アップデートについていけない僕らへ――地方司法書士、取り残される日々

アップデートについていけない僕らへ――地方司法書士、取り残される日々

気づけば「それ、古いですよ」と言われる

ついこの前も、若い依頼者から「メールじゃなくて、LINEでやりとりできませんか?」って言われた。いや、できるんだけど、こっちはまだGmailでやっとの思いなのよ。しかも、ZoomもSlackもも、名前は聞いたことあるけど使ったことはない。気づけば「まだそんなやり方してるんですか?」みたいな空気にさらされることが増えてきた。取り残されているのは技術だけじゃなく、自信まで削られていくようで、地味にこたえる。

Zoom??気づいたときにはもう常識

同業の若い人たちは、業務報告もクラウド、相談もオンライン、AIで契約書ドラフトまで作れる時代らしい。いや、すごいなと思う。でも、自分がやろうとすると、そもそもどこから手をつけていいかわからない。時間もなければ、教えてくれる人もいない。気づけば、それらは“すでに常識”になっていて、「今さら聞けない」状態になってしまっている。学ぶ以前に、恥をかくのが怖くて動けなくなってしまう。

ひとり事務所では誰も教えてくれない

たとえば事務所に誰か詳しい人がいれば違うかもしれない。でも、うちは自分と事務員さんのふたりだけ。しかもその事務員さんもPCは最低限しか使わない世代で、ITに強いわけでもない。だから新しいツールが話題になっても、誰とも相談できず、結局そのままスルーしてしまう。地方の小さな事務所って、そういう「相談できない孤独」がやたら重たい。

新しいツールに触れるのが、なんとなく怖い

正直、どこかで「失敗するくらいなら、今のやり方でいいか」と思ってしまう。でもその「今のやり方」が、すでに時代遅れだって気づいてるからこそ、ジリジリと不安が募るんだ。新しいツールを導入しても、使いこなせずに終わるのが怖い。ログインができなかった、設定でつまずいた、そんな小さなことでも、自信がボロボロになる。慣れない操作でミスして、余計なトラブルになったこともある。もう失敗したくない、そんな思いが変化を遠ざけてしまう。

「なんか疲れてる?」って聞かれるけど

最近、同業者との会話でも「なんか疲れてる?」って聞かれることが増えた。たしかに疲れてる。でも、それって単なる肉体的な疲れじゃない。「情報についていけない焦り」「できてない自分へのいらだち」「何をどう変えていいかわからない無力感」…そういうものが積み重なって、ぐったりしてるだけなんだと思う。

疲れてるんじゃなくて、ついていけてないだけ

昔は自分なりにやってこれたという自負もあった。でも時代が変わってきて、その「やり方」自体が通用しない場面が増えてきた。たとえば、スマホ対応の申請ソフトとか、電子署名とか、「できない=信用落ちる」みたいな空気もある。そうなると、自分がやってることの意味が、どんどん揺らいでくる。ただ、疲れてるんじゃない。「ついていけてない」っていう、どうしようもない悔しさがある。

変化を追うより、目の前の仕事をこなす日々

とはいえ、現実には案件も多くて、日々の業務に追われる毎日。変化に対応する時間も気力も足りない。「学ばなきゃ」と思いつつ、今日の登記、明日の立会、週末の調整……とやってるうちに、もう夜。結局、学ぶ暇なんてないまま、今日もメールで添付ファイルが開けずに苦戦して終わる。そんな日々が続いてる。

ほんとは自分でも何とかしたいと思ってる

「変わりたい」「もう少しラクに、効率的に仕事がしたい」って思いはずっとある。けど、方法がわからない。YouTube?セミナー?それすら調べる気力がない。誰かに「こうしたらいいよ」って手を引いてもらえたら…って、正直そんな甘えた気持ちになることもある。自分でも情けないなと思いつつ、何も変えられないまま、またひとりで机に向かってる。

SNSで発信してる同業者を見て落ち込む夜

TwitterやInstagramで、司法書士の若い先生たちが、毎日の業務報告や事務所のPRをうまく発信しているのを見ると、「すごいな」と思う反面、焦りと落ち込みが同時に押し寄せてくる。「自分にはできないな」と思った時点で、すでに心が負けているのかもしれない。でもやっぱり比べてしまう。

いいねの数より、自分の居場所が気になる

別にバズりたいわけじゃない。ただ、SNS上に自分の「居場所」がないことが寂しい。時代の波の中に自分だけ取り残されて、誰にも気づかれずに沈んでいくような感覚になるときがある。現場では頼られても、ネットの世界では「いない人」扱い。それが、なんとも言えずこたえる。

なんでこんなに「遅れてる」気がするのか

本当に遅れてるのか、それともそう思い込んでるだけなのか。たぶんどっちもある。新しい技術や情報が多すぎて、追いかけることすらやめてしまった。だけど、たまに少し試してみると「あれ?意外と使えるじゃん」と思うこともある。問題は、最初の一歩を踏み出す「気力の火種」がなかなか見つからないってことなんだ。

そもそも、誰と比べてるんだろう

冷静になって考えてみると、比べてる相手って、全国トップレベルでバリバリやってる人たちだったりする。自分は自分、地元で必要とされている役割もある。わかってはいるんだけど、SNSって無意識に「優秀な他人」と自分を比較してしまう装置でもある。必要なのは「他人と比べない覚悟」かもしれない。

それでも、今日も地元で誰かを助けてる

たとえ時代に乗り遅れていたとしても、自分がやっている仕事にはちゃんと意味がある。今日も「ありがとう」と言ってくれた依頼者がいた。その一言でなんとか持ち直せる。世の中にうまく発信できていなくても、目の前の誰かの力になれていれば、それで十分だと言い聞かせている。

時代についていけなくても、誰かの役には立ってる

「最新」じゃなくても、「信頼」がある。電子申請ができなくても、書類の中身に魂を込めている。便利なツールに頼れなくても、話を聞くこと、相手の不安に寄り添うことならできる。司法書士の本質って、実はそこじゃないかと思いたい。

流行に弱くても、信頼は地道に積んできた

20年、30年とこの仕事を続けてきて、気づけばリピーターや紹介でつながる案件も増えてきた。これは地味だけど、大きな財産だと思ってる。どれだけ便利な時代になっても、「この人に頼みたい」と思われることが何より大事。SNSのバズより、目の前の信頼。それを信じて、もう少し頑張ってみようと思う。

置いていかれても、ゼロじゃないという話

時代に置いていかれたような気がして、焦って、落ち込んで。でも、実際にはゼロじゃない。小さくても、積み上げてきた信頼と経験がある。それを頼りに、少しずつでも前に進めたらいいなと思う。たとえ一歩遅れても、止まらなければきっと大丈夫。…そう、自分に言い聞かせて今日も机に向かう。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。