通帳の数字は増えても、心は満たされない
地方の小さな司法書士事務所を営んで20年近くになるが、最近ふと気づいた。「通帳の残高は増えたけれど、心はいつの間にかカラッカラだ」と。朝から晩まで相談対応や書類作成に追われ、土日もどこかしら仕事が頭から離れない。事務員の給料も滞りなく支払えてるし、生活に困っているわけでもない。でも心のどこかが、ずっと疲れている。金銭的には安定しているはずなのに、なぜか安心できない。そんな矛盾が、このごろやけに重たくのしかかってくる。
仕事が順調なときほど、ふと襲う空虚感
月末の締め処理を終え、通帳に振り込まれた額を確認すると、ほっとする。それと同時に、なぜか肩の力が抜けすぎてしまう瞬間がある。数字だけを見れば「よくやってる」と言われてもいいはずだ。でも、自分の中では「じゃあこの努力は、なんだったんだろう」という虚無感が残るだけ。うまくいっているはずなのに、心が追いついてこない。この感覚、共感してくれる人、いるだろうか。
忙しさの中で置き去りにされたもの
気づけば、10年以上、旅行らしい旅行にも行っていない。外食もコンビニや立ち食いそばばかり。誰かと深く語り合う時間も、ここ数年記憶にない。仕事に全振りして生きてきた結果、人生の潤いみたいなものがごっそり抜け落ちてしまった。仕事を通じて得られる充実感もある。でもそれは、心の奥まで満たすような種類のものではなかった。
「頑張ってるね」と言われても、実感がない
たまに依頼人や知人に「いつも頑張ってますね」と声をかけてもらう。ありがたい。でもその言葉が、自分の胸にちゃんと届いているかといえば…正直、届いていない。そう言われるたびに、むしろ「何を頑張ってるんだろう?」と自問してしまう自分がいる。成果を出すこと=頑張る、になってしまっていて、本当の意味での「生きている手応え」を感じられていないのだ。
司法書士という仕事の“見えない疲れ”
世間からは堅実な士業に見られがちだけれど、司法書士の仕事には、数字に出ない疲れがある。依頼人の人生を背負い、トラブルを防ぎ、法律と感情の狭間で毎日神経をすり減らしている。日々の業務に追われる中で、誰かに「それ、しんどくないですか?」と聞いてほしくなる瞬間がある。でも、それを口に出すのは難しい。プロである以上、弱さを出しづらい現実もある。
数字に表れないプレッシャー
例えば相続登記ひとつとっても、間違えれば家族関係がこじれたり、信頼を失う原因になる。毎回、「これは本当に間違っていないか」「後でトラブルにならないか」と確認に確認を重ねる。お金にはならない神経の使い方が、実は一番疲れる。報酬に対して「割に合わない」と感じることもあるけれど、誰にも言えない。ひとり事務所ならなおさら、その重圧を受け止めるのは自分ひとりだけだ。
誰にも言えない「不安の積立」
登記が無事完了したときはホッとする。でもそれは一瞬のことで、すぐに次の依頼がやってくる。気づけば心の中に「もし失敗したら」「次は何が起こるだろう」という不安だけが少しずつ積み重なっていく。表面上は平穏無事でも、内心は常に緊張している。まるで、見えない貯金口座に「不安」を少しずつ積み立てているような、そんな感覚だ。
事務員さんにさえ、弱音は見せられない
ありがたいことに、うちの事務員さんはとても優秀で助かっている。でも、彼女にすら自分の不安や愚痴をこぼすことはできない。「所長がしっかりしていないと、事務所が崩れる」という思いが強すぎて、余計に自分を追い込んでしまっているのかもしれない。本当は、たまには誰かに弱音を吐きたい。でも、それができる相手が見つからない。孤独な経営って、こういうことなんだと思う。
「自分の人生、これでよかったのか」と思う瞬間
ふとした瞬間に、頭をよぎる。「これでよかったのか?」という問い。20代で独立を決意し、ひたすら前だけを見てきた。気がつけば45歳、独身。仕事はある。多少の貯金もある。でも、それ以外は…?と自問したときに、返ってくる答えがないのだ。誰と語るわけでもなく、ただ心の中だけでぐるぐると渦を巻く不安がある。
40代でふと振り返る、選んだ道の重さ
この仕事を選んだことに後悔はない。でも、「ほかの選択肢はなかったのか?」と考えたくなる夜もある。もし、会社員として安定した生活を選んでいたら?もし、もっと人と関わる仕事をしていたら?そんな“もし”を考えても意味がないと分かっていながら、心は勝手にさまよう。司法書士という職業に誇りはある。だけど、人としての満足感とはまた別物なのかもしれない。
結婚もしなかった、趣味もない、でも仕事だけはある
同年代の友人たちは家庭を持ち、子どもの話をしている。自分はというと、夜はテレビかYouTube、たまにスーパーの半額弁当。趣味といえるものもなく、休日も仕事のことばかり考えている。誰かに「寂しくないの?」と聞かれたら、「忙しいから」と笑ってごまかしているけれど、本音を言えば、心のどこかがずっと飢えている。
なんのために稼いでいるんだろう
仕事の報酬は、確かに口座に貯まっていく。でも、そのお金はほとんど使われることなく、ただ数字として積み上がっているだけ。新しい靴も、服もいらない。外食も一人では味気ない。だったら何のために働いているのか?心の残高が減る一方で、通帳の残高だけが増えていく。そのギャップが、最近ますます耐えがたくなってきている。