将来どうするの?に詰まった夜に思ったこと

将来どうするの?に詰まった夜に思ったこと

将来を聞かれて固まった夜、司法書士という肩書きの重さを感じた

ある夜、久しぶりに会った友人にこう聞かれた。「で、将来どうするの?」と。何気ない一言のはずなのに、僕の心はドッと沈んだ。自分の人生のことなのに、言葉が出てこない。司法書士として独立してから何年も経っているのに、「将来の展望」を口に出せない自分がいた。誰かに相談される立場である以上、自分が迷っている姿なんて見せられない。でも、本音を言えば、将来が見えないことなんて、何度もある。特に一人でやってると、それがよくわかる。

「え、俺まだこの仕事やってんの?」とふと我に返る瞬間

ある日、朝出勤して机に向かって書類を整理していたら、ふと頭に浮かんだ。「俺、まだこの仕事やってんだな……」と。日々のルーティンに追われ、忙しさに身を任せているうちに、時間だけが過ぎていく。周囲は結婚して、家を建て、子どもがいて、週末は家族と過ごしている。そんな姿と比べて、自分は何をしてるんだろう、と情けなくなることもある。将来の話をされると、まるで「取り残されている」と言われているような気分になる。

相談される側なのに、自分の未来は相談できない

司法書士という仕事は、誰かの人生の節目に関わる。相続、売買、会社設立——そういう大事な手続きに関わりながら、自分自身の人生設計については、考える余裕すらない。ましてや誰かに相談するなんて、もっと難しい。資格を持っていて、独立しているというだけで「しっかりしてそう」と思われるけれど、内心はボロボロなときもある。僕だって、誰かに「これからどうするのがいいと思う?」と聞きたい時がある。でも、それを口に出せない自分がいる。

どうしても「先の話」が苦手な理由

将来の話になると、途端に口ごもる。なぜなのか、自分なりに考えてみたことがある。たぶん、未来を語るというのは「今が安定している」という前提があってこそ成り立つ。でも、日々の仕事に振り回されて、自分の足元すらおぼつかないとき、将来の話なんてできるわけがないのだ。未来が怖いというより、想像する余裕がないというのが正直なところだ。

毎日目の前の処理で手一杯、それが本音

登記申請の締切、補正の対応、急な依頼、電話、郵便。そんなタスクが毎日ひっきりなしにやってくる。事務員さんがいてくれるとはいえ、最終確認は全部自分。責任の重さに押しつぶされそうになりながら、「今日を乗り切ること」しか考えられない。そんな状況で「5年後どうなっていたいですか?」と聞かれても、「そんな余裕があれば寝たい」としか思えないのが現実だ。

将来のビジョンより「登記の補正」が先に頭に浮かぶ

ふとしたときに、夢や理想を語れたらどれだけ楽だろうと思う。でも、現実は違う。週明けの補正をどうするか、依頼者にどう説明するか、そういう現実的なことが常に頭の大半を占めている。「将来どうしたい?」という問いに、「補正がない世界に行きたい」と答えてしまいそうになるのは、冗談のようで本気の話だ。

忙しさが思考停止を招いているという皮肉

本来、仕事が安定してきたら、将来について考える余裕が生まれるはず。でも実際は逆で、忙しさが加速するほどに、思考は停止していく。惰性で動く日々。朝起きて、書類を見て、押印して、登記して、帰って寝る。こんな生活を続けていたら、「将来」なんていう抽象的な言葉は、ただのノイズになってしまう。

「もう司法書士やめたら?」と言われたときの冷たい現実

知人に「そんなに疲れてるなら、もう司法書士やめたら?」と言われたことがある。冗談だったのかもしれない。でも、その言葉が妙に現実味を帯びて胸に残った。やめた後、僕に何が残るんだろう。司法書士という肩書きがなかったら、僕はただの独身中年男性でしかない。それを思うと、肩書きにすがってる自分が、情けなくもあった。

意地だけで続けてるのかもしれない、という葛藤

何かを成し遂げたいとか、理想の事務所を作りたいとか、昔はそういう夢もあった。でも今は、「辞めたら負け」のような意地だけで続けている気がする。もちろん食べていくためという現実的な理由もあるけれど、それ以上に「司法書士を捨てたら、自分を否定することになる」と思ってしまう。だけど、それって本当に幸せなのか?と問われると、うまく答えられない。

好きで始めた仕事のはずが、いつしか「辞めない理由」になっていた

司法書士になったばかりの頃は、やりがいもあった。誰かの役に立っているという実感もあった。でも今は、「なぜ続けているのか?」と聞かれても明確に答えられない。好きだから続けてるわけでも、夢があるからでもない。ただ、「今さら辞められない」から。そんな風に自分の人生を消化している気がして、少し虚しくなる。

食べていけてるから続けているだけ?

これ以上の収入を得ようと思えば、営業や他の事業展開も必要だ。でも、そこに手を出す気力がない。結局、最低限食べていけるからこそ、何も変えようとしないまま日々が過ぎていく。「将来どうするの?」という問いは、「今のままでいいの?」という警告にも聞こえる。

独身・地方・ひとり事務所…孤独が染みる日々

誰かに頼ることもなく、誰かに頼られることもなく、ただ黙々と作業を続ける日々。人と話すのは依頼者か、郵便局か、法務局の窓口くらい。そんな生活が続くと、「俺ってなんのために働いてるんだろう?」と考えてしまう。孤独は嫌いじゃないはずなのに、ときどき胸が詰まる。

相談できる相手がいないという辛さ

仕事の愚痴も、人生の悩みも、気軽に話せる相手がいない。事務員さんは頼りになるけど、立場があるから何でも話せるわけではない。同業者に相談しても、結局は「頑張りましょう」で終わる。わかってる、それが一番正しい答えだ。でも、「頑張る」しか選択肢がないことが、時に一番の重荷になる。

事務員さんには気を遣う、同業者には本音を出せない

事務員さんは若い女性で、よく気が利く人だ。でも、僕の愚痴ばかり聞かせるわけにもいかないし、恋愛感情なんて持たれたら迷惑だろうと距離を保っている。同業者は付き合いが浅いし、競合になることもあるから、弱音は吐けない。だからこそ、ひとりで抱える悩みがどんどん積もっていく。

未来が描けなかったあの夜に思ったこと

将来どうするの?に答えられなかった夜、何も考えられずに風呂にも入らず寝た。翌朝、目覚めたとき、心に重たくのしかかっていたのは「何も決まってない自分への情けなさ」だった。でも、同時に「それでも今、仕事をしている自分」も確かにいた。決まってないなりに、前に進んでいるのかもしれない、そんな風に思えた。

描けないことを責めないでやりたい

将来のビジョンを持つことは大切だ。でも、今すぐに答えを出せない人がいてもいいはずだ。僕もそうだった。きっと誰しも、描けない夜がある。そんなときに、「まだ答えが出ないんだよね」と言える勇気の方が、大事かもしれない。

将来の話って、ほんとは怖くて寂しい

「将来」という言葉は、希望よりも不安を含んでいる。何かを失っていく感覚、選択肢が減っていく感覚、時間だけが過ぎていく現実。それに向き合うのは、勇気がいる。だからこそ、怖くて、寂しい。けれど、それを共有できる誰かがいるだけで、救われることもある。

じゃあ、司法書士としてどうしていく?と自問してみた

将来がわからないなら、いま一度、自分に問い直してみるしかない。「司法書士として、このままでいいのか?」「何か変えたいのか?」小さな答えでいい。答えを出すのに時間がかかってもいい。自分の問いに耳を澄ますことから、始めてみようと思った。

すぐに答えは出ない。でも問い続けるしかない

大きな目標や夢がなくてもいい。毎日を丁寧に積み重ねていくこと。それができるだけでも、十分すごいことだと思う。答えはきっと、ある日ふとした瞬間に出るものかもしれない。それまでは、問い続ける。それでいい。

迷ってる司法書士さんへ伝えたい、詰まるのも人生の一部です

将来のことを聞かれて詰まる夜もある。でも、それは決してダメなことじゃない。むしろ、ちゃんと考えようとしている証拠だ。答えが出ない時間こそ、自分を形づくる時間になる。だからこそ、焦らなくていい。僕もまだ模索中だけど、一緒に悩んでる人がいると思えるだけで、少しだけ心が軽くなる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。