もう誰かと暮らすなんて考えられない夜
ひとり暮らし歴二十年の重み
夜、電気ポットが「カチッ」と鳴る音だけが、事務所兼自宅の静寂を切り裂いた。
風呂あがりに一杯の緑茶。湯のみはいつも一つ。
それは決して誰かの分を想定していない。
「もう誰かと暮らすって、そういう小さなことから難しいんだよな…」
いつの間にか「他人の気配」がストレスに
隣で誰かが咳をする音。洗面台の水が夜中に流れる音。
そんな生活音が、いまの自分にはもはや「不協和音」だ。
昔は、誰かが隣にいる安心感が欲しかったはずなのに。
洗濯機の音でイラつく日はもう終わった
深夜に回される洗濯機の音に、眉をひそめる自分を見て「終わってるな」と思った。
いや、サザエさんの波平でさえ、こんな顔はしない。
誰かと暮らすということは妥協の連続
探偵漫画の相棒ですら、お互いを尊重してる。
自分ときたら、歯磨き粉のキャップの開閉に文句をつける有様だ。
タオルの干し方で喧嘩できるレベル
昔の同棲相手とは、フェイスタオルを縦に干すか横に干すかで口論になった。
今思えば、名探偵の推理より些細なことだ。
「譲ること」がもはや体力勝負
いや、体力というか、精神力というか…
「好きな人のためなら我慢できる」は、若さという幻想の副産物だった。
結婚を考えたこともあった
あれは確か、30代後半の秋だった。
当時付き合っていた女性と、婚姻届の話が出た。
「住民票は分けてもいい?」
その一言で、すべてが終わった。
一緒に暮らした三日で逃げられた過去
三日目の朝、彼女は言った。
「寝てるときの紙の音、無理」
登記簿の読み込み癖がこんなところで出るとは。
他人と暮らすことに向いていない職業
司法書士という仕事は、基本的に“静寂”と“慎重”が命。
パートナーに「うるさい」と言われて傷ついた経験、数知れず。
机の上の秩序に口出しされると無理
サトウさんは言う。「先生、この机カオスですね」
違う、これは“秩序ある混沌”だ。
誰にも触れてほしくない、俺だけのフィールド。
そもそも誰かと暮らすって何を目指すのか
日々の暮らしを共有?家計を助け合う?寂しさの埋め合い?
どれも今さらピンと来ない。
やれやれ、、、そんな余裕もないまま、また明日の登記申請の準備が始まる。
それでもたまに寂しさは来る
味噌汁をすすっているとき、不意に浮かぶ「ただいま」の声。
そんな妄想で、味がしなくなる夜がある。
サトウさんの持ち帰り弁当がまぶしい
「先生、今日もカップ麺ですか?」
サトウさんは笑う。あの笑顔の向こうに、家族のにぎわいが見えた気がした。
サトウさんとの同居はどうかと聞かれたら
冗談じゃない。たぶん一週間もたない。
サトウさんは賢すぎて、俺の心の引き出しの中身まで見抜きそうだ。
一人で生きる覚悟のようなもの
湯気の立つ茶碗と、夜風に揺れるカーテン。
この空間を、誰かと共有できる気はしない。
それでも、誰かが来る夢を見ることがある。
それでももし奇跡があるなら
鍋の中に、ふたり分の味噌汁を作る日が来るかもしれない。
湯のみが二つ、自然に並ぶ日が来たら、そのときは…
——また、サトウさんに相談してみよう。