電話が鳴るだけで心がざわつく ― 司法書士の孤独とプレッシャーの正体
電話が鳴る、それだけで一瞬止まる心
「プルルル……」という音に、心臓がギュッと掴まれるような感覚になる。電話が鳴っただけなのに、体が勝手に反応してしまうのだ。誰からかかってきたのか、何を言われるのか、何かミスがあったのではないか……そんな予感が頭の中を駆け巡る。昔はそんなことなかった。むしろ電話が鳴るのは仕事のチャンスだった気がする。でも今は違う。気を抜いていたときに鳴ると、びくっとして受話器を取りながら声が上ずってしまう。「はい、司法書士の稲垣です」と言いながら、心のどこかで小さく震えている自分がいる。
着信音が怖くなったのはいつからか
そもそも、いつからこんな風になってしまったのか。思い返してみると、たぶん開業して5年目くらいの頃だった気がする。ある登記案件で書類の不備があり、先方の会社から厳しく叱責されたことがあった。それがトラウマになったのかもしれない。それ以来、電話=怒られる、という方程式が自分の中でできあがってしまった。音そのものが脅威に感じるようになり、スマホのバイブ音さえも嫌になってしまった。誰も悪くないのに、自分の中だけで勝手に警報装置が鳴るようになったのだ。
怒られる電話、急かされる電話
司法書士の電話は、基本的にいい話ではない。たいていは「まだですか?」「どうなってますか?」という急かす系か、「話が違うんじゃないですか?」という攻撃系。自分の不手際じゃなくても、何かの遅延や誤解で怒られるのが常だ。人によっては、「電話なんてただの連絡手段でしょ」と思うかもしれない。でもこちらとしては、受話器を取るたびに傷口を晒すような気持ちになるのだ。
慣れるはずだったのに、慣れなかった
「慣れですよ、そのうち平気になりますよ」と言われたことがある。でも10年以上経っても、私は慣れなかった。むしろどんどん苦手になっていった。毎日毎日、積もるプレッシャーと共に生きていれば、電話1本でバランスを崩すくらいの繊細さは残ってしまう。電話の向こうの相手が怒っているかどうかなんて、声のトーンで一瞬でわかる。それに慣れるというより、毎回それに身構えるようになってしまった。
事務所に響く音のプレッシャー
小さな事務所だからこそ、電話の音は壁に反響してよく響く。事務員の前で取り乱すわけにはいかない。だからこそ、無理やり平静を装う。でも、心の中では常に「また何か起きたかもしれない」という不安が渦巻いている。1日中かかってこない日は少しホッとするけれど、その分次の日の電話に倍の緊張を感じるようになる。逃げ場がないのだ。
「はい」と出た瞬間に始まる戦い
「はい」と言ったその瞬間から、こちらの立場は基本的に受け身だ。相手のペースで話が進み、こちらはそれを受け止めながら、冷静さを保ち続けなければならない。ちょっとした言い間違いや語尾の曖昧さで「信用できない」と思われることもある。そんな張り詰めた瞬間が、日に何度も訪れる。それがどれほど神経を削るか、なかなか分かってもらえない。
小さな事務所の電話はすべて矢面
大きな法人事務所なら、電話を受けるだけの部署もあるだろう。でもうちは違う。自分か事務員がすぐ出て、すぐ答える。それだけに、問い合わせの内容がどんなものであれ、最前線で対応せざるを得ない。ときに無茶な要求もある。それでも断れば「冷たい事務所」と言われる。この板挟みに疲弊していくのだ。
独りで仕事を続けるということ
事務所を開いて十数年、気がつけば誰にも頼れない環境が当たり前になっていた。相談相手がいないわけではない。でも、毎日の積み重ねの中で起こるちょっとした不安や違和感を、その都度誰かに話す余裕はない。だから自分の中で処理するしかなくなり、その分だけ神経がすり減っていく。電話の音に怯えるようになったのも、その延長線にあるのかもしれない。
電話の音が“生活音”にならない職場
家庭で鳴る電話なら、たぶんこんなふうにはならなかった。仕事の電話だからこそ、その音に意味があり、重みがある。言い換えれば、鳴るたびに責任が降ってくる感覚だ。休日でも「もしかして何かあったかも」とスマホを気にしてしまう。通知が来るだけで心臓が高鳴る。そんな毎日が続くと、電話の音が“音”以上のものに感じてしまうのだ。
人の声が苦手になる司法書士
昔はもっと人と話すのが好きだった気がする。でも今は、電話を含めて“会話”そのものがちょっとしんどい。特に初対面の相手や、何かを依頼してくる人に対しては、どこかで警戒心を持ってしまうようになった。変な話だけれど、事務員と話すくらいがちょうどいい距離感になってしまっている。
休みの日も着信に怯える自分がいる
休日にスマホが鳴ると、一気に現実に引き戻される。せっかくの休みでも、仕事関連の通知が来るだけで気が休まらない。「何かミスした?」「誰か怒ってる?」という思考が先に浮かんでしまう。だから最近は、着信音を消して、バイブも切って、無音にしている。でもそれは“鳴らないことを願う”という消極的な対策に過ぎない。
それでもこの仕事を辞めない理由
こんなにもプレッシャーが多く、しんどくて、孤独な仕事なのに。それでも、私はこの仕事を辞めない。なぜかと言えば、やっぱり「誰かの役に立っている」と感じる瞬間があるからだ。自分が動いたことで、問題が解決し、誰かがホッとした顔を見せてくれる。それが、唯一の支えになっている。
ありがとうの一言がすべてを支えてくれる
「助かりました」「本当にありがとうございました」。たった一言で、どれだけ救われるか。長年この仕事を続けていると、それが心に沁みる瞬間がある。嫌な電話も多い。でも、その中に一つでも心の通った会話があれば、「やっててよかった」と思える。それが、この仕事の不思議なところだ。
たった一人の依頼者との信頼関係
一人のお客さんとの間に築けた信頼関係は、何ものにも代えがたい。完了後にお礼の手紙をもらったこともあったし、別の相談でまた戻ってきてくれることもある。小さな事務所だからこそ、一人一人と向き合える。それが、この仕事の魅力でもある。
弱音も愚痴も、共感してくれる誰かへ
この記事を書いているのも、自分の中にたまった弱音を少し吐き出したかったからだ。そして、同じように感じている誰かが、どこかにいるんじゃないかと思ったからだ。司法書士であれ、他の職種であれ、頑張っている人にはきっと共通する疲れや悩みがある。その共感が、少しでも明日を乗り切る力になればと願っている。