朝起きた瞬間からもうしんどい
朝のアラームが鳴っても、体がまったく動かない日がある。何かの病気かと思うくらい重たくて、目は覚めているのに、まぶたを開けるのも苦痛。頭の中で「今日はやるべきことが山ほどある」とわかっていても、心がまったく反応しない。心も体もバッテリー切れ。そんな朝は、気力がどうとか、努力が足りないとかいう話ではない。単純に、もう限界なんだ。そんな自分に対して、ダメだな…と責めてしまうのもまた、しんどさに拍車をかけている。
目覚ましが鳴っても布団から出られない
時計の針はどんどん進んでいくけれど、自分は布団の中に沈んだまま。昔は5分もあれば起きて、シャワーを浴びて、元気に出勤できた。今はそれができない。「もう少しだけ…」と繰り返しているうちに、30分、1時間と経ってしまう。やっとの思いで起き上がっても、鏡の中の顔は疲れ切っていて、まるで別人のようだ。朝が始まるだけで、すでに一日のエネルギーを使い果たした気になる。
「あと5分」が1時間になる朝
スマホのスヌーズ機能が恨めしい。止めても止めても鳴り続けるアラームに、罪悪感だけが積み重なっていく。気がつけば9時前。開業しているから誰にも怒られないけど、自分にだけは叱られる。自分の予定、自分の責任、自分の事務所。それでも布団から出られない。情けなくて、泣けてくる。
疲れは取れない。むしろ増えている
週末にしっかり休んだつもりでも、まるで回復していない。むしろ身体の節々が重く、気力はさらに目減りしているような感覚。こういうとき、単なる「疲れ」じゃないことを痛感する。回復力が落ちたのか、積み重なったストレスなのか、はたまた年齢なのか。わからないけど、元に戻る気がしないのが、一番つらい。
やる気が湧かないのは、怠けじゃない
「怠けてるだけでしょ?」と、昔なら自分にもそう言い聞かせていただろう。でも今は、そんな言葉では切り替えられない。やる気が出ないのは、甘えじゃなく、心が疲弊している証拠なんだと、身にしみてわかる。目の前の仕事に手をつけられないのは、能力の問題じゃなくて、もう精神的に立ち向かう余力がないから。それでも、社会では「やる気がない=怠慢」と見られるから、ますます孤立していく。
気力がない=心が疲れているサイン
実際、やる気が出ない時期には、趣味も楽しめなくなる。本を開いても頭に入らないし、テレビを見ても笑えない。休日が来ても外出する気になれない。気力がないのは、ただの気分の問題ではなく、心の危険信号なのに、それを理解されにくいことが一番しんどい。特に、ひとりで事務所を運営していると、自分で自分を守らないといけないのが現実だ。
「また一日が始まる」ことへの絶望感
朝が来ることが、こんなにも苦痛だと思ったのは、独立して数年経ってからだった。独立前は、職場に行けば誰かがいて、多少の雑談もできた。でも今は、一人で開けて、一人で閉める毎日。人と接するのは業務のためだけ。誰かに愚痴を言うこともできないから、朝のスタートが孤独と重圧に満ちたものになる。週明けの月曜は特にきつい。
事務所に向かう道すがらでため息ばかり
事務所までのたった10分の運転が、重たい。ラジオを流しても、流れてくる陽気なトークが自分にはまぶしすぎて、逆にラジオを切ってしまう。信号待ちの時間が長く感じられる。車の中は唯一の逃げ場でもあるが、同時に「逃げ切れない場所」でもある。事務所に着けば、また一日が始まってしまう。その現実に向かう時間が、地味に苦しい。
車の中が唯一の逃げ場
この仕事は基本的に一人で抱えるものが多い。だからこそ、車の中という閉ざされた空間は、不思議と落ち着く。誰にも見られず、誰にも邪魔されず、ただ一人きりになれる。事務所という場所が仕事の現場であると同時に、ストレスの発生源になっている以上、車の中がほっとできる唯一の場所になってしまっているのだ。
エンジン音が心地よいBGMになる朝
エンジンの低い振動が、妙に安心感を与えてくれる。あたたかい缶コーヒーを握りしめて、ひと息つく。こうして5分でも何もしない時間があることで、なんとか一歩を踏み出せる気になる。たぶんこれは、戦いに出る前の「待機時間」なんだろう。武装はしていないが、心を鎧で覆う準備をしているような感覚。
信号待ちで現実に引き戻される
でも、そんな時間も長くは続かない。信号が青になれば、否応なしに現実が迫ってくる。事務所の前の通りに車を停める瞬間、「今日も誰かからの相談が来るか」「登記にミスがないか」と不安がよぎる。緊張と不安を抱えたまま、また今日も一人、玄関の鍵を開ける。