オンライン飲み会すら呼ばれない現実と向き合う
ある晩、事務所の片付けをしていたら、ふとスマホに目が行った。画面には何の通知もなく、ただ静かに時刻が進んでいた。SNSを見ると、知人たちはオンライン飲み会のスクリーンショットを投稿している。「久々に盛り上がった〜!」なんてコメントが添えられていて、まるで別世界の出来事のようだった。かつて一緒に研修を受けた仲間もいる。その輪の中に自分がいない。理由は分からない。ただ、招待されなかったという事実だけが胸に残る。たったそれだけのことなのに、なんとも言えない寂しさがじわりと広がっていく。
通知が鳴らない夜に感じる疎外感
仕事が終わってふっと一息つくとき、ふと「誰かと話したい」と思う瞬間がある。しかしその夜はスマホの通知が一つも鳴らない。LINEもSlackも静まり返っている。その静けさが、逆に心のノイズとなって響いてくる。「もしかして、もう誰からも必要とされていないのかな」なんて、考えても仕方ないことをつい考えてしまう。40代にもなれば、それぞれ家庭も仕事もある。でも、それでもやっぱり「誰かとつながっていたい」と願ってしまう。寂しいのは、予定がないことじゃなくて、誰かの予定に自分が入っていないことだ。
スマホを見つめるだけの時間
ソファに腰を沈め、無意味にスマホをいじる時間が増えた。意味もなくInstagramを開き、ストーリーズを見ては「今日も誰にも呼ばれなかった」とため息をつく。見たところで気が滅入るだけと分かっていても、つい見てしまう。通知欄が空白だと、なんだか自分の存在まで透明になっていくような錯覚に陥る。「呼ばれる側じゃないんだな」そう自覚するのがつらい。誰かの話し声や笑い声が聞こえてくるわけでもないのに、なぜかやけに騒がしい夜だった。
誰かに声をかける勇気すら持てない
本当は自分から声をかければいい。それくらいのことはわかっている。でも、声をかけるには理由がいる。話題がいる。何かしらの「用事」がないと、ただ「飲みたい」とは言いづらい。「今、時間ある?」と送ったところで、相手が忙しかったらどうしよう。既読スルーされたら、またへこむだけだ。結局、自分の殻にこもってしまう。司法書士としての仕事では多少の図々しさも必要なのに、プライベートとなると、これほどまでに臆病になるのかと自分に驚く。
「仕事が忙しいから」と自分に言い聞かせるけど
「いや、呼ばれないのは自分が忙しそうに見えるからだ」と思い込もうとしたことがある。確かに仕事は立て込んでいるし、休みも少ない。自分でも「無理だろうな」と思いながら返信している節はある。でも、これはただの言い訳かもしれない。本当は「忙しいから誘われない」のではなく、「面倒な人だと思われてる」のかもしれない。そう思った瞬間、笑えなくなる。忙しさを理由にして、自分から関係を閉ざしてきたのは、果たしてどちらなのか。
本当にそれだけの理由なのか?
「誘っても来ないでしょ?」「どうせ断ると思って」そう思われているとしたら、すでに自分は“扱いづらい人”になっているのだろう。自分では精一杯、周囲との関係を保とうとしていたつもりだった。でもそれは、ただの独りよがりだったのかもしれない。誰かを誘うことも、誘われることも、自然にできていたあの頃が懐かしい。あの頃は、こんな風に一人きりで「なぜ呼ばれないのか」を考えるなんてなかった。
司法書士という仕事の孤立性
そもそもこの仕事は、どこか孤独になりがちだ。依頼者と密に関わるけれど、それはあくまで「仕事として」の話。業務が終われば連絡は途切れ、プライベートなつながりには発展しにくい。事務所に戻れば、静まり返った空間で一人黙々と書類をこなす。事務員とのやりとりも、最低限の業務連絡が中心だ。人と接しているようで、実は誰とも心を通わせていない。そんな日々が続けば、次第に「誰かとつながりたい」という気持ちすら薄れていくのだ。
司法書士の「孤独」は日常に溶け込んでいる
司法書士として独立して十数年、いつの間にか「孤独」にも慣れてしまった。最初は寂しかったが、今ではそれが日常になっている。たまに思い出したように、誰かの声が聞きたくなることもあるが、すぐに「まあ、また今度でいいか」と自分を納得させてしまう。独身で、家族もなく、仕事と家を往復するだけの日々。孤独と共にある生活は、まるで空気のように、当たり前のものになってしまった。
電話は鳴るのに、人の声が届かない
毎日いくつもの電話が鳴る。登記の相談、取引の日程調整、書類の催促…。しかしそれらは、すべて業務の一環でしかない。形式的なやりとりの中に、本音や笑いはほとんどない。誰かと話しているのに、話していないような感覚。そんなコミュニケーションが繰り返されると、次第に自分の中の“会話”という感覚がすり減っていく。「声」は届いているのに、「思い」は通じていない。そんな感覚が、ふとした瞬間に心を重くする。
業務連絡と雑談の違い
業務連絡なら得意だ。淡々と、必要事項を抜けなく伝える。だが、雑談となると何を話していいかわからない。沈黙が怖くなり、話題を探すうちに「この沈黙すら面倒くさい」と感じてしまう。だから、つい話を切り上げてしまう。もしかすると、それが「付き合いづらい人」と思われている原因かもしれない。仕事ばかりしてきた結果、日常会話というスキルが著しく低下しているのだ。
人との関係も「実務ベース」ばかりに
いつからか、人付き合いも「必要があるかどうか」で判断するようになった。プライベートでも、何か目的がないと連絡できない。効率を優先しすぎた結果、人との関係性までもが「仕事化」してしまったのだ。そんな自分に気づいた時、なんとも言えない寂しさが込み上げてきた。「それでも一人が楽なんでしょ?」と誰かに言われたとしても、「そうですね」としか返せない。もう、自分でも本音がよく分からなくなってきている。