知らない番号に出られないのは臆病なのか
スマートフォンが震える。そのたびに心臓がギュッとなる。知らない番号だったらなおさらだ。「出ないとまずいかも」と思いながら、指が動かない。そんな自分を「弱いな」「仕事にならないな」と責めてしまう。でもこれ、実は自分だけじゃないらしい。日々、他人の悩みや不安を聴く仕事をしているはずなのに、自分の内面はこんなにも脆い。知らない番号に出られないのは、臆病なんじゃなくて、過去の嫌な経験が呼び起こされるからなんじゃないかと最近は思うようになった。
着信履歴に残るだけで不安になる日
ある日、昼休みにパンをかじっているとスマホが鳴った。見慣れない市外局番。出る勇気が出なくて、ただただ眺めていた。切れた後も、着信履歴が気になって落ち着かず、午後の仕事も上の空だった。「何か重要な連絡だったらどうしよう」「苦情かもしれない」「督促か?」頭の中で最悪のシナリオが渦巻く。でも、何のことはない。後から留守電を聞いたら、ただの営業電話だった。とはいえ、この無駄に疲れるプロセス、なんとかならないものかといつも思ってしまう。
急ぎの連絡かもしれないとわかっていても
登記の完了直前など、タイミングがシビアな時期は特にそうだ。クライアントから「今から書類出します」とか、「役所で補正が出ました」とか、急ぎの連絡が来ることも多い。そういうときこそ、知らない番号に出られない自分を責めてしまう。「今の電話、依頼人だったらどうしよう」と焦って折り返すも、すでに誰も出ない。結局、また不安になる。こんな堂々巡りを毎週のように繰り返している。もう慣れてもいいはずなのに、いつまでたっても慣れないのがまた悔しい。
電話応対が苦手という自覚
司法書士という職業柄、人と話すことは避けて通れない。なのに私は、電話応対が本当に苦手だ。相手の表情が見えない状態で、突然核心を突かれると、頭が真っ白になる。しかも、こちらの情報は名前も所属も全部知られているのに、向こうは名乗りもせずにいきなり話し出すこともある。そんなとき、つい「え?」とか「はい…あの…」としか言えなくなる自分が情けない。でも、そういう経験、きっと多くの人にもあるはずだ。
電話は苦手だけど無視もできない
完全に無視すれば楽なんだろう。でも仕事上、完全無視なんてできない。何かの申請が滞るかもしれないし、本人確認が必要な局面かもしれない。そんなことを思うと、出るのが怖くても、つい画面を睨みながら躊躇してしまう。ちょうど野球で、サインに迷っているときのような感じ。キャッチャーに首を振りながらも「本当にこの球種でいいのか?」とぐるぐる考えて、結局どっちにも自信が持てなくなる、あの感覚に近い。
電話に出ることと人付き合いのストレス
電話は一瞬のやり取りだけど、その裏には人との関係がある。クレーム、依頼、確認、どれも人と向き合う必要がある。人付き合いに疲れているときほど、電話の着信音は精神に刺さる。特に、休日の前夜や仕事が立て込んでいる時期。気力が削られたタイミングで鳴るスマホは、まるで警報のように感じる。だから出られない。それでも「出なきゃ」という気持ちは常にある。まさに、逃げ場のないストレスだ。
司法書士という仕事と電話の相性
書類を作る、登記を申請する、それだけじゃ済まないのが司法書士の仕事。確認や調整が必要で、相手も市役所だったり、法務局だったり、依頼人だったりと多岐にわたる。特に地方では、まだまだ「電話で済ませよう」という文化が根強い。メールよりも電話の方が早い、という思い込みも多い。そんな環境の中、電話に出るのが苦手な私は、いつも後れを取っているような気がしている。
依頼人との初回接点は電話が多い現実
HPを見て連絡をくれる人の多くは、まず電話をしてくる。「こんにちは、そちらって相続の手続きお願いできます?」といきなり聞かれて、少し焦る。というのも、何の前情報もなく、自分のタイミングでもない状態で、専門的な回答を求められるのだから当然だ。丁寧に答えるよう努力はしている。でも、電話が怖い日だと、うまく声が出ないことすらある。そういう日は、本当に自分がこの仕事に向いているのか疑いたくなる。
知らない番号でも出なきゃいけない場面
実務の中には、絶対に見逃せない連絡もある。特に登記直前のやり取りや、補正対応など、即応しないと全体が止まってしまうケースだ。そういうときに限って、知らない番号でかかってくるから困るのだ。「もしかして法務局?」と思って慌てて出ても、営業電話だったりすると、がっくりくる。
失礼に思われたらどうしようというプレッシャー
電話に出ないことで、「あの先生は対応が悪い」と思われてしまったら…そんな不安が常につきまとう。たとえ一回の着信だったとしても、その一度で信用を失うのではないかという妄想が頭をよぎる。だから、電話に出られない自分を責めてしまう。そのストレスがさらに電話への恐怖を強める悪循環になる。結局、誰にも言えず、ひとりでぐるぐる悩んでいる。
結局あとから折り返してしまうという矛盾
怖くて出られなかったくせに、気になって折り返してしまう自分。すると「はい、◯◯社です」と、営業トーンの声が返ってくる。その瞬間、「なんで出たんだ」と自分にツッコミを入れることになる。そしてまた着信拒否リストが増える。そんなことを一日に何度も繰り返すと、精神的な消耗が激しいのも当然だ。電話応対だけで一日が終わる、そんな感覚の日もある。
個人事務所ゆえの気疲れ
所員がたくさんいる大手なら、電話番も分担できるのかもしれない。でも、うちは私と事務員の二人だけ。しかも事務員は入力作業がメインで、対外的な電話は極力私が受ける。つまり、逃げ場がない。鳴れば出るしかない。でも出たくない。そんなジレンマに挟まれて、毎日が疲れていく。もっと効率よく仕事ができれば、とは思うけれど、現実はなかなか厳しい。
相談も苦情も全部自分で受けるしんどさ
「すいません、そちらで手続きした件でちょっと…」と始まる電話は大体、何か問題がある。多くの場合、自分に非はない。でも説明を求められ、時には怒りをぶつけられる。誰かに代わってもらうこともできず、全部自分で受けるしかない。精神的なダメージはじわじわと蓄積されていく。電話恐怖は、ただのコミュニケーション不安ではなく、こうした積み重ねの結果なのかもしれない。
電話に出るのが仕事の半分という皮肉
司法書士の仕事と聞くと、「書類作成」「登記申請」などが思い浮かぶかもしれない。でも現実は、「電話応対」がかなりの割合を占めていると感じている。もちろん必要な仕事だ。でも、それが「しんどい」と感じるとき、自分は本当にこの仕事に向いているのだろうかと悩む。それでも明日もまた電話は鳴る。逃げられない現実に、今日も少しだけ疲れている。