
そんな時、思い出すのはあの依頼者の言葉
それでもこの仕事を続けてこられたのは、ある依頼者の言葉があったからだ。「ありがとう。本当に助かりました」と深々と頭を下げてくれたあの瞬間。その言葉が、忙しさに飲み込まれた自分を引き戻してくれた。人の役に立てた実感。それが、心の奥に少しだけ火を灯してくれた気がした。
「本当に助かりました」の破壊力
ある日、相続登記の依頼を受けた。依頼者は高齢の女性で、手続きのことが何もわからず、不安そうにしていた。こちらも忙しい時期だったが、丁寧に対応を重ねた。登記が完了し、書類を渡したときに彼女が言った。「本当に助かりました。あなたがいてくれてよかった」。その一言で、涙が出そうになった。報酬の金額なんてどうでもよくなる瞬間だった。
顔は覚えていないけど、声のトーンは忘れない
正直、依頼者の顔はぼんやりとして思い出せない。でも、その声のトーンだけは今でも耳に残っている。震えるような声で、でも確かに感謝の気持ちがこもっていた。何人もの依頼を抱えていると、感情の記憶は薄れていくけれど、本気の「ありがとう」は、記憶の深い場所に残る。それだけで、この仕事には意味があると信じられる。
報酬よりも沁みた、あの一言
たしかに生活していくためには報酬も大事だ。けれど、「ありがとう」の一言がくれた報酬は、銀行口座には振り込まれない。でも、それ以上に心を満たしてくれる。誇張でもなんでもなく、あの言葉がなかったら、この仕事をとっくに辞めていたと思う。感謝って、受け取る側にとっては、何よりのエネルギーになる。
感謝される仕事だけど、感謝されるまでが長い
司法書士の仕事は、目立たないし、成果が見えづらい。手続きがスムーズに進んだとしても、それが「当たり前」と思われがちだ。逆に、少しでも遅れたりすれば、責められる。感謝されることなんて、ほんの一握り。だけど、その一握りが大きい。
誤解されやすいし、期待値も高すぎる
「早く終わらせてくれるんでしょ?」「登記なんて簡単なんじゃないの?」そんな言葉をかけられるたび、内心イラッとする。でも、そう思わせてしまう業界の見せ方にも問題がある。誰も、司法書士がどれだけの書類に目を通し、責任を背負っているかなんて知らない。地味だけど、間違えられない。だからこそ、感謝されたときの喜びは深い。
ミスは許されず、完璧が当たり前と思われている
どんなに慎重にやっていても、人間だからミスはある。それでも、この仕事は「完璧」が前提だ。ひとつでも間違えれば、信用は地に落ちる。だから神経をすり減らしながら日々を過ごす。こんなプレッシャーの中で働いているのに、それを理解してくれる人は少ない。孤独と隣り合わせの毎日だ。
「なんでそんなに高いの?」と言われるたびに折れる
見積を出すと、時々言われる。「え、こんなにかかるの?」と。こっちは時間と責任を背負ってやっているのに、まるでぼったくっているような言い方をされると、心が折れそうになる。そんなとき、「ありがとう」の一言があるかどうかで、全然違ってくる。「高かったけど、本当にお願いしてよかったです」と言ってもらえた日は、帰りのコンビニのビールがいつもよりうまい。
「ありがとう」でしか続けられなかった15年
司法書士になって15年。正直、何度も辞めようと思った。仕事が辛いからじゃない。孤独だからだ。誰にも理解されないまま、ひたすら責任だけを抱えて働く。そんな日々に耐えられたのは、ほんの少しの「ありがとう」があったから。たった一言の力で、人は何年も踏ん張れる。
結局、人の感情だけが自分の支えになってきた
事務所の経営が安定したわけでもないし、プライベートが充実しているわけでもない。独身でモテないし、誰かに必要とされている実感も薄い。でも、「あなたに頼んでよかったです」と言われた日は、自分も誰かの役に立てたと思える。その実感だけが、明日もまたこの机に向かう原動力になる。
書類じゃなくて、人と向き合う仕事だとやっと気づいた
昔は書類の処理ばかりに目を向けていた。でも最近ようやくわかった。この仕事は、人の「不安」や「困りごと」に向き合う仕事なんだと。相続、登記、会社設立——その裏には必ず「人」がいる。その人たちと向き合った分だけ、感謝も返ってくる。
今日もまた、辞めずに済んだ気がしている
朝はつらかった。正直、仕事に行きたくなかった。でも、帰る頃には「今日は辞めずに済んだ」と思えた。依頼者の笑顔、感謝の一言、何気ない世間話。そんな小さなやり取りが、自分の心を少しだけ潤してくれる。明日もきっとまた疲れるけど、辞めずに済めばそれでいい。それが、今の自分にとっての「続ける理由」だ。