「元気?」と聞かれて、返事ができなかった朝
「元気?」と聞かれて、何も返せなかった朝がある。相手に悪気がないのはわかっている。挨拶のようなものだ。だけどその日、僕はまったく元気じゃなかった。前日からの寝不足、終わらない書類、事務員のため息、急ぎの電話が何件も来て、朝から頭がフル回転。なのにその一言で、なぜか心がぽきっと折れた。喉の奥に、言葉じゃないものが詰まった。こんなふうに“元気?”が答えにくい日は、年々増えている気がする。
その一言に潜む“地雷”
「元気?」という言葉が、思ったより重たいと感じるようになったのはいつからだろう。仕事を始めたばかりのころは、軽口で「まあまあですよ」なんて言えたのに、今は違う。言えば言うほど、自分を誤魔化している気がしてくる。元気じゃないのに元気なふりをするって、地味に疲れる。だからと言って「いや、しんどくて」とも言えない。相手に気を使わせたくないし、何よりそんな時間すら惜しい。地雷なんて言い方は大げさかもしれないけど、その言葉に踏まれてうまく呼吸できないときがある。
優しさが、時に刃になることもある
相手の優しさがわかるからこそ、しんどい。気づかってくれてるのも伝わるし、悪意がないのもわかる。だけど、だからこそ苦しくなる。「この人は俺の“元気じゃなさ”に気づいてるのか?」と考えてしまうし、「それをわかったうえで聞いてきてるのか?」と穿った見方になる。そうすると、優しさすら痛い。たとえば小さな擦り傷に塩を塗られるような感じ。たぶん、相手は何も悪くない。それでも、心が削れる日がある。
何気ない言葉が一番、心をえぐるとき
「お疲れさま」や「頑張ってるね」もそうだが、「元気?」は特にきつい。あまりに日常的な言葉だからこそ、油断している心に不意打ちで突き刺さる。何気ない言葉だから、逃げるタイミングも見失う。とくに朝一番、コーヒー片手にまだ思考もまとまらないときに言われると、心のどこかが無防備すぎてうまく受け止められない。そういう日は、一日がしんどくて仕方がない。
司法書士という仕事の「元気消費量」
司法書士という仕事は、黙っていても人の人生が押し寄せてくる。登記、相続、成年後見、借金の相談。どれも重いし、失敗は許されない。小さなミスが訴訟になりかねない世界で、気を抜く余裕はない。集中して、気を張って、冷静を装って——そうやって仕事をしているうちに、気づけば自分の“元気”は使い果たしている。それでも仕事は続く。終わらない。毎日が、終わりの見えないマラソンだ。
人の問題を背負っていると、自分の感情が置き去りになる
依頼者の話を聞いているとき、感情移入しすぎてはいけない。でも、無関心ではいられない。絶妙な距離感を保ちつつも、相手の不安を受け止め、安心を与え、正確な手続きに落とし込む。それが司法書士の仕事だ。でもその分、自分の気持ちはどこかへ追いやってしまう。「今日はつらいな」「なんかもうダメかも」——そんな気持ちは後回し。だから、たまにふとした拍子に感情が爆発しそうになる。
毎日が〆切、毎日が責任。息をする余裕もない
登記申請の期限、裁判所への提出期限、書類の取り寄せ、顧客対応。すべてが“待ったなし”の世界。何かひとつでも漏れると信頼が崩れる。だからこそ、ミスはできないし、常に頭はフル稼働。昼食も適当、お茶を飲む暇すらなくて、トイレに行くのも我慢する日がある。誰のせいでもない。でも、それが何年も続くと、確実に心はすり減っていく。
「忙しいですね」が挨拶になった日常
地域の人に会えば「先生、相変わらずお忙しいでしょう」と言われる。それは誉め言葉だと思うし、信頼されてる証でもある。だけど、内心では「忙しい=元気」じゃないのに、と思っている。忙しいのは確かだけど、元気かどうかはまったく別の話。むしろ、忙しさで削られてボロボロな日もある。だけど「いやー、もう限界です」とは言えない。そんな挨拶を交わせる空気じゃない。
働いてるのか、溺れてるのか、もうわからない
朝起きて、仕事して、夜倒れこむように寝る。それを繰り返しているうちに、「今、自分は働いてるのか、それともただ溺れてるだけなのか」がわからなくなってくる。波に飲まれてるのに、手はずっと書類に伸ばしている。誰も助けてくれないし、自分も誰かに助けを求められない。気がついたら、ただ流されている。
「辞める勇気」より「続ける理由」が見つからない
「もうやめたいな」と思うことは何度もある。でも、辞める勇気なんてない。事務員もいるし、依頼者も待ってる。自分が辞めたら、困る人がいる。それがプレッシャーでもあり、モチベーションでもある。矛盾してるけど、それが現実だ。何かが変わるわけじゃないけど、それでも今日も事務所に来て、机に向かってる。
返事ができないのは、弱さなのか
「元気?」と聞かれて返せないのは、弱いからなのか?と考えたことがある。でも最近はそう思わなくなった。むしろ、無理に笑って「元気です」と言うほうが不自然だ。本当にしんどいときは、言葉が出てこない。それだけのこと。弱さじゃない。それを認められるようになったのは、ようやく最近だ。