「結婚は?」と聞く親を安心させたいだけ──でも、そんな簡単な話じゃないんです

「結婚は?」と聞く親を安心させたいだけ──でも、そんな簡単な話じゃないんです

「結婚は?」という問いが、だんだん重たくなってきた

電話の向こうで母の声が明るく響く。「結婚は? そろそろ考えてもいい年じゃない?」何度も聞かれてきた言葉なのに、最近は特に重く感じる。45歳。地方で司法書士を続けている。仕事はそれなりにあるし、健康も今のところは問題ない。それでも、親の安心材料として“結婚”というワードが出てくると、胸の奥にじわっとしたものが湧いてくる。「はいはい」と軽く返しながら、心の中では複雑な感情を抱えているのが本音だ。

親は悪くない、むしろ心配してくれてる

親が悪いわけじゃない。心配してくれているのはありがたい。ただ、その「心配」が、僕の生き方を否定されているように感じてしまうことがあるのだ。親世代にとって“結婚”は人生の通過点。でも僕にとっては、その“通過点”がまだずっと先にあるか、あるいはもう見えなくなっているようにも思える。結婚していないからといって、必ずしも不幸だとは思っていない。それでも、親の問いかけが僕の中の“未達成感”を刺激する。

でも、聞かれるたびに少しだけ疲れてしまう

一回一回はたいしたことない。それでも積み重なると、ちょっとずつ疲れてくる。年末年始、親戚が集まった席で「まだ独身なの?」と笑われるたびに、なんとも言えない気持ちになる。たまたま僕は司法書士という仕事をしているだけで、まるで“しっかりしている人間”だと思われがち。でも本当のところは、毎日ギリギリでやってる。家庭を持つ余裕なんて、気力的にも時間的にもなかなかない。

地方で司法書士、45歳独身、そこそこ健康──それでも十分じゃないのか

「司法書士さんって安定してそうですよね」と言われることは多い。確かに、業務内容的には“資格職”のイメージが強く、生活に困っているようには見えないらしい。でも実際はどうか。書類の山に埋もれながら、締切と電話対応に追われる日々。正直言って、心身ともに余裕があるとは言い難い。そんななかで誰かと知り合い、関係を築いていくって、ものすごくエネルギーのいることだ。

「安定した仕事」と思われがちだけど、実際はそうでもない

たとえば相続登記一つとっても、必要書類の準備に時間がかかるし、家族間のトラブルに巻き込まれることもしょっちゅうある。報酬もすぐには入ってこない。なのに周囲は、「司法書士だから安心だよね」と決めつけてくる。安定なんて、どこにもない。そんな環境で“結婚して家族を養う”なんて、夢物語のように感じてしまう瞬間がある。

孤独と責任と、たまに来る謎の書類と

独立して事務所を構えていると、誰かに頼るわけにもいかない。事務員さんが一人いてくれるだけで、ものすごく助かっている。それでも、決定権も責任も最終的には自分。夜中にふと目が覚めて、「あの書類、出したっけ?」と不安になることもある。家に帰っても、誰かに話すわけでもなく、缶ビールを開けてぼんやりテレビを見る。

「一人でやってるからすごいね」と言われるけど

すごいなんて言葉、むしろプレッシャーにしかならない。誰かに頼りたいと思うこともあるし、ただ話を聞いてほしいだけの日もある。でも、そういうときに限って仕事が立て込んでいて、誰にも会えないまま一日が終わる。「強くてかっこいい独身」と思われるほど、現実とのギャップに笑えてくる。

ほんとは誰かと晩ご飯を食べたい夜もある

コンビニで買ってきたお惣菜。味はまあまあだけど、誰かと「これ美味しいね」って言いながら食べたい。それだけでいい。それが贅沢だというなら、僕はずっと贅沢を知らないまま生きている。誰かと暮らすって、すごく大変なんだろうけど、同時に温かいんだろうなと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

司法書士やっててよかった…と思いたい

司法書士やっててよかった…と思いたい

朝起きて、今日も机に向かう理由

朝、目覚ましの音で無理やり目を覚まし、重たい体を引きずって布団から出る。こんな毎日がもう何年も続いている。司法書士として独立し、事務所を構えてから、もう十数年が経つ。でも、毎朝が「よっしゃ!」なんて前向きなわけじゃない。正直、うんざりすることの方が多い。それでも、机に向かう。なぜか。それはたぶん、もう後戻りできないから。もう辞める勇気もない。依頼人を待たせているという責任感だけが、かろうじて背中を押してくれている。

眠気と不安を抱えて迎える一日

コーヒーを淹れながら、「今日こそ何かミスをするんじゃないか」「依頼人に怒られるんじゃないか」と、毎日ビクビクしている。寝起きの頭で登記簿とにらめっこする朝の時間は、まるで自分への拷問のように感じることもある。特に、期限が迫っている案件があるときの緊張感は異常だ。ミスが命取りになる仕事だということを、この業界に入ってから嫌というほど思い知らされている。気楽に「なんとかなるさ」と笑える性格ならよかったが、そうじゃないから今日も苦しい。

前向きな気持ちになれない朝もある

晴れた空を見上げて「今日は頑張ろう」なんて思える日も、もちろんあるにはある。でも、ほとんどは曇り空のような気分で始まる。とくに月末のバタバタした時期や、同時に複数の相続案件を抱えているときなんかは、自分のキャパの限界が見える気がして怖くなる。毎日、完璧を求められる仕事で、しかもミスは許されない。そんな緊張感をずっと持ち続けるのは、正直しんどい。でも誰も代わってはくれない。

それでもパソコンを開くのはなぜか

結局のところ、やるしかないのだ。誰に頼まれたわけでもないが、自分で選んだ道だから。そう思いながら、PCの電源を入れてメールを確認する。深いため息をひとつついて、キーボードを叩き始める。この「仕方ないけど、やるしかない」という感覚が、司法書士としての毎日を支えている気がする。情熱とか使命感とか、もうそんなものはとっくに枯れてしまった。それでも、今日もまた、同じ椅子に座っている。

依頼人の言葉が心に残るとき

この仕事で唯一と言っていいほど「やっててよかったかも」と思える瞬間は、依頼人の何気ない一言に救われたときだ。「ほんと助かりました」とか、「頼んでよかった」とか、そういう言葉は、意外とじんわりと効いてくる。どんな高額報酬よりも、たったひと言の感謝のほうが、心を揺さぶることがある。

「助かりました」の重み

先日、成年後見の手続きを担当した高齢の女性の方から、お礼の手紙が届いた。正直、途中で何度も説明が伝わっていないようで、こっちもイライラしながら対応していた案件だった。けれど、その手紙には「あなたがいてくれて心強かった」と書いてあった。あのときの自分の冷たさを思い出し、なんだか申し訳ないような気持ちになった。でもその分、救われたような思いもあった。報われたとまでは言わないが、「意味はあった」と思えた。

感謝の言葉は報酬以上の価値がある?

手続きが終わって報酬を受け取っても、「これだけ働いて、これか…」と思うことは多い。けれど、依頼人が笑顔で「ありがとう」と言ってくれたときの満足感は、それ以上のものがある。逆に言えば、そういう場面がないと、心がすり減ってしまう。それくらい、司法書士という仕事は地味で、孤独で、評価されにくい。だからこそ、たった一言で救われることがあるのだ。

正直、思い出せるのは数えるほど

ただ、そんな感謝の場面ばかりではない。むしろ、理不尽なクレームや、無茶な要求のほうが圧倒的に多い。だからこそ、数えるほどしかない「よかった瞬間」が、心に深く刻まれていく。頻繁には訪れないけれど、あの一言がなければ、とっくに辞めていたかもしれない。そんな気持ちで今日もまた、次の依頼を迎えている。

書類の山と孤独な戦い

気がつけば、机の上はまた登記関係の書類で埋まっている。事務員が1人いるとはいえ、責任のある部分は自分が見なければならない。忙しさの波に飲まれながら、ふと、「自分はずっと、ひとりで戦っているな」と感じる瞬間がある。誰にも見られず、評価もされず、ただひたすらに書類と格闘する。そんな日々が、今日も続いている。

「俺、何やってるんだろう」とつぶやく瞬間

たまに書類をめくる手を止めて、ぼーっと天井を見上げることがある。そこでふいに「俺、何やってるんだろう」とつぶやいてしまうのだ。まるで意味が見えなくなってしまう。こんなに必死に働いて、残るのは肩こりと疲労感ばかり。周りの友人たちは家族を持ち、週末は子どもと出かけているというのに、自分はコンビニ弁当と請求書に囲まれて過ごしている。

事務員がいても、孤独感は消えない

事務員の存在は本当に助かっている。でも、最終的な判断や責任はすべて自分にのしかかる。だからこそ、心の孤独までは癒せない。誰かに相談しても、最終的には「あなたの判断ですね」と返されてしまう。そんな当たり前が、逆に心を冷やしていく。人と一緒に働いていても、孤独ってなくならないんだと実感する。

それでも、続けている理由

それでも、毎日机に向かう。やめたいと思った日は数えきれない。でもやめなかった。というより、やめられなかった。自分に残されたものが、司法書士という看板だけだったから。悔しい日も、情けない日も、誇れる日もあったけれど、それを全部含めて「自分の人生」なんだと、ようやく思えるようになってきた。

「誰かの役に立ってる」と信じたい

直接言葉にされなくても、自分の仕事が誰かの未来を支えていると信じたい。信じなければやっていけない。それだけが、司法書士としてのモチベーションになっている。目立たなくても、評価されなくても、そこに意味があると自分が思えるかどうか。それが一番大事なのかもしれない。

独立してやってきた道のりを振り返って

最初は電話すら鳴らなかった事務所。チラシを配っても反応はゼロ。そんな時期が何年も続いた。それでも少しずつ口コミが広がり、いまでは定期的に依頼が来るようになった。地味な積み重ねが、今の事務所を形作っている。決して派手じゃないけれど、自分がここまでやってきた証だ。

逃げずにここまで来た自分だけは褒めたい

大したことはしていない。でも、逃げなかった。しんどくても、情けなくても、毎日仕事に向き合ってきた。そのことだけは、自分で自分を少しだけ褒めてやってもいいかなと思う。「司法書士やっててよかった」と、いつか心から言える日が来ると信じて。今日もまた、机に向かっている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。