毎日が最終締切みたいで心が持たない ─ 司法書士、孤独とプレッシャーの狭間で

毎日が最終締切みたいで心が持たない ─ 司法書士、孤独とプレッシャーの狭間で

朝から心拍数が上がってる

司法書士という仕事をしていると、朝の目覚めと同時に心拍数が上がる日がある。いや、正確に言えば「毎日がそう」だ。目覚ましが鳴るより前に、夢の中で依頼人の顔や法務局の期限が出てきて飛び起きることもある。睡眠という逃げ場すら仕事に侵食されているような感覚だ。スーツに着替えて机に向かう頃には、すでに気疲れしている自分がいる。

メールを見るのが恐怖になってきた

メールチェックが一日の最初の業務。けれど正直、開くのが怖い。見慣れた宛名と、「至急対応お願いします」の文字が並ぶ。中には「本日中にお願いします」とか「先方が急いでおります」とか、まるでこっちが遅れてるかのような文面もある。昨日のうちにやれることは全部やったはずなのに、何かが“足されて”いく。それが毎日続くのだ。メールを見ただけで胃が痛くなるなんて、昔は想像もしなかった。

急ぎ案件のオンパレード

登記の世界は「いつでも急ぎ」が当たり前になってしまった。引き渡しが今日中とか、名義変更を明日中にとか、そんなスケジュールを何本も抱えていれば、誰だって精神的にすり減る。依頼人にとっては人生の大きな節目かもしれない。でも、こちらには“その人だけの人生”を優先できる余裕はないのだ。複数の「人生の節目」を一日に何件も扱うのが、この仕事の現実。

「至急」って書かれてなくても、実質全部至急

「至急でなくて大丈夫です」と言われても、期限がないわけじゃない。しかも、実際は他の人よりも早く進めてほしいという無言の圧がある。経験上、そういう「気を遣った言い回し」にほど裏がある。結局、夜まで引きずってやる羽目になり、「最初から正直に“急いでほしい”って言ってくれたほうがよかったよ」と独り言。心の中では、毎日が最終締切。そんな日々だ。

締切が終わっても、次の締切がやってくる

なんとか一件処理して、ひと息つこうと思った矢先、電話が鳴る。「あの件、進み具合どうでしょうか?」――こうして、ひとつの締切が終わる前に、次の締切が上書きされていく。書類の山を見て「これは今日中に全部やる必要はない」と思っていても、実際はそうはいかない。放っておけば自分に返ってくる。だったら、今やるしかない。結局、今日も“締切最終日モード”だ。

「これで今日は終われる」が通用しない日々

今日はここまで、と自分に言い聞かせて電気を消す。でも、布団に入ると「アレ、忘れてないか?」と脳内アラートが鳴る。思い出したら最後、眠れない。夜中にそっとパソコンを開くこともある。こうして「今日で終わり」のはずが、「結局いつまでも終われない」毎日に変わっていく。締切は紙の上の期限だけではない。自分の中の不安が次の締切を勝手に作り出すのだ。

仕事が減らないのは、ありがたくもあり辛くもあり

事務所を畳んでいく同業者がいる中、依頼が来るのはありがたい。でも、それが続くと「ありがたさ」より「しんどさ」のほうが上回ることがある。仕事が来る限り、休むタイミングがない。むしろ、依頼が減ってきたら休めるんじゃないか?なんて矛盾したことを考えてしまうくらい。売上と体力、どちらを優先すべきか。たぶん、どちらも削られている気がする。

休み明けの月曜日が一番きつい理由

月曜日は、まるで週末のツケを一気に払わされるような日だ。金曜に持ち越した案件、週末中に届いたメール、そして「週明け対応お願いします」のメッセージ。休んだはずなのに、体は休めていない。心も戻りきらない。そんな状態で始まる月曜日は、週で一番しんどい。これが毎週繰り返されると、「休みがある方が逆に辛い」という本末転倒な感覚になってくる。

事務員さんがいてくれて助かる、けど

一人で回していた頃に比べれば、事務員さんがいる今はだいぶ助かっている。それでも、全部を任せられるわけではない。結局、責任のある部分は自分で抱え込むことになる。これは信頼していないわけじゃない。ただ、司法書士という資格の重さが、最後は自分を引き戻す。楽になったようで、実は気疲れが増えたのかもしれない。

任せられる業務と、任せられない責任の間で

登記申請の下準備や書類チェックはお願いできる。でも、「本当にこの内容で大丈夫か」の確認や、「申請後に何かあったときの対応」は、結局こちらに降ってくる。だから、いくら信頼していても、目を通さずにはいられない。そこが一番の疲れどころだ。安心して任せられるような気持ちになれたら、どれだけ楽か。けれど、それができないのが、この業界の現実だ。

気を遣いすぎて、余計疲れることもある

事務員さんも人間だ。体調が悪そうだったり、ミスが続いていたりすると、こちらも言い方に気を遣う。小さなことで気まずくなっても困るから、ぐっと飲み込む。でもその積み重ねが、思った以上にこちらの精神を削っている。ひとりでやっていた頃の「自分にだけ責任がある」状況が、ある意味気楽だったと思える瞬間すらある。

「先生」と呼ばれるほどの余裕はない

司法書士という肩書きがあるから「先生」と呼ばれる。けれどその実態は、日々クライアントや書類、役所との板挟みに苦しむただの人間だ。誤解を恐れずに言えば、「先生」と言われるたびに、そんな風に見られていないといけないというプレッシャーが乗っかってくる。こっちはヒーヒー言ってるのに、肩書きだけが立派に先走っていく。中身が追いついていない気がして、余計にしんどい。

誰にも相談できない「士業のしんどさ」

司法書士は孤独な仕事だ。相談相手がいないわけじゃない。でも、同業者には弱音を吐きづらい。「あいつ、大変そうだな」と思われるのが怖いのか、プライドなのか、自分でもよくわからないけれど、口を開けないでいるうちにどんどん溜まっていく。ストレスが音もなく積もっていく感じだ。

同業者同士でも、実は弱音を吐きづらい

たまに同業の知人と会うこともある。けれど、会話は業務の話ばかり。「最近どんな案件?」とか「法務局、あそこ厳しくなったよね」とか、情報交換の体は保ちつつも、内面のしんどさには触れない。誰かが「最近きついわ」と言い出せば少しは違うのかもしれないけれど、みんな口を噤んでいる。もしかしたら、同じように心がすり減っているのかもしれない。

愚痴を言える飲み仲間すら、もういない

昔は飲みに行って愚痴をこぼす場があった。でも今は、誘う相手もいないし、出かける元気もない。SNSに書けば愚痴アカウントがバズるかもしれないが、それはそれで怖い。だから一人、コンビニのカップ酒片手にテレビを見て、無言で笑って終わる夜が増えた。愚痴の行き場がないと、心の中に居座って腐っていく。

「モテない司法書士」の呟きは今日も続く

仕事ばかりしていたら、恋愛なんて遠のくに決まっている。かといって、忙しさを言い訳にしている自分もいる。気づけば、独身歴も事務所歴と同じくらいに伸びていた。たまに婚活アプリを覗いても、プロフィールに書く言葉すら見つからない。せめて「仕事は順調です」と言えれば違うのかもしれない。でも、毎日が最終締切みたいな状態じゃ、恋愛どころか自分のケアすらままならない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。